黒夜行 2010年01月24日 (original) (raw)


不幸な出来事は年末に起こった。とある学会に出席するために乗ったフランス行きの飛行機が墜落し、教授は帰らぬ人となってしまった。その事実を知った志保は、自分の人生がリセットされた、と思った。頭の中が真っ白になって、しばらく何も考えることが出来なかった。徐々に気持ちが回復してきた志保は、自分がこれほどまでショックを受けているという事実に驚いた。教授の存在は志保にとって、それほど大きなものになっていたのだった。それを改めて噛みしめて、ようやく志保は涙を流した。マルイさんを失った時とは違う、穏やかな涙だった。もうあんなに全力で泣くことは出来ないのだなと思い、その哀しみを、教授を失った哀しみの傍にそっと寄り沿わせた。大きな哀しみの傍で、その小さな哀しみはいつまで経っても色を失うことがなかった。

「失踪シャベル 2-4」

本日、というかもう日付は変わっていますけど、二度目の更新です。
内容に入ろうと思います。
本書は、著者名から分かる人は分かるでしょうが、少し前まで現役のAV女優だった人が書いた自伝みたいな作品です。
AV女優になる人には色んな人がいる、というのは聞いたことがあります。お金のためと割りきってとか、そのパターンの一種でしょうけど借金のためにとか、そういう人もたくさんいるんでしょうけど、そうじゃない人もたくさんいるようです。
森下くるみも、そんな後者のタイプだったようです。
秋田に住んでいた頃、とにかく父親に怯えながら弟と母親と暮らしていた日々。理解できない原因でキレる父親と、毎晩のように繰り返される狂気のような夫婦喧嘩。狂言自殺をするために母親が玄関で灯油を被るとか、森下くるみ自身もボットン便所に落とされそうになったとか、なかなか壮絶な家庭だったようです。
工業高校卒業後、とにかく家を出たかった森下くるみは、いろいろあって東京の食品会社でレジ打ちをすることになった。
状況してしばらくして、変なオッサンから声を掛けられた。簡単に稼げるとかいろいろ言っていたけど、正直興味はなかった。その当時、月10万円の月収で生活していた。物欲がほとんどなかったから、簡単にお金が稼げるとか言われても興味がなかったのだ。
しかし森下くるみは数日後、とある事務所に行っていて、そしてソフト・オン・デマンドというインディーズの会社の専属のAV女優になる。
すべてをリセットするために、一度脱ぐことが必要だった、と森下くるみは語っている。
森下くるみは、自身が唯一自信を持っているものを挙げるとすれば、「感覚」だ、と言っています。嗅覚や直感。恐らくその時も、その「感覚」が働いたのでしょう。レジ打ちをして一生を終える自分と、新しい世界に飛び込んでいく自分と。
セックスの経験もあまりなく、というかセックスを気持ちいと思ったことがあまりなかった森下くるみは、そんな感じでAVの世界に入り、まったくのど素人からプロフェッショナルへと、そしてやがてAVクイーンと呼ばれるまでになっていく。
辛いこともあったし、哀しいこともあった。
それでも、この世界と出会えたことを森下くるみは良かったと思っている。
そんな感じの内容です。
本書は、大きな括りをしてしまえば、芸能人本みたいな感じに扱われるでしょう。僕は芸能人本もそこそこ読んだことがありますけど、やっぱり文章的にはなかなか厳しいものがありますね(ゴーストライターが書いていることもあるんだろうけど)。
でも本書は、そんな芸能人本とは一線を画す作品だと思います。そもそも森下くるみは、「小説現代」に短編を一作(今の時点ではもっとかもしれないけど)発表しているようで、それを読んだ花村萬月が、森下くるみには才能があると感じ、本書の解説を引き受けているほどです。僕も読んでいて、荒削りだなとは思いますけど、文章がかなりきっちりしていると思いました。僕が荒削りだなと感じた部分は、言葉をまだうまく選びきれていないような気がするという点なんですけど(もっと適切な言葉を選べるんじゃないかと思える部分が結構あるように僕には思えました)、でも、難しくない言葉で深い内容を表現するとか、全体の構成とか、独特の雰囲気とか、結構いいなと思いました。落ち着いた筆致で淡々と書き進めっているのが僕の好みともあっていて、なるほどこの文章で小説を書いたらちょっと面白いものが出来るかもしれないな、と思ったりしました。もし小説作品が出るようなことがあったら、気にしてみようと思います。
僕がこの作品でもっとも共感できた部分はこの部分です。

『あたしは何も考えていないのに、「何を考えているのかわからない」などとよく人に言われた。
言いたいことなんて何もない。ずっと一緒にいてほしいと思うと同時に、放っておいてもらいたい。その矛盾に、あたし自信も随分と苦しめられた。
変化など望んでいない。悲しくて泣くとか、うれしくて笑うとか、いちいち感情を出すのが、とてもおっくう。
それじゃなくともそんな感情、だいぶ前に無意識の下の下のほうに堕ちていってしまっていたはずだ。
うれしいと思っても、そんな簡単に笑えるもんなんだろうか。みんなは、本当におかしくて笑っているんだろうか。泣くこともそうだ。あたしは、感情と涙がうまく繋がらない。』

この部分、僕まるっきり同じだな、と思いました。
小説とか読んでてもよく、自分と似てるなぁとか思う登場人物とかいますよね。大抵そういうのって、読んでいる側がいろいろ補完してしまっていて、つまり読む方が勝手にそう思っているだけ、ということも多いと思うけど、何にしたって似てると思ってしまったんだからしかたない。
特に、『ずっと一緒にいてほしいと思うと同時に、放っておいてもらいたい。』っていうのは凄くわかる気がする。
まあ僕の場合、ずっと一緒にいてほしい、なんてのはあんまりないんだけど、一人でいたいわけじゃないんだけど、でも放っておいてほしくもあるというのは凄くよく分かる。森下くるみが感じているのとはまた違うものかもしれないですけどね。
あと、『変化など望んでいない。悲しくて泣くとか、うれしくて笑うとか、いちいち感情を出すのが、とてもおっくう。』も、その通りだよな、と思います。僕も、変化が大嫌いで、とにかく変わらない日常が過ぎて言ってくれるのが一番楽でいい。それに、哀しいから泣くとか、嬉しいから笑うというのが、僕もよく分からない。笑う方は、処世術として意識的に身につけた部分はあるんだけど、泣く方はホントによくわからない。映画見て泣くとか、小説読んで泣くとかいうことはよくあるけど、哀しいから泣くというのはたぶん人生振り返ってみてもほとんどないと思う。片手で数えられるくらいかなぁ。覚えてないだけかもしれないけど。
まあそんな風に、凄く似てるなと思えたからこそ、作品全体や文章についても共感出来たのかもしれない、と思ったりします。まあ文章とかは普通の水準だと思うし、それまで文章とかを発表したりしたことがない人にしてはかなり上手いと思いますけど。
あと、自分がAV女優だと人に告げた時の相手の反応がいろいろで興味深いみたいなことを書いていました。「すぐヤラせてくれるんでしょ」みたいな人から、「AV女優には見えないくらい話し方もしっかりしてるし普通だし」と変な褒め方をされたりまで。
でも、AV女優だと言われる側も結構大変だよな、と思っちゃいました、この作品を読んで。
喩えは悪いけど、例えばそれってカツラと同じようなものじゃないかな、と思うんです。
例えば、僕はハゲてもカツラとかつけたくないし、ハゲを隠したりしたくはないと今は思ってるんだけど、例えばまあ僕がカツラをつけるとしましょう。で、時々「私はカツラなんですよ」と告白する。
「私AV女優なんです」という告白は、それに近くないか?
「うん知ってるよ、バレバレじゃん」みたいなものから、「へぇ、カツラなんですか、全然見えないですね」というものまでいろんな反応が考えられるだろうけど、でも「カツラだ」と告白された時の反応のしずらさは、された経験はないけど想像するだけでもなかなか難しいだろうなと思います。
「AV女優なんです」という告白も、それに似て反応に困るだろうな、と思います。
僕は別にAV女優が賎しい職業だとは思っていません。プロ意識のないAV女優はともかくとして、森下くるみのような、プロ意識がきっちりあって、しかもその業界でトップにまで上り詰めたような人は、僕なんかよりずっと凄いと思うし、普通にサラリーマンなんかやってる人より全然素晴らしいと思います。
だから僕としては「AV女優なんです」という告白をされたら、そういう考えを伝えたいんだけど、でもそれってなかなか伝えるの難しいと思うんだよなぁ。相手がその言葉を素直には受け取ってくれないだろうしね。だから反応に困るだろうな、と思います。まあそんなことを考えました。
あととにかく印象的だったのは、白いウンコの話しです。AVの企画物の中には、精液を100人分ぐらい飲むみたいなものもあるんだけど、精液に当たって腹を壊したりするらしいし、排泄される時は白蛇みたいに真っ白なウンコになるそうです。すごい話ですね。
まあそんなわけで、なかなか面白い作品だと思います。文章もきっちりしていると思います。価値観みたいなものも結構普通の人とは違っていて面白いんじゃないかなと思います。読んでみてください。

森下くるみ「すべては「裸になる」から始まって」