黒夜行 2005年05月11日 (original) (raw)

天衣無縫にして傍若無人。元華族であり、今なお財界に多大な影響を与える父を持ち、それでいて何故か探偵などという職業をやっている。鳶色の瞳に白磁のような顔、容姿端麗、眉目秀麗。探偵のくせに調査も捜査もせず、それどころか依頼人の話すらろくに聞かない破天荒ぶり。口からでるは罵詈雑言、事件に関われば軽挙妄動、言っていることは意味不明で、やっていることは荒唐無稽。それでいて関わった事件では、ある意味快刀乱麻の大活躍。自らを神と呼んで疑わず、自分の上に人はいないと思っている。人の名前は一切覚えない。視力が弱い代わりに他人の記憶を視ることが出来る能力を持つ、どんな言葉を尽くしても表現できない奇人変人。
さて、一体誰のことを言っているのかと言えば、京極堂シリーズを読んでいる人にはあまりにもお馴染みで、そうでない人にはその輪郭すら描くことを許さない、そう榎木津礼次郎その人である。
そして今回は、京極堂を差し置いて、その榎木津が物語の主人公なのである。
しかしまあ、その大暴れっぷりと言ったら、痛快と呼ぶに相応しい。自らの娯楽のために大暴れし、誰も彼をも下僕として扱い、事件の解決、というか粉砕のためにおおはしゃぎ。暴れられる状況を作り出すために事件に首を突っ込んでいるとしか思えない。
とにかく全編榎木津の奇行が目立つ。もちろん、話の筋はちゃんとあるし、寧ろ榎木津の出てくる場面は主人公の癖にそんなに多くないのだが、それでも、榎木津が大暴れしたな、という印象がとにかく強く残る。
余談だが(というか、余談以外の文章はないとも言えるけど)、榎木津を見ていると、麻耶雄嵩が生み出した、こちらもとびきり奇行な探偵、メルカトル鮎を思い出す。まあ、メルカトル鮎には明らかな悪意や作為があるまっとうな探偵ではないのに対し、榎木津は天然にしてそのキャラクターなのだから、仕方ないとも言える。なんとなく、榎木津なら許せてしまうのだ。
ストーリーに触れることにするが、本作に収録された三篇は、敢えて分類するとするならば、「日常の謎」ということになるのではないか、少なくともストーリーの入口はそうだ、と言えるだろう。
「日常の謎」と言えば、北村薫を初め、本多孝好、光原百合、加納朋子、などを思い浮かべるとは思うけど、やはり趣は大分違うだろう。先に挙げた作家の作品は、どこかゆったりふんわりして、日常の細やかな謎を論理的に解き明かすという趣向だが、京極夏彦はやはり手強い。どの作品も仰々しく、ある意味おどろおどろしく、いつもの雰囲気ばっちりなのだ。
入口は常に些細なことから始まるのである。多少些細でない場合もあるが、ありきたりの表現をすれば、それは氷山の一角なのである。迷宮の入口と言ってもいい。それは、多少困難が付きまとう、謎というよりも課題やら依頼やらがあるわけだけど、いつのまにかそこに謎が発生する。課題やら依頼やらをこなしていくうちに、謎にどん、とぶちあたるわけである。こうなると下僕たちではどうにもならない。この世ならぬ能力を持つ榎木津と、同じくこの世ならぬ推理力を持つ京極堂の二人は真相を看破し、あとの面々はさっぱりわからない、といういつもの状況に追い込まれていくわけだ。
そして、本作はここからもいつもと違う。いつもなら、京極堂が出張って来て、やれ拝み屋だ、やれ憑き物落しだ、と言って、圧倒的な知識に裏打ちされた巧みな話術で、謎を「解体」していく。それこそ、絡まった糸を慎重にほぐすように。割れたガラスを慎重に繋ぎ合わせていくように。
しかし、今回は榎木津が事件を解決する。特に打ち合わせもなく始まる榎木津の作戦に、京極堂はいやいや参加する、という形だ。榎木津のステージで振舞う京極堂の存在感はやはりいつもよりは薄く、榎木津が、その奇態と奇行によって事件をかき回し、そして最終的には「粉砕」してしまう。まさに、あとかたもなく、だ。それこそ、絡まった糸にいらついて切り刻んでしまうように。割れたガラスをさらに粉々に砕くように。
二人を除く登場人物は、その解決への作戦の手助けをするのだが、自分が何をしているのかさっぱりわからない。というか、何を解決するのかすらわかっていないことすらある。あれよという間に何かが終わり、どう終わったのかはわかっても、何が終わったのかわからず、結局京極堂辺りに、何が起こったのか愚問を呈することになるのだ。
というわけで、それぞれのストーリーを紹介しようと思う。

<鳴釜>:僕(結局最後まで本名が明かされることはなく、榎木津にはいつものように毎度違う名前で呼ばれ、時には珍妙な偽名を拝命することになる、全編通しての視点人物)の従兄弟が自殺未遂をした。聞けば、輪姦され、あまつさえ子を生したのだという。輪姦したのは、ある高級役人の息子とその取り巻きだということはわかっているのだが、先方は金はくれてやる、という態度で謝罪もなく、僕はどうにかしたいという一心で知り合いにそうだんするのだが、そこで何故か悪名高き名探偵榎木津礼次郎を紹介される。探偵に何を依頼していいものかわからないまま、薔薇十字探偵事務所へ赴けば、そこで警察下がりの益田に、身の上を話す羽目に。謝罪は難しいとする益田を一喝した榎木津は、同じ目に遭わせてやると息巻く。さて、一体どうなることやら…

<瓶長>:榎木津の父からの依頼で、タイのお偉いさんに献上する瓶を探すように命じられた榎木津。もちろん自分で動くわけもなく、下僕である古物商の今川を呼びつけ探させる。一方で、珍妙な屋敷があると聞き及んだ僕は早速そこへと行ってみると、そこにはもう、屋敷中を壷で文字通り埋め尽くされた異様な光景が広がっていた。何でもそこには、榎木津の父が捜し求めている瓶があるとかないとかいう話で、しかもそこにはある古物商と金融屋とやくざが絡んでいるのだという。榎木津の父の可愛がっていた愛亀が逃げ出し、その捜索も命じられるなど、よくわからないまま事件は混迷し、混迷に応じて榎木津は大暴れしていき、文字通り粉砕しまくっていく…

<山颪>:これまた榎木津の父筋で、山嵐を探す羽目になった榎木津。しかし今度は榎木津自身が山嵐のとげとげを見たいようで、楽しんでやっているらしい。それはそれとして、僕はたまたまなのかなんなのか、珍妙な話を聞くことになる。あの箱根の坊主の事件で関わった修行僧二人が京極堂を訪れ、何でも大分昔の僧の同期に連絡をとったところ、その彼がいるようないないような、よくわからない応対を受けたのだという。初めはいないと言っていたのに、後から死んだととってつけたように言われたらしい。何でもその彼がいるはずの寺は、今はちょっとした有名な食い物屋になっているようで、角界の著名人専用の美食クラブなのだという。美術品ばかり狙う窃盗団の話も絡んできて、榎木津の奇行もさらにパワーアップ…

本作は何より、他の京極作品よりも遥かにわかりやすいです。今までの作品を読んでいないとわからない登場人物も何人かいるし、以前に扱った事件にもさらりと触れるので出来ればシリーズを続けて読んだほうがいいとは思うけど、あの厚い物語を読めそうにない、という人は、一足先に本作を読んでしまってもいいと思います。そうすれば、榎木津や京極堂をはじめとするキャラクターの面白さに触れることができ、他の作品も読みたくなることだろうと思います。京極夏彦入門として僕はお勧めしたいと思います。

京極夏彦「百器徒然袋―雨」