「童貞のまま結婚した男」の記録 (original) (raw)

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先日、飲み会で20代の後輩が言っていたことが印象に残っている。

彼曰く「テレビで典型的な美人が何度も何度も映っていると鳥肌が立つからチャンネルを変える」のだそうだ。

要は、メディアのゴリ押しでステレオタイプの美人が何度も何度も画面に映っていると、無理やりそれを見せられているという感覚に陥るようだ。

私からすれば、テレビなんて人気者を出してなんぼの世界だから当たり前だと思うけれど、彼からすると、自分が目にするものを自分で選ぶことができない感覚にサブイボが立つような感覚があるらしい。

時間泥棒に自分の時間を奪われている感覚が気持ち悪い。

そんなところだろうか。

これがジェネレーションギャップというやつか。

なんだかんだ30代終わりの私はテレビ世代ど真ん中だ。

配信系の走りであるニコニコ動画が流行ったのは大学生の頃くらいだったと記憶している。

20代の後輩は、そのころ小学生だ。

そう考えると彼は配信世代ということになる。

自分の見るものは自分で選んできた世代ということだろう。

加えて、典型的美人に対する嫌悪感は、生成系AIの作り出す完璧な美人に対して覚えるものと同じなのかもしれない。

「人間味がない」

そこにリアリティを感じないから気持ち悪く感じる。

もしかしたら、これから先の未来はステレオタイプよりも個性が受け入れられる時代になるのかもしれない。

それぞれがそれぞれの特徴的な部分を「個性」として認めることができる。

そんな世の中に進めば、それが「多様性を認める」ということにつながるのだろうか。

少なくとも私の感覚よりは、彼の感覚のほうが未来につながっているのだろう。

時代はどんどん変わっていく。

ステレオタイプの美しさは、自由自在に生み出すことができる時代。

その先を考えると、優しい世界が待ち受けているような予感がする。

回る回るよ。時代は回る。

デジタルからアナログへの価値の転換。

ガンダムSEEDの世界みたいに、人間も遺伝子組み換えが可能となり、ナチュラルとコーディネーターがお互いを差別して戦争が起こるような世界よりはいいのだろう。

未来は、優しい世界に繋がっていると良いな。

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人は、自分の立場が上だと思うために、誰かを自分より低く見ることで相対的に自分の立場を上げようとする。

これは下の下の自尊心の満たし方。

私はこれまでこの行いをそのように表現してきた。

しかし、どこか無意識で本能的に、そのような行いに興じていることがある。

もしかしたら、これは人のサガなのかもしれない。

Mr.Children『HERO』の歌詞の中にこうある。

ダメな映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられていく。違う、僕らが見ていたいのは希望に満ちた光だ。

銃を乱射して、バタバタ人が倒れていくシーン。

ゲームの無双シリーズで、たくさんの敵がボタン一つでバタバタと薙ぎ倒されていくシーン。

私たちはそういうシーンに爽快感を覚える生き物なのだ。

人はみんな自分の立ち位置に不安を感じながら生きている。

だから、その不安を解消することに爽快感を覚える。

ただそれだけのことなのかもしれない。

自分の努力の果てに、自分のことを心から認めてあげることはできないのかな。

手軽に得られる爽快感に心を縛られてさ。

その先にある真の爽快感に目を向けることができなくなる。

それはある意味、惨めなこと。

人の成功を心から喜ぶことのできる人になりたい。

そうすることで、自分の成功も心から喜んでくれる仲間ができるはず。

そうやって、切磋琢磨していく中で真の爽快感を覚えることができれば、安易な爽快感に心を狂わされることなどなくなるんじゃないのかな。

浄化されていく。

私たちの心は、私たちの求めているものを知っているはずだ。

それなのに、簡単な代用品で満足していたら、どこか心にモヤモヤが残りやしないだろうか。

それが「満たされない」と感じる気持ちの正体なのかもしれない。

結局のところ、自分の心に嘘をつくことはできない。

世界の全員を騙すことができたとしても、自分の心は自分が世界を騙していることを知っているのだ。

心から納得できるような、そんな選択肢を選び続けたい。

例え、選択肢に納得できるものがなかったとしても、立ち止まって最善策を見出すことのできるくらい、実力を身に付けたい。

まだまだ私には力が足りないと感じる。

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最近だるさを感じることが多い。

体の体温調節がうまく行っていないようだ。

自律神経が乱れているのだろうか。

頭がぼーっとして、周りの話に思考が追いつかないことがある。

しかし、熱を測るとほぼ平熱で問題はない。

少し忙しくしすぎていたのだろうか。

ブログの筆も遅くなっている。

子供と同じ時間に寝た方がいいのかもしれない。

朝早く起こされるから、そこに時間を合わせないと睡眠時間を確保できない。

そうなると生活を大きく見直す必要がある。

体を保たせるために行動を抑える必要があるのかもしれない。

昔のように無理の効く体ではないのだ。

季節の変わり目でもある。

自律神経が弱っているのだろう。

今は休みを取る時期だ。

少し自重しよう。

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季節の変わり目だ。

喉が痛い。

私の風邪は喉からくることが多い。

悪化させないようにしなければならない。

10月は体調を崩しても休む暇がない。

11月も大差なさそうだ。

なんとか誤魔化しながら体調を回復させるしかない。

若い時は多少の無理をしても問題なかったが、今は無理をするとすぐに体に跳ね返ってくる。

その度に歳をとったことを実感する。

そして、これから先はさらに無理の効かない体になっていくのだろう。

それでも無理の効かなくなったからだと共に、これからの人生を歩んでいくしかないのだ。

それぞれにライフステージがある。

その時々で最善だと思える選択を繰り返していく。

その結果が間違えていたように思えても、その結果に責任を取り続けていく。

それに徹底することができれば、後悔のない人生を歩むことができるのだろうか。

少なくとも私は、自らの選択のさきにある結果を受け止められる人生を歩みたい。

今の喉の痛みもまた、私の選択した先にある結果なのだ。

しっかりと受け止めて、新たに今後の行動を選択したい。

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ここしばらく短期間で3連休が続く。

そうすると、通常の2連休の後の5連勤が辛いと感じる。

体は慣れてしまうのだ。

普段は当たり前のように2連休の後の5連勤で生活をしていたはずなのに、それが当たり前ではなくなると、体はそれに順応する。

当たり前に続けてきたことが当たり前ではなくなると、人はその環境に慣れていく。

定年退職をして拘束がなくなると、急速に老けていく人が多いという話を聞く。

何十年も毎日働いてきたところから、一気に自由を与えられるのだ。

自らの意思で時間の使い道を考えなければならなくなる。

時間の使い道を見出せずに持て余していると、どんどん腑抜けていく。

その結果として、急速に老けていくのだろう。

休日が忙しいと言っても、仕事で丸一日拘束されるよりは自由な時間がある。

朝起きる時間は平日よりも少し遅いし、家族と過ごす時間に癒されることも多い。

私にとって休日の方が負荷は少ないことが多いのだ。

人は楽な方向に流される。

ゆえに習慣の力に頼ることが大事なのだ。

負荷の高い行為でも、それが習慣になれば決まった頻度で行うことができる。

習慣によって人格が形作られると言っても過言ではない。

よく語学を身につけるためには3000時間の学習が必要だと言われるが、それを達成するためには習慣化が必要だ。

毎日1時間学習するとしても8年以上かかる。

それを淡々とこなしていくためには学習を習慣にするしかない。

私はブログを毎日6年間ほど書き続けている。

これは習慣化による賜物だ。

一つの記事を書くのに1時間もかけていない。

私が日本語を身につけるためには、まだ何年も書き続ける必要がありそうだ。

話が逸れてきた。

5連勤が辛いという話だ。

自らの意思で、休日のリズムを作らなければならない。

平日と変わらずに早く起きて、早く寝て、それを続けるだけでもメリハリがつく。

5連勤が辛いということは、私が休日をだらけて過ごしているという証拠だ。

気をつけなければならない。

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サービスを提供する人がいれば、

それを受ける人がいる。

そのサービスに需要がなければ、

対価を払ってそれを受けようと思う人はいない。

そのサービスに需要があるからこそ、

ビジネスは成り立つのだ。

提供するサービスに依存させること。

それができれば儲かるビジネスとなる。

酒、タバコ、ポルノ、ギャンブル、ゲーム、薬物など、人の欲望に直接訴えかけるものに対するサービスはなくなることがない。

「満たされない」

その感情は少しずつ蓄積されていく。

やがてそれが顕在化するとコンプレックスとして、その人の抱える課題になる。

だから、それを満たすためのサービスが必要になる。

それを満たされた時の快感が大きいほど、人はそれを満たす行為に依存する。

きっかけは些細なことなのだ。

依存症になるプロセスなんて、あってないようなもの。

誰もが些細なきっかけで依存症に陥る可能性がある。

コンプレックスを抱えて生きることは辛い。

それを食い物にしてさ。

どんどん依存させることで金を巻き上げる。

そういうビジネスをしている人は、どこかで足元を掬われる。

人の恨みを買うビジネスモデルだからだ。

いかにそれを正当化しても、自分は自分の行いを知っている。

人を食い物にして私服をこやしていることを知っている自分からは逃れることができないのだ。

それを誤魔化すために鈍感に変わっていく。

やがて心は動かなくなり、人間の皮を被っただけの人間ではない生き物に変わっていく。

真っ当ではないサービスは、受ける側だけでなく提供する側も少なからず傷を負っているのだ。

一度失ってしまった心を取り戻すためには、長い時間と周りのサポートが必要となる。

一時的に心を取り戻したとしても、また依存する対象に手を出して、同じことを繰り返す可能性は高い。依存症は目に見えない疾患なのだ。

それを治すことは並大抵のことではない。

人の心はさ。

簡単に壊れてしまう。

だけれども、その心こそが人の証。

それを大事に守っていかなければならない。

自分の心も他人の心も、

同じように脆く壊れやすいのだ。

そのことを忘れてはならない。

どうせ儲かるビジネスを行いたいならば、

「信頼」で繋がる関係を元にそれを見出せば良い。

他人のことを大事にする人には「信頼」が生まれる。

それがビジネスをする上で大きな武器になる。

リスクを負わず簡単に儲かる道などない。

いつ路上で刺されても良い覚悟があるのならば、

人を食い物にして生きていればいい。

全ては自己責任なのだ。

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衣替えの季節だ。

油断をすると風邪をひきそうなくらいに、

急に寒くなった。

出勤する時も上着を着るようになった。

しばらくワイシャツだったから違和感を覚える。

満員電車に乗ると暑かったりする。

調整の難しい季節だ。

からしたら、生まれて初めて寒い季節を経験する。

これから、どんどんいろいろなことを経験して成長していくのだろう。

それを身近で見ることができるということは、幸せなことなのだ。

自分の生まれてからの成長など、ほとんど覚えていない。

それを追体験できるのだから、こんなに楽しいことはない。

そう思いながら、今はできるだけ楽しいことを探して生きている。

大変なことばかりだからこそ、些細な日常に楽しみを見出すことができるのだ。

人生はそうやって流れていくのかもしれない。

気がつくとずいぶん遠いところに辿り着いている。

人類の歴史から見れば、私の一生など些細なものに過ぎない。

2時間の映画に例えれば、気がつくと終わっているような些細なワンシーンなのだ。

むしろそれにも値しないくらいのもの。

だから、変な気負いは必要ない。

生きたいように楽しく生きれば良いのだ。

今は衣替えの時期。

考え方も衣替えできる時期なのかもしれない。