もしビザンチン帝国が滅びずに存続し続けていたら : 歴史的速報 (original) (raw)

もし、パラエオログス王朝時代のビザンチン帝国が、もっと勢力を
盛り返してトルコ人もラテン人勢力も完全に叩き潰していたら、現代
まで存続したかも・・・
そしたら、どうなっていただろう。

4: テオドシウス4世 02/10/06 18:24

そしたらイスタンブルは今もコンスタンティノポリスって呼ばれて
いただろう。いや、コンスタンティノープルじゃなくて、イスタンブルは
「ネア・ローメー」と呼ばれていたかも。
それから国号もビザンチン帝国ではなく「ローマ帝国」そして
ビザンツ皇帝ではなく「ローマ人の皇帝」って称していたかも・・・
あな、おそろしや

6: 世界@名無史さん 02/10/06 18:25

ローマ教皇や日本の天皇(古代はオオキミ)が現在も存続してるから
東ローマ皇帝が現在にまで存続していたとしてもおかしくないぞ。

8: テオドシウス4世 02/10/06 18:28

そしたら、アウグストゥスの昔から現在にまで連綿と続く、
2000年以上の歴史を誇るすごい国になっていただろう。
日本天皇もローマ教皇も比じゃない。

11: ティトー 02/10/06 18:36

ああ、そしたらユーゴの内戦騒動もなかったわけだ。
スラブはローマ帝国連邦の自治共和国になっていたかも
そのほうがよかったよー。だって連邦主席の東ローマ皇帝が平和を
保証してくれるし

13: シモニス2世 02/10/06 18:41

仮想世界2002年10月6日の新聞の一面記事
・・・「テオドシウス4世、プレトリア将校の反乱で退位幽閉!
新カエサルにはオプシキオン軍管区司令官シモニス・アンドロニクス
が即位。」

17: 世界@名無史さん 02/10/06 19:09

もし東ローマが残っていたらローマ教皇など比べ物
ならない権威とか今は見れない儀式がいっぱいテレビ
でみれたかも。
古式にのっとった皇帝即位式とかも

19: 世界@名無史さん 02/10/06 19:12

そしたら19世紀には、ヨーロッパ列強の一員として
中近東なんかを植民地支配したかも。
うわ、ユスティニアヌス以来の地中海帝国の再現だ

28: 世界@名無史さん 02/10/07 00:32

>>19
それ以前に近代化の中心となって世界の大半がビザンツ領に・・・あわわ。

48: テオドシウス4世 02/10/07 13:17

>>28
そしたら日本人も「天皇陛下万歳」じゃなくて
「ローマ皇帝○○様、あなたは勝利者!」とか「ローマ皇帝万歳」
って唱えていたかも^^

23: 世界@名無史さん 02/10/06 19:21

18世紀以降はロシア王国(帝国じゃなくて)ないしソ連と熾烈に戦争
していたかも。<存続したビザンチン帝国

24: 世界@名無史さん 02/10/06 19:23

>1
そしたらローマ軍団とかコンスル、元老院とかいう
ものが現在にまで存続していたってことなるよね。
うわっ、コワ!!

25: 世界@名無史さん 02/10/06 19:26

議会制は導入していただろうね。それと
たとえローマ皇帝は存続していたとしても
ドミナートゥスは廃止されて普通選挙とか
民主主義制度の国にはなっていたろう。

ドミナートゥス

ドミナートゥスとは、帝政ローマ後期における政治形態の呼称である。「ドミヌス(dominus、主)による支配」を意味し、日本語では専制君主制(せんせいくんしゅせい)と訳される。

3世紀の危機と呼ばれる混乱期において、わずか1〜2年で皇帝が交代するという異常事態(軍人皇帝時代)となり、ローマ皇帝の権威は失墜した。 軍人皇帝時代の混乱の収拾を図るべく、皇帝ディオクレティアヌスは改革を行い、これ以降はローマ皇帝は建前としても実質としても、君主になったとされる。この体制を後世になって専制君主制(ドミナートゥス)と呼ぶ。

27: 世界@名無史さん 02/10/06 20:24

機械仕掛けの玉座とか見れたのかなあ。

受難のキリストを真似て顔に色を塗る皇帝とか。

29: 世界@名無史さん 02/10/07 01:05

ギリシア~バルカン、トルコ~ロシアにあたる領域が、まとまりのある正教圏
として、政治的にも繋がりの強い文明圏が残されたろうね。

31: 世界@名無史さん 02/10/07 01:53

ビザンツ皇帝って、ロシアのツァーリみたいな感じだからね。

ビザンツ帝国のそのものが存続しても、近代に入って共産主義革命で
倒されるような気もするな(笑

32: 世界@名無史さん 02/10/07 01:54

失われた帝国だから哀れをさそうが、存続してたらそうとう厄介な国だったようね。

34: 世界@名無史さん 02/10/07 02:22

ビザンツ=教皇領
ロシア=神聖ローマ帝国
みたいな感じで推移していくのだろうか。

36: 世界@名無史さん 02/10/07 02:42

>>34
スラブ民族がバルカン半島に南下してきて、ビザンチンはローマ教皇と
同じ様な事を画策した。そしてスラブ民族のギリシャ正教改宗に成功。
ここまでは、西ローマが辿った歴史と同じ。いや、それ以上。
が、歴史は皮肉にもイスラム教徒のトルコ民族を勝たせてしまった。。。

37: 世界@名無史さん 02/10/07 03:20

>>36
そうだね。
トルコ系騎馬民族ブルガール族もギリシア正教化することで最終的に属国化
まで繋げてしまった。

マヌエル1世には、オスマン・トルコをギリシア正教化してしまうことすら
目論んでいたらしい。もしも成功していたら・・・。無理か(w

49: テオドシウス4世 02/10/07 13:21

>>37

>マヌエル1世には、オスマン・トルコをギリシア正教化してしまうことすら
目論んでいたらしい。

改宗は無理だったけど、マヌエル帝は一応ルムセルジュークのスルタンを臣従させていますよね。
もし、マヌエル帝の政策がすべて成功していたら・・・と考えるとちょっとワクワクします。

38: 世界@名無史さん 02/10/07 03:31

トルコと同じように列強の草刈り場になった上、第一次世界大戦で
革命が起きてアボーンじゃないかな。つまり何もかわらん。

44: 世界@名無史さん 02/10/07 11:44

毎年西ヨーロッパからコンスタンティノポリスに莫大な数の観光客が来てただろう。

45: コンスタンティノス17世 02/10/07 12:56

>>44
古代ローマ以来の戦車競争や宮廷儀式のアトラクション
目当てにってか。
そしたら、案外、ビザンツ皇帝は観光客誘致のキャンペーン
に躍起になって金儲けしたかも。旅行会社に依頼して帝国推奨の
パンフまで作らせたりして、客集め

46: 世界@名無史さん 02/10/07 12:59

ロシアや清朝、他のヨーロッパ諸国同様、20世紀頭に
市民革命が起きて、ビザンツ帝国は倒れてビザンツ共和国か。
皇帝は国外亡命。

52: 【^▽^】病人ジョーカー 02/10/07 14:34

第一次世界大戦でドイツ側に付き敗戦。
その後、革命が起き帝政崩壊+大帝国崩壊(正教徒になっていても
トルコ語を保持していたアナトリア中部・東部の
トルコ系住民が独立。アルバニア人やブルガリア人や
クルド人や西アルメニア人も)。
1920年代末から30年代初頭に大ギリシャ帝国の
建設を主張する極右・民族主義勢力が台頭し、大統領府と
内閣と議会を制圧(勝利)。ナチス・ドイツと組んで、
敗戦・・・これじゃ哀しいかな。

53: 世界@名無史さん 02/10/07 14:47

一次大戦で革命解体したら
現イスタンブール周辺のルメリアだけ、
トルコのヨーロッパ側だけでビザンチンが残ったかんじかな。

55: 世界@名無史さん 02/10/07 15:15

一番の可能性としては、バグダッド・カリフと同様の状態を想像する。

オスマン帝国にローマ皇帝の命脈だけが保証され、宮殿だけが帝国の領土。
その中に軍隊も元老院もギリシア正教の教会も押し込められる。
皇帝の位は、スルタンが推薦し、元老院が承認し、近衛兵の前で宣誓をする。
しかし、皇帝としての仕事はスルタンの取り巻きのひとりとなるだけ。
元老院議員はスルタンが指名し、皇帝が任命する。
軍隊はイェニチェリ隊が兼務する。
ギリシア正教の大司教は、異教徒のスルタンが選ぶのはいくらなんでも、なので信者が選ぶ。

62: コンスタンティノス7世 02/10/07 17:35

>>55
もし、最後のローマ皇帝コンスタンティノス11世が徹底抗戦
を避けて、メフメット2世の降伏勧告に応じていたら、>>55のいう
シナリオに近い状態も有り得たかも。
メフメットはコンスタンティノスに、降伏すればモレアに領土を
安堵したうえに王位の存続も認めると勧告したから。

58: 世界@名無史さん 02/10/07 16:18

武家時代の天皇&バグダッドのカリフ&ビザンツのローマ皇帝
この3者、似てる。
実権はなくしたが権威と形だけは
中世以降(カリフだけは10世紀以降)も続いたという点で。
でも、ビザンツ皇帝は一文無しの天皇やカリフとちがって、古代ローマ
には及ばないけど、それなりの軍事力と領土は持っていたけど・・・

59: ニケフォロス・フォーカス 02/10/07 16:25

まあ、ビザンツ(ローマ帝国)は古代には全地中海世界
の支配者だったけど、中世以後は世界支配者から一国家
に実質的に転落したけど、名目上は、全キリスト世界を支配する
ローマ皇帝でありつづけたわけだから、日本天皇(=日本の名目上最高権力者)や
カリフ(=名目上全イスラム世界の支配者)と十分、共通点ある。

61: 世界@名無史さん 02/10/07 16:52

トレビゾンド帝国がイスラム化し、オスマン・トルコ帝国の一藩鎮として存続する。
やがてオスマン帝国の衰退とともに自立してギリシア正教の分派トレビゾンド正教を国教とする。
黒海沿岸を次第に征服し、第三のローマをモスクワと争う・・・・・・・なーんてね。

75: 世界@名無史さん 02/10/08 00:04

イスタンブールの片隅でバカチン市国を名乗り
観光収入で生き延びる・・・・・・・

79: 世界@名無史さん 02/10/08 17:47

ビザンツ帝国安泰→大量の学者、イタリアに亡命せず→ルネサンス不発!→宗教改革不発!
→プロテスタント消失?!→とりあえず凄い事なりそう。

84: 世界@名無史さん 02/10/08 23:19

>>79
今ある意味でのプロテスタントがなくなったとしても、別の誰かが宗教改革に類することをするだけだと思うが。

86: 世界@名無史さん 02/10/09 00:43

>>79
オーソドックスの中からプロテスタントが現れていたかもな。
で、オーソドックスのお膝元ビザンツが新大陸発見→植民地化

87: 世界@名無史さん 02/10/09 00:51

>>86

ビザンツ帝国の位置は、地中海貿易、インド洋経由あるいは中央アジア経由の
灯台交易のそれぞれの大要所。

たとえ正教からプロテスタントが生まれ、正教本体が新しい布教の地を探した
いと思ったとしても、新大陸に行ったとは思えんな。

経済的モチベーションが足りないよ。

93: 世界@名無史さん 02/10/09 01:19

>>87
そうだねー。
それに、どの国が新大陸を発見しようと、発見以降世界経済の中心が地中海から西欧北部に移動していくのは不可避。
ヴェネツィアやジェノヴァでさえその流れを押しとどめることはできなかったんだから、
ビザンツにどれほどの国力があろうとその流れを押しとどめることは無理なんじゃないかな。

119: 世界@名無史さん 02/10/09 12:51

「ビザンチン帝国」はヨーロッパ人の言い方だから
ビザンチン帝国がもっと強盛で存続していたら
我々が「ビザンチン帝国」なんて言うこともなかったはず。

120: 世界@名無史さん 02/10/09 14:20

>>119
もし、存続してたら何て呼んでいたんだろうか。

121: 世界@名無史さん 02/10/09 14:29

>>120
もちろん「ローマ帝国」

122: 世界@名無史さん 02/10/09 14:34

マヌエル二世がヨーロッパに行ったときにヨーロッパ人から「ギリシア皇帝」と呼ばれても特に抗議しなかった。
すでにローマと呼べる存在ではないことを自覚してたんだろう。

数年前に李登輝がシンガポールで「台湾総統」と呼ばれたのに抗議しなかったという事件があったけど、
マヌエル二世の故事を思い出したよ。

133: 世界@名無しさん 02/10/09 17:36

世界最強の精鋭軍がアメリカのネイビー・シールズとデルタ・フォースでなくカタフラクト軍団とワリアギ親衛隊になってた。

160: 世界@名無史さん 02/10/10 16:14

ビザンツが滅びなかったら、ルネサンスに少なからず影響あり。
現代まで存続しえたとしたら、英・仏などとはまた別に「共和制の伝統」
とかいう面を強調して、民主主義の元祖的な顔をしていたかも。
あ、もちろん古代の伝統の確認、という理屈で帝制から立憲君主制への転
換が上手にできたらの話。

167: 世界@名無史さん 02/10/10 20:08

>>160
というよりも、歴史に類を見ないほどの超官僚的国家が出現していたのでは?
そもそもソ連のあの官僚主義は、正教とともにあのビザンチンが元祖だとも
言われているくらいだし・・・。

233: 世界@名無史さん 02/10/16 13:00

>>160
ちょっと遅レスだが、もし存続したビザンティン帝国で
立憲君主制が確立されるとしたら、やはり市民勢力の中心は
応援団になるんだろか?

皇帝・大土地所有貴族・応援団の間での権力抗争は
凄まじい事になりそうだが。

それと全然関係無いが、仮に1453年の滅亡を回避しえたとしても
その後の民族主義の隆盛・民族国家の概念の時代に
ビザンティン帝国は分裂せずに体裁を保ったままいられるだろうか?

230: & 02/10/14 14:55

ビザンチン帝国が滅びてなかったら、正教圏でギリシア~ロシアの地域がもっと
まとまりがあったろうね。

そして主導権をめぐって、コンスタンチノープルとモスクワの間で政争や戦争が
起こったろうなあ・・・

勝つのはモスクワのような気がするw

254: 世界@名無史さん 02/10/17 19:27

ビサンツ帝国が滅んでいなかったら、大航海時代が数十年、百年以上遅れたかも。
そうなっていたら、アメリカ大陸のマヤ、アステカ、インカ、ネイティブアメリカンの
文明もいくつか現在に残ったのではなかろうか。

255: 世界@名無史さん 02/10/17 20:03

>>254
そりゃないだろうなあ。
ビザンツ滅亡以前からエンリケ王子の下、ポルトガルは1445年にはベルデ岬に
到達している。スペインにしたところで国内レコンキスタが終われば大西洋に
出ただろうし、ビザンツがあろうとなかろうと、大航海時代の流れは遅くなる
ことはなさそうだ。

256: 世界@名無史さん 02/10/17 20:51

>>254
イスラム勢力が中東をがっちり押さえてしまっている以上、
香辛料を安く手に入れようと思ったら大航海時代始めるしかないからねぇ。

290: SSBN 02/10/25 19:58

三十年戦争の時に対カトリックということでプロテスタントと同盟して、オーストリアに攻め込んだりして?
……トルコの欧州進出が止んでたらクロワッサンは無いのか。
欧州征服用の力をアジア方面に向けて、正史より早く、マムルークとか征服してたカナ?

295: & 02/10/26 18:25

>>290
>三十年戦争の時に対カトリックということでプロテスタントと同盟して、オーストリアに攻め込んだりして?

ありうるよね。
ルターは自分の活動が徐々にカトリック教会全体を敵にましてしまう展開になって、同じカトリックと長年対立していたギリシア正教に接近したと言うからね。

実際には、当時のギリシア正教はトルコ支配下にあり、政治的な同盟は組めなかったけれど・・・。
ビザンチン帝国が政治勢力として残っていたら・・・

297: 世界@名無史さん 02/10/28 00:58

>>295
問題はスレイマン大帝のように賢明な司令官が東ローマにいたかどうかだな。
下手するとウィーン包囲を強行して滅亡の可能性もあるぞ。

298: & 02/10/28 01:07

>>297

その時のビザンチン皇帝のキャラクターによると思う。
アレクシオス1世だったら、新教諸侯に金だけ援助して「勝手に暴れて」(w

マヌエル1世だったら、最初は裏で操るつもりが気がついたら矢面に立ってい
てしかも敗戦、なんてことにもなりそう。

バシレイオス2世やニケフォロス2世なら、ウィーンを陥落出来るかもしれない。

300: & 02/10/28 01:30

>>298

マヌエル1世のミュリオケファロンの敗戦なみの、国力を傾ける敗戦をしそうですよね(w

293: 世界@名無史さん 02/10/26 16:24

残念だけど今のバチカン市国と同じようなものになってた

っていうかあのとき兵士の一人が城門を閉め忘れたせいでコンスタンティノープル
羽陥落したんだろ・・・・それがなかったら今もビザンチン帝国が・・・・・・

327: & 02/11/02 03:01

329: & 02/11/02 17:24

330: 世界@名無史さん 02/11/02 22:47

>>327,329
ここ面白い!
この間旅行した時、フェティエジャミイ(旧テオトコス・パマカリストス?教会)とか
ゼイレックジャミイ(旧パントクラト-ル教会?)とか一生懸命探したの思い出した。

壊されずに転用されたものはその分マシなんでしょうかね…。

336: 02/11/04 04:00

セルジューク・トルコのキリスト教改宗に成功し、トルコ人を"ローマ人"として
引き込むことが出来たなら、ビザンチン帝国は新しい活力を手に入れることが出
来たろうね。

それこそ、対アラブ、ペルシア、ヨーロッパ、どこに対しても最強の正教帝国が
登場することになる。

もちろん、皇帝は、"ローマ人"であるトルコ人がなるのだろうが・・・

339: ( ´∀`) 02/11/04 15:37

少なくとも第一次世界大戦は、起きなかったかも。
オーストリアの動きを止め、範スラブ主義はなかったかも。

341: 世界@名無史さん 02/11/04 18:13

何、大戦が起きなかったら新たな大戦が起きるだけさ。

389: 世界の先進地が中東に・・・ 02/11/16 11:42

もしオスマントルコの登場がなかったら、西欧の近代化は今ほど加速されな
かったでしょう。
異教徒トルコの脅威が、西欧の国家、社会、軍事の近代化を加速させる原動
力ですから。進歩すれども遅れは必至。
もし、十字軍も無いならイタリア諸都市の隆盛すら無かったかも。。。

また、存続した東ローマ帝国が、モンゴルもチムールを跳ね返し、シリア・
エジプトまで回復できれば、15世紀には明の鄭和艦隊が訪れ、インド洋、
紅海を中心とした“大航海時代”が起こる。
共通の敵チムール(=イスラム教徒)封じ込めの意味もあり、かつての
ローマと漢のように仲良く海上貿易することでしょう。
資本の集積の中心地は中東となり、産業革命は中東で起こり、石油の開発
で文明の中心地に! → 新大陸発見は遅れ、西欧は田舎のまま。

これぞビザンチン最強のシナリオ。立憲君主制になるにせよ、人類社会の
盟主でありつづけたことでしょう。。。

391: 世界@名無史さん 02/11/16 19:55

そうかなあ?
12~13世紀の時点で農業技術は西欧がビザンティンより発達していたし
海運力・海軍力もビザンティンはイタリア諸都市の後塵を拝していたと思うのだが
しかも十字軍の経験から西欧は異文化世界との外交を学んでモンゴルやティムール帝国と
接触を持っていたし
西欧もこの時代になると過小評価できんと思うのだが・・・
特に南イタリアのノルマン王国やフリードリヒ2世は西欧でも抜きん出ていたと思うけど

434: 世界@名無史さん 02/11/23 19:47

このスレはビザンティンがもし存続していたならばというわけだけど
もし本当に存続していたらその領域はどのあたりかな?
折れはギリシア・ブルガリア・セルビア・ボスニア・モンテネグロ・マケドニアといった正教徒地域とアルバニア・小アジア・トラキア・キプロス・アルメニアぐらいじゃないかと思うのだが
ちょっと妄想が入っているけど

436: 世界@名無史さん 02/11/23 22:50

>>434
トレビゾンドやアンチオキアあたりにしがみついて・・・という妄想を。

435: 世界@名無史さん 02/11/23 21:09

コンスタンティノープル陥落までは
確実に残っていただろう古代の文献が悔やまれる。
即ち、
リディウスのローマ史2/3
内乱記の欠損部
キケロ全集の完全版
タキテゥス年代記
アグリッピーナ・ドミティアヌス・ハドリアヌスの回想録
ダキア戦記・・・
etcetc
たわけか~!と叱り付けたい。

437: 世界@名無史さん 02/11/24 00:08

移動を繰り返してシベリアの奥地あたりに面積だけはトラヤヌス帝時代以上にでかいビザンツができていれば面白いだろうな。
でも場所が場所だけに貧乏で帝国とは名ばかり。
石油採掘技術などが発達して資源取れるようになるまでは・・・

438: 世界@名無史さん 02/11/24 00:54

光栄ゲームの「ジンギスカン蒼き狼と白き牝鹿」をやってると
シベリアやアフリカにビザンツ帝国が大移動することもままあり。。。

262: 世界@名無史さん 02/10/19 12:43

庄野真代が「飛んでコンスタンティノポリス」という曲を出すが
サビが歌いづらいのでヒットしない。

引用元: ・もしビザンチン帝国が滅びずに存続し続けていたら

生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫 1866)

井上 浩一
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