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クロード・ドビュッシー
Claude Debussy(1862年8月22日〜1918年3月25日)
フランスの作曲家、音楽評論家。
1862年、パリ郊外サン=ジェルマン=アン=レ生。本名Claude Achille Debussy。1918年パリ没。
全音階、五声音階などを駆使し、長短調の枠を脱して色彩感あふれる作品を生み、印象派音楽の先駆と称される。
- 1871年:ショパンの弟子であったモーテ・ド・フルールヴィユ夫人に入門。
- 1872年:コンセルヴァトワール(パリ音楽院)入学。
- 1880年:ロシア訪問、フォン・メック夫人の家庭教師も務める。ムソルグスキーの音楽に影響される。
- 1884年:カンタータ「放蕩息子」でローマ大賞を受賞。翌年からイタリア滞在。リスト、ヴェルディ等と交友する。
- 1887年:イタリア留学を切り上げてパリに帰る。
- 1888年:バイロイト音楽祭に参加し、ワーグナーの影響を受ける(翌年も参加)。
- 1889年:パリ万国博覧会。ジャポニズムやインドネシア音楽の潮流に触れる。
- 1891年:「二つのアラベスク」作曲。
- 1894年:「牧神の午後への前奏曲」作曲。
- 1899年:ロザリー・テクシエと結婚。
- 1902年:歌劇《ペレアスとメリザンド》をパリのオペラ・コミークで初演。
- 1905年:交響詩「海」、ピアノ曲「映像」作曲。ロザリーと離婚し歌手エマ・バルダックと再婚。娘(クロード=エマ)誕生。
- 1910年:「前奏曲集第1集」発表。癌発症。
- 1918年:直腸癌のため死去。
- 1919年:娘クロード=エマ死去。
主な作品
ピアノ曲
- 夢想 Rêverie (1890年)
- ベルガマスク組曲 Suite Bergamasque (1890年) *前奏曲|メヌエット|月の光|パスピエ
- ピアノのために Pour le piano (1894年〜1901年)
- 版画 Estampes (1894年〜1903年)
- 喜びの島 L'isle joyeuse (1904年)
- 映像 第一集 Images I (1904年〜1905年)
- 映像 第二集 Images II (1907年)
- 子供の領分 Chidren's Corner (1906年〜1908年)
- 前奏曲 第一巻 Prélude 1 (1909年〜1910年) *第4曲「音と香りは夕べの大気の中に漂う」
- 前奏曲 第二巻 Prélude 2 (1910年〜1912年)
- 12の練習曲 12 Etudes (1915年)
オペラ
- ロドリーグとシメーヌ Rodrigue et Chimène (1891年〜1892年、未完/1993年リヨン歌劇場で初演)
- ペレアスとメリザンド Pelléas et Mélisande (1902年)
- 鐘の中の悪魔 Le Diable dan le beffroi (1903年、未完)
- アッシャー家の末裔 La chute de la maison Usher (1904年-1918年、未完/)
カンタータ
- ダニエル Daniel
- 放蕩息子 L'enfant prodigue
- 森のディアーヌ Diane au bois (未完)
- 選ばれし乙女 La demoiselle élue
- フランスへのオード Ode à la France
歌曲
- マンドリン Mandoline
- セレナード Sérénade
- 亜麻色の髪の乙女 La fille aux cheveux de lin
- 家のない子のクリスマス Noël des enfants ui n'ont plus de maison
歌曲集
- 忘れられた小唄 Ariettes oubliés (ヴェルレーヌ詩)
- ボードレールの5つの詩 5 poèmes de Charles Baudelaire
- 華やかな饗宴1 Fêtes galantes 1
- 3つのビリティスの歌 3 Chansons de Bilitis
- 華やかな饗宴2 Fêtes galantes 2
- ステファヌ・マラルメの3つの詩 3 poèmes de Stéphane Mallarmé
オーケストラ
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