2007-07-14 (original) (raw)
テレビで“社長学科”という、同族会社の創業者の二世三世のための学部が紹介されてました。
科目の中にはゴルフやヨットもあるんだとか。
なんか“イカれた二世社長”が育ちそうでもあるけど、大学自体が二世社長同士のネットワーク形成にも役立ちそうだし、それはそれでひとつの考え方かも。
とか考えてると、今は「大学の目的」ってのが曖昧になってきた時代だよね、と思いました。
昔は大学の目的ってもっと明確だった。
たとえば「師範学校」って言葉が典型的で、先生を作る(育てる)ための学校だとすぐわかるでしょ。目的、つまり存在意義が極めて明確です。
帝国大学制度というのも、かなり合目的な制度で、文系は官吏を育てるのが目的、理系は富国強兵、すなわち軍事力につながる研究をするのが目的、だったと思う。
帝国大学以外の国立大学は、それぞれ目的ありきで設立され、○○商科大学は経済人を育て、○○工業大学は非軍事技術を担うエンジニアを育てる目的で作られたっぽい。
水産大学とかもすごい合目的ですよね。
一方、“学問のすすめ”という言葉に代表される私学の建学目的は、大きく言えば「教養人」を育てるということだったのでしょう。
国立大学が「国を作るために必要な職業人の育成」を目的とするのに対し、「西洋人と対等につきあえる、広い視野を持ち、学び考える習慣を持つ人=文化人、が一定数必要」ということで私立大学が作られた。
その他も、○○女子大学は婦女子リーダーの育成、仏教大学はお寺の後継者を育てると、とにかく以前の大学は、その存在意義や目的がかなり明確だったと思う。
★★★
他国を見てみると、アメリカも大学の目的がわかりやすい。研究と、実学訓練、一般教養の3つにきれいに分かれてる。
Universityは博士課程が充実してて研究するところ。MBAやロースクール、エンジニアリングスクール、行政大学校とかは全部、実学訓練の場。
で、4年制大学は、上記の2コースに進む人のための一般教養課程という位置付け。
他にコミュニティカレッジと呼ばれる公立の一般教養大学がたくさんあり、かなり幅広い年齢、レベルの人に門戸を開いてる。国民全体の生涯教育機関みたいな感じですね。
一方の欧州は、日米に比べると大学進学率が低く、階級の偏りもかなりある。ごく限られた特定の大学が「社会のリーダー層の教育」を目的としてる感じです。
研究者になる人もそういうところに行くんだけど、そもそも「研究」なんてのは、食べるに困らない層の人がやることだ、という思想だと思う。
あと面白いのは大英帝国で、LSEっていう大学がロンドンにあるんだけど、ここの目的は「植民地のリーダー層を育てる」こと。
だから学んでいる学生のうち英国人は半数にも満たない。
加えて、有名なイートン校(高校)にもインドの地方の王様の息子とかがいます。みなさん、やんごとなきお顔です。
つまり植民地の宗主国としては、自国のリーダーだけでなく植民地のリーダー層の教育も自分たち(宗主国の大学)の役割である、ということでしょう。
というわけで、欧州だと高等教育は貴族階級の教養機関であり、国家の各界(植民地含む)のリーダー養成機関である、って感じでしょうか。
ちなみに、英仏にはロンドン大学やソルボンヌ大学などの「大衆大学」も存在する。
こっちは中流階級の教養機関なんだけど、近年は実はこっちへの進学者数が大きくなっていて、大学進学率も急ピッチで伸びている。
つまり欧州における大学の目的も近年かなり変わって来つつある=庶民も大学に行き始めた、ってことなんだけど、
おもしろいのは、この人たちは「大卒なんだけど、社会の下層階級」という、“かっての欧州には存在しなかったセグメント”なんだよね。
過去10〜20年くらいの欧州の左傾化(最近は揺り戻してますが)というのは、この「大卒なのに下層」という新たなセグメントが、その担い手になってます。
大学でても仕事がない=若年人口の失業率高止まり、ということでデモってる。
そもそも昔の英仏は大学いくような人は就職活動なんてやる必要のない“層”の人だった。
それが民主的になって庶民が大学行くようになった、そしたら卒業しても職がない、というのは、まさにアイロニー。
あと、ドイツは英仏とはかなり違うのだけど、長くなるのでちょっと略。
★★★
今の日本の大学も、この目的がなにか?ってのが、戦後の急激な大学進学率アップとともに、極めて見えにくくなった。
大学レジャーランド化と言われた時代もあったけど、学生側の意識の変化を云々する前に、大学自体が自らの目的を定義できなくなってる。
それが、ここんとこの業界危機で、割り切って定義しちゃうところがでてきた。
その一例が「社長学部」なんだと思う。
でもそういうニッチなのはちょっとおいといて、全体として、日本の大学の目的はなんなのさ?ってのが、正直、誰も(文部科学省も大学自身も、もしくは学生側も)明確にできてない気がする。
例えば、今の日本で大学の目的って何があり得るか?
ひとつは、「産業界への人材の育成・供給」なんだけど、この割り切りは大学にはない。
大学の経営側にいる人の大半は「研究者」だから、大学が実学の役にたつことを教えるってことに徹するという考え方に嫌悪感、もしくは、違和感がある。
むしろ専門学校はこの部分で、極めてきれいに割り切りがあって、「カフェオーナー養成学校」とか、すばらしい柔軟さを示してる。
他の目的は?
国家体制を整えるための官吏ってのが、もういらん時代になりつつあることは、東大の法学部がロースクールだの行政大学院だのという実学訓練学校を作ったことで明確になってる。(いまや京大にMBAがある時代だからね!)
軍事力もいらんでしょ。非軍事力で国家系の技術(ダムを造る、鉄道を引く)も、もういらん。必要なのは、産業系の民製技術だけだ。
産業界への人材供給以外の目的はなに?
全部「中流階級のための教養機関です」っていう気かしら?
COEプログラムなんかは「研究」に光をあてる動きなわけですが、どこの国もだが「研究」だけなら、人口の5%の進学率でも多すぎるくらいだ。50%の人がいく機関の目的はどう定義する?
★★★
長くなったのでもうやめます。
少子化に打ち手がなく焦った大学が、学生側(親側)を見て媚びていて、「存在目的は、学生集めです」とでもいう気かしら、みたいな大学もでてきてる。
そんな目的あり得ないでしょ。普通は「育てたい人像」があって初めて目的って定義されうるのに。