黒夜行 2010年01月29日 (original) (raw)

カナちゃんは、全体的に今風という表現がぴったりな女の子だ。服装も、あの雑誌を参考にしてるのかな、と想像できるようなまとめ方だし、髪型もどことなく人気の女性ミュージシャンっぽい雰囲気がする。大学に入ったのも、とりあえずもう四年間遊ぶため、というような感じで、どこの大学にもたくさんいそうな類の女の子だ。高校時代カナちゃんとはほとんど関わったことがないはずだからちゃんとは憶えていないけど、こんな女の子じゃなかったような気がする。どことなく雰囲気に微妙な違和感を覚えてしまうのも、大学デビューだからだろうか。よく言えば、発展途上という言い方も出来る。
「ベアはスープパスタかぁ。何にしようかなぁ」
ベアというのはカナちゃんのこと。アカネちゃんはカナちゃんをそう呼ぶのだ。カナちゃんがいつも使っているお気に入りのバッグに、大きなクマのぬいぐるみがついているからそう呼ぶようにとなった。初めは「プー」ってあだ名だったんだけど、カナちゃんが「さすがにそれは勘弁」と言ったので、ベアに落ち着いたのだ。

「失踪シャベル 3-2」

内容に入ろうと思います。
本書は、脳科学者として第一線で活躍している研究者である著者が、自身の母校である高校で高校生向けに行った講演を書籍化したものです。全校生徒を対象にした講義一遍と、その後強い関心を持ってくれた人9人を対象にした講義3編が収録されています。
内容としては、最新の実験結果をふんだんに織り込みながら、脳がどれほど奇妙な存在なのか、そして、脳によって生み出されるように思える「心」とは一体なんなのか、というようなことについて書かれています。
内容については後で具体的にいろいろ抜き出して書こうと思いますが、まあとにかく素晴らしい作品でした。素晴らしい!前に同じ著者の「進化しすぎた脳」という新書を読んだことがあって、それも素晴らしかったですけど、こちらももう大絶賛ですね。素晴らしすぎました。
科学とか数学とかを扱った作品というのは、大きく二種類に分けられると思うんです。『興味を持たせる作品』と『興味を深める作品』です。
歴史とか経済についての本だと、『興味を持たせる作品』というのは結構出ている印象があります。これは僕の勝手な印象ですけど、歴史とか経済とかっていうのは、いわゆる専門家でなくてもある程度知識を深めることが出来るし、歴史なんかだと在野での研究も出来たりするからかな、と思うんです。
でも理系分野の場合、そうはいきません。第一線の研究結果を知りたければ、研究者かサイエンスライターになるか、あるいは彼らが書いた本を読むしかありません。しかし研究者にしてもサイエンスライターにしてもそうですけど、なかなか一般向けの本、つまり『興味を持たせる作品』というのは書いてくれないんですね。たぶん、出してもあんまり売れない、みたいなところが根底にあるんだと思うんですけど。
だから科学とか数学に関する本は、『興味を深める作品』が実に多いというのが僕の印象です。
でも本書は、『興味を持たせる作品』なんですね。科学的な知識がほとんどなくても、脳科学にもともと興味がなくても、本書を読めばかなり多くの人が『面白そう!』と感じるのではないかな、と思います。しかもそれを書いているのが、サイエンスライターとかではなくて、第一線で活躍している研究者なわけです。なかなか第一線で活躍している研究者が一般向けに本を書いてくれることはないし、しかも大抵の場合そういう専門家が書く本というのは難しくなってしまう傾向がある中で、本書の分かりやすさ読みやすさは驚異的なものがあります。最近では、脳科学というと胡散臭い本ばっかり出ていますけど、本書はそういうものとはまったく違う、きちんとしたサイエンスの本です。それでいて、文系の人でも充分読めて、しかも脳科学にさらに興味をもつのではないかな、という内容です。
ちなみにですが、第一線の研究者が一般向けの本を書く(本を書いたり講演をしたりという活動を「アウトリーチ活動」というらしいです)ことに批判を受けたりすることがあるそうです。本書のあとがきに書かれているんですけど、そこでの著者の姿勢は素晴らしいなと思いました。
批判にはこういうものがあるようです。

『科学とは難解なもの。もし簡単なものだったら専門家は必要ない。それを一般向けにかみ砕く行為は真実の歪曲。嘘を並べ立てて啓蒙とはおこがましい』

『研究者ならば科学の土俵で社会に貢献すべき。アウトリーチ活動は実のところ社会還元にはなっていない。餅は餅屋。一般書はプロのサイエンスライターに任せるべきだ』

『科学者は誰もがなれるわけではない。選ばれしエリートである。だからこそ税金から多額の研究費が注ぎ込まれている。個人の趣味に時間を費やすのは無責任な造反である』

著者はこれらについて、『なかには科学者視点に偏った意見もあるように感じられますが、しかし厳密な意味で、私にはこれに反論することができません』と書いています。謙虚ですね。
僕はムカツクんで反論しましょう。一番初めのは論外でしょう。反論する価値もないけど、じゃあ『あなたが理解している科学的知識』は、『あなたが理解出きている』という理由で『間違っている』んですか、と聞きたいですね。
二つ目は、アウトリーチ活動ほど後進を育てることに有効なものはないと思います。特に今日本は理系離れと言われています。サイエンスライターにまかせろと言うけど、日本のサイエンスライターにしたって数が知れてるだろうし、自分の研究分野について書いてくれるとも限らない。結局第一線にいる研究者が自分の言葉で語ることが、もっとも後進を育てることに有意義なのではないでしょうか。
三つ目は、確かに『間違ってはいない』意見なんですけど、穿った反論をすれば、じゃあ政治家はいいわけ?と言いたいですね。他の人間だって間違ってるんだからいいじゃん、という反論は反論としては弱いですけど、税金から多額のお金が流れているのに、という文句を言いたいなら、まず政治家に文句をいいなさい、と言いたいですね。
まあそんなわけでちょっとムカついたんで反論してみましたけど、とにかく本書は素晴らしい本だということを言いたいわけなんですね。
さて前置きが長くなりましたけど、ここからは本書の内容をいろいろかいつまんで抜書きしてみようと思います。
まず、科学的姿勢について注意をした話で面白い例が二つありました。実際の研究論文であるようですが、『理系の人は人差し指が短い』というデータと、『天然パーマの人は知能が低い』というデータがあるらしいんです。
でもこれらのデータは、データ自体は間違っていませんが、背景がきちんとあります。まず人差し指の方は、遺伝的な理由により、『男性の方が人差し指が短い』というデータがあります。で、理系には男性が多い。だからこそ、『理系の人は人差し指が短い』となるわけです。
また天然パーマの方は、全世界的にデータをとった場合の結果なんですけど、アフリカがかなり影響を与える。アフリカ人が頭が悪いというわけではなくて、でもどうしても教育や環境のために知能指数は低くなる。アフリカの人は天然パーマが多い。だから『天然パーマの人は知能が低い』となるわけです。
この二つから著者は、サイエンス、とくに実験科学が証明出来ることは「相関関係」のみであり、「因果関係」は絶対に証明できない、という話をまずします。これはなかなか面白い話だなと思いました。
面白い実験が紹介されています。恋愛に関する話題の時に出てきたものなんだけど、実験はあるマジシャンが二枚の写真を見せる、というものです。その二枚の写真から好みの女性(あるいは男性)を選んでもらう、という実験です。
たとえばある人が左側を好みの女性として選んだとしましょう。するとマジシャンはカードを伏せてから、その人に手渡します。ところが実際には、カードはマジシャンによってすり替えられ、もう一人の右側の女性の写真が手渡されるんです。つまり、好みでない方の女性の写真が手元に来る。
さてこれで、さっき選んだ写真と違うと気づくか、という実験らしいんですけど、これが気づかないらしいんです。「変化盲」という名前がついている現象らしいんですけど、凄いですよね。
しかもその後、どうして左側の女性を選んだんですか、と聞かれると、「イヤリングが似合ってるから」とか「金髪がいいから」とか言うらしいんです。元々自分が選んだ写真はまったくそういう特徴がなかったにも関わらずです。人間の脳ってアホみたいですよ。
これまた恋愛の話ですけど、相手に自分を好きにさせるにはどうしたらいいか、という話で、『相手からプレゼントをもらう』『相手に何か手伝ってもらう』のがいいらしいですね。
人間の脳というのはアホなんで、自分がしている行動から感情を決定しようとするらしいんですね。つまり、『好きでもないのに手伝っている』というのはおかしい。でも実際自分は今手伝っている。ということはつまり、自分はその人のことは実は好きなんだ、というような思考をするんだそうですよ。みなさん覚えておきましょうね。
脳科学が進展したために、「直感」というものも科学として扱えるようになったようなんです。この直感に関する実験とかを紹介するのはなかなか難しいんで(ブーバ・キキ試験とかだったら、その名前で調べれば出てくると思うんで調べてみてください。面白いですよ)、「直感」と「ひらめき」がサイエンスの土俵ではどんな風に定義されているかだけ書きます。
「ひらめき」というのは、思いついた後に理由が言えるんです。「これこれこうで、こうだったんだ。さっきまでは分からなかったけど、今は分かるよ」というのがひらめき。
一方で「直感」というのは、自分でも理由が分からない。「ただなんとなくこう思う」というのが直感なんですね。
実際に「直感」と「ひらめき」では担当している脳の部位が違うみたいです。しかし直感に関する実験はほんとに面白い。
人間は思い出しやすいものを多いと感じる。たとえば、パで始まる単語とパで終わる単語、どっちの方が多そうかと聞かれれば、パで始まる方が多そうな気がする。何故ならたくさん思いつくから。実際どっちが多いかは分からないけど、でも感覚として僕らはそう思う。
あるいは、「自分は自主的な人間だと思いますか」と質問する実験がある。その時、「過去に自主的に行動した例を6つ挙げてください」と言われてから思い出したグループは、そうでないグループに比べて、自分を自主的な人間だと判断する人が多かった。
しかし面白いことに、12個挙げてくださいと言われると、逆に自分が自主的だと判断する人は減る。何故なら、12個も思いつかないから。12個思いつかないということは、自分はそんなに自主的な人間ではないのかもしれない、と判断してしまうみたいですね。面白いものです。
好みについての実験。被験者にヘッドフォンの使用感を評価してアンケート用紙に記入してもらう実験をした。その後、日を改めて被験者に集まってもらい、今度は二本のペンを渡してそのペンの評価をしてもらう。
この実験の意図は実はペンの好き嫌いを調べることで、渡される二本のペンの内、一本はヘッドフォンを評価した時に使ったペン、そしてもう一方は初めて使うペン。
回答者の傾向として、素晴らしいヘッドフォンですね、とポジティブな回答をした人はその時に使っていたペンまで好きになるみたいです。好き嫌いというのは、そういう意識にはっきりのぼる理由がないままに決まって行くものみたいです。
脳には、幽体離脱を起こす部位というのが存在するらしくて、そこを刺激すると幽体離脱をしているような感覚になるみたいです。幽体離脱というのは現実に存在する物理的な現象みたいです。
『自由意志』についての最も有名な実験。被験者に椅子に座ってもらって、テーブルに手を置く。目の前の時計を見ながら、好きなときに手を動かす、ということを試してみた。その時の脳の活動を測った。
ここで測れることは四つある。まず自分がどう感じるかという認知の問題。「手を動かそう」という自分の意志と、「手が動いたな」とわかる知覚。あと、脳の活動が二つ。手を動かすための「準備」をする脳活動と、実際に動くように出す「指令」の脳活動。
この四つ、「手を動かそう」「動いた」「準備」「指令」がどういう順番で起こるかということを測定してみた。
普通に考えれば、
「動かそう」(まず自分が動かそうと思う)→「準備」(それを受けて脳が準備する)→「指令」(動かせという指令を出す)→「動いた」(動いたと感じる)
という流れになるはずでしょう。
しかし実際はこうだったようです。
「準備」(僕らが手を動かそうと思う前からもう脳は準備をしている)→「動かそう」(脳が準備をしてから動かそうという意志が現れる)→「動いた」(脳が指令を出す前に動いたという感覚がやってくる)→「指令」(僕らが動いたと感じた後で脳から指令がやってくる)
これは凄いと思いませんか?ここから高校生たちは、人間に「自由意志」はあるのか、という議論になり、最終的に人間にあるのは「自由否定」なのだ、という結論に達することになります。
まあここに書いたのは本当に一部ですけど、そういうような様々な驚くべき実験と知見が載っていて、本当に知的興奮が味わえる作品です。
本書を読んでいて一つ自分の仕事に関わるかもということがありました。僕は本屋で働いていて、POPなんかも作る(というか、僕が文章を考えて、絵とか字はいろんなスタッフに書いてもらうんだけど)んだけど、僕はなるべくPOPの文章には、『内容を紹介しすぎない』ということと『褒めすぎない』ということを重視しています。そしてとにかく『目立つこと』が重要で、『手にとってもらえること』が重要だと思っています。
『内容を紹介しすぎない』とか『褒めすぎない』というのは、たとえばPOPを見ただけで興味ないやと思われて手に取ってもらえなかったりするのは困るし、すごい褒めたりすると、もしそれを読んだお客さんがつまらないと思った時、僕が作るPOPの信頼度が下がるよな、というようなことを考えていたわけなんですけど、脳科学的に見ても僕のやり方は悪くないかも、と思ったりしました。
『内容を紹介しすぎない』ことで、手に取って裏表紙の内容紹介を読もう、という気になるかもしれませんよね。そうすると脳としては、『わざわざ自分が手を伸ばして取ったのだから、もしかしたらこの作品は面白いのかもしれない』と思ってくれるかもしれません。さらに『褒めすぎない』ことで、スタッフが褒めているから買うのではなくて自分の意志で買うのだということを強く認識させることが出来るのかもしれない、と思いました。まあ分かりませんけどね。
まあそんなわけで最後ちょっとよく分からない話をしましたけど、そんなわけでとにかくべらぼうに面白い作品です。本書は、理系の作品にしては珍しく、科学とかにまったく興味のない人間に『興味を持たせる作品』なので、文系の人とか、別に脳科学とか興味ないなぁみたいな人にもオススメです。また、脳科学って最近胡散臭くねぇ、とか思っている人にもオススメです。是非是非読んでみてください。

追記)amazonのコメントはほとんどが大絶賛だけど、少数がかなり厳しいコメントをしている。大雑把に要約すると、『心ってこの作品に書かれてるほど単純じゃないよ』ということなんだと思う。うまく反論できないんだけど、本書は『高校生を啓蒙したり興味を持ってもらう』ことを前提とした講演がベースになっているんだから、別にいいんじゃないかな、と思うんだけど、反論として適切じゃないかな。どうなんだろう。

池谷裕二「単純な脳、複雑な「私」 または、自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義」