黒夜行 だれもが知ってる小さな国(有川浩) (original) (raw)

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今でこそ、かなりたくさんの本を読んでいるけど、子供の頃から本好きだったわけではない。本好きの子供が絶対に通るような鉄板的な本を全然読んでこなかった。星新一とか江戸川乱歩とか、児童文学一般とか。小学生の頃は、「ズッコケ三人組」しか読んだ記憶がない。
だから、「誰も知らない小さな国」という、コロボックルの物語も、一度も読んだことがない。
子供の頃から国語の授業が大嫌いで、マンガも読まず、ゲームもやらず、アニメを見るわけでもないという生活をしていたので、日常の中でファンタジー的な要素が入り込んでくることがほとんどなかったような気がする。空想をするようなこともなく、だから僕には、コロボックルという存在が魅力的であるということがうまく理解できないでいる。いや、実際にいて、自分の目で見ることができるなら、テンションが上がるだろう。でも、たぶんいないだろうと思ってしまうし、「いるかもしれない」という風に自分の気持ちが高まることはちょっとない。
本当は、そんな反応が出来る人を羨ましく思うこともある。空想的な存在を、リアルな質感で捉えることが出来る人はいいなと思う。本当は、そういう感覚がある方が、本書に限らず、本全般を楽しく読めるんだろう、という気はする。そういう意味で、自分はちょっとつまらない人間だなぁ、と思う。
コロボックルがもし存在するとして、「大人になるまで喋ってはいけない」という約束を守れるだろうか、と考える。友達になるために、そんな条件を課してくる奴はちょっと嫌だな、と思うかもしれない。そりゃあコロボックルの側も、人間に酷いことをされてきたんだろう。慎重になって当然なのかもしれないけど、なんだかなぁ、という気がしなくもない。どうもコロボックルに対して冷めた見方をしてしまうなぁ(笑)。別に敵視しているわけではないんだけど。
どうせ空想なら、技術の延長上の空想が好きだ。テレポーテーションは、原子レベルではもう実現化されているし、透明マントも実現するだけの理論的な素養が出来ている。ナノレベルの技術が、かつては考えられなかった様々な進歩を生み出しているし、理論上タイムトラベルも可能らしい。今は実現不可能だけど、未来には誰かが実現しているかもしれない。そういう空想の方が、僕は好きだなぁ、と思いました。

内容に入ろうと思います。
「はち屋」というのは、養蜂家のことだ。ヒコははち屋の息子で、季節ごとに様々な蜜を取るために、蜂と共に移動しながら生活している。当然、小学生のヒコは季節ごとに学校を転向することになる。はち屋の息子はタフネスなのだ。
東北での生活が終わり、毎年夏は北海道で過ごす。毎年同じ学校に転校するので、挨拶もあっさりしたものだ。しかし、今回はちょっと違った。まったく同じ時期に、女の子の転入生がやってきたのだ。名前はヒメ。ヒコと同じ、はち屋の娘だ。可愛いヒメは、すぐにクラスの人気者になった。ヒコもヒメと仲良くしたかったが、ドッジボールでボールをヒメの顔面にぶつけたことが気まずくて、それ以来うまく話せないでいた。
ある日ヒコは、小人と遭遇することになる。コロボックルのことを知らなかったヒコは驚いた。その後、急激に仲良くなったヒメから「誰も知らない小さな国」のことを聞き、夢中で読みふけってしまう。
はち屋の少年少女と、小さな小さな小人たちとの交流を描く物語。
有川浩はやっぱり物語を紡ぐのが巧いなと感じます。僕自身、冒頭で書いたように、コロボックル自体にはさほど興味がないんですけど、有川浩の物語はスイスイ読めてしまいます。コロボックルという存在ときちんと向き合い、それ故に社会の中で若干の苦労を強いられる人々の物語は、大きく盛り上がりを見せるわけでもないのだけど、面白く読めてしまいます。
はち屋、という設定がまず実に良いなと思います。職業の取り上げ方は、三浦しをん的だなと感じます。普通の人が描かなそうな職業の人にスポットを当てる。はち屋もそうで、僕は本書を読むまで、はち屋が季節毎に移動していることを知りませんでした(すべてのはち屋がそうなわけではありませんが)。そして、はち屋であるということが、物語上重要になるシーンもいくつかあって、そういう部分も良く出来てるなと感じます。しかしほんとに、季節ごとに転校しなきゃいけないとか、大変だろうなぁ。
主人公のヒコは、ごくごく普通の少年ですが、ヒメの方がなかなか魅力的な存在として描かれています。都会から来た可愛い女の子、の割に男子に混じっても臆することがないし、大人に対しても自分の意見をはっきりと伝えることが出来る。ヒコが、何が正しくて何が間違っているのか迷っているような場面でも、ヒメはすぐに自分の意見を伝えることが出来る。そういうところは素晴らしいですね。
作中でコロボックルが大ピンチに陥る場面があるのだけど、そういう場合でも、ヒメは自分が出来る範囲の中で精一杯努力して考えてやれることを探す。子供だから、という言い訳に逃げないで、何か出来ないかと奮闘する。子供の頃は女の子の方がしっかりしてるものだろうけど、それにしてもヒメはよく出来た女の子だなと思います。
物語の途中で、ミノルという青年と出会うのだけど、ヒコ・ヒメ・ミノルの三人の関わり方も実に良い。こういう人間関係は、なかなか大人になると難しくなってしまう。子供だからと言って必ず生み出せるわけでもない。ヒコとヒメが、とても気持ちの良い子供で、ミノルも実に気持ちの良い大人だったからこそ成り立ち得るのだろう。
基本的に、悪い人間がほとんど出てこない物語だ。それは、「誰も知らない小さな国」という、原案あっての物語だから、という理由もきっとあるだろう。原案を汚すような真似は出来ない、という配慮があるのではないかと思う。そういう意味で、若干の物足りなさを感じる部分はある。ある見方からすれば悪いことをしようとする大人は出てくるのだけど、しかし完全に悪いわけではない。善人しか出てこないために、物語の起伏がなだらかになっているという部分もあるだろう。とはいえ、ある程度は仕方ない部分だろう。
僕自身が、そもそもファンタジーというものにあまり関心がないために、そこまでテンションが上がる物語ではなかったのだけど、有川浩らしいよく出来た物語だなと感じました。

有川浩「だれもが知ってる小さな国」

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