2008-03-26 (original) (raw)

テレビで「うつ病になりやすい人の特徴」が紹介されていたのですが、それを聞いてたら「まさに自分の性格だなあ・・」と思いました。

まじめで責任感が強い、内省的、心配性でネガティブな方向に考えがち、几帳面、などなど、全部あてはまります。

今のところまだ患ったことはありませんが、その理由のひとつは「すごく気をつけてきたから」だと思っています。

うつ病に関しては、「自分だけは大丈夫と思っている人があぶない」と聞きますが、私の場合は反対で、「自分は気をつけないと、うつ病になるかも」とずっと心配してきました。

だから常に気をつけています。ある意味では予防的な認知療法をやってきた、という感じでしょうか。

その結果として“とりあえず今のところ”ならずに済んでいるんだと思うので、できればこのまま頑張って、一生ならずにすませたいものです。

で、何にどう気をつけているかと言えば、まずはなるべく“モノを考えない性格の人”とつきあうようにしています。

と書くと「私のこと?」「オレのこと?」と驚く友人が何人もいそうですが、これはもちろん悪口ではありません。

楽観的で何でも前向きに考えて、失敗しても大笑いして済ませられる人と一緒にいると、「こんな大変なことでも、こういうふうに受け止めればいいんだ」と学ぶことができます。

時には余りに呑気に見える友人も、ちきりんにとってはだいじなメンタル・コーチです。

反対に、自分と同じように内省的で考えすぎる人に出会うと、深く理解しあえるメリットはあるのですが、

一方で「生きる意味は?」「これが人生で今やるべきことなのか?」みたいな、答えのない議論を突き詰めたり、あえて傷口をさらすような行為を行って、お互いにピリピリしてしまい、時には怖く感じることさえあります。

「もっともっともっと考えないといけないんじゃないか?」と思いがちな私にとって、何を議論していても 5分もすれば、「とりあえず夕食は何食べる?」と話を変えてくれる人は本当に貴重な存在です。

もうひとつ気をつけているのは、「一定以上の努力が必要なことはしない」ってことです。私は、「自分の能力を大きく超えた目標をたてない」ように、常に気をつけています。

まじめな人は、いったん高い目標をたてると最後まで頑張ってしまいます。

適当に済ませることができず、「できなくてもいいや、仕方ない」と思えません。「なんとかしてやり遂げないと」と自分を追い込んでしまうのです。

そうなることが目に見えているので、私は最初から「頑張らなくてもできそうなこと」を目標にします。

なのでよく「努力という概念を知らないヤツだ」とか、反対に「余裕があるよね、ちきりんはいつも」と言われるのですが・・・確かにそうでしょう。できることしかやらないのですから。

大丈夫かなと思ってやり始めたことでも、「あっ、これはかなりの努力をしないと無理だ」とわかった時点でやめます。

「お前ならやればできるはず」などと言われても、おだてられてやる気になったりしないよう気をつけています。

その他、「そんなに頑張らなくて良いよ」と言ってくれた人の言葉を大きく書いて、会社のデスク前、パソコンの横などすぐ目に付くところに飾っています。

私の母は「大事な仕事に寝過ごしたら、神様にありがとうといいなさい」とよく言っていました。

「大事な仕事なのに起きられないくらい体が疲れている時に、無理矢理起きなくてよかった。そこで寝られたから、命と健康が守られたのよ」というのが彼女の理屈です。

母には他にもよく「つらかったらすぐに逃げなさい」と言われました。頑張りすぎる娘の性格をよく知っていたのでしょう。

その他、多くの親しい人が、私を救う言葉をかけてくれました。

つまんない失敗ひとつで地獄の果てまで落ち込むちきりんに「自分の失敗なんか、自分以外で覚えてる人はいないんだから、自分が忘れたらそれで終わりだよ」と言ってもらえて、どれだけ助かったか。

この言葉を書いたメモは、今も自宅のパソコンに貼ってあります。

というように、内に向かいがちな感情をコントロールするために、「心の持ち方の訓練」、「できるだけネガティブに考えないようにする訓練」を続けていると、感受性自体も次第に下がってきます。

それを何十年も続ければ、次第に性格や気質も変化し、最近は自分の性格についても「比較的いい感じじゃない?」と思えるようになりました。

この経験から私は、「性格は変えられる」と確信しています。

もちろん、「完璧なる脳天気さ」を発揮してくれる本当にすばらしい友人達を見ていると、「あっ、無理。こうなるには 300年あっても無理!」とは思うものの、

自分の時系列比較(昔の自分と今の自分の比較)であれば、その変化はかなり大きく、「よく頑張った!」と自分を褒めたいくらいです。

たいていの人にとって“成長”とはスキルが上がったり、知識や判断力が増すことを意味するのでしょうが、

私にとっての“成長”とは「できるだけ鈍感になること」「あまり考えこまないようになること」であり、振り返れば“性格改造”こそが自分の成長の目的であり軌跡であったと思います。

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