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郭源治
80〜90年代のプロ野球選手。日本名「佳久源治」。
1956年10月5日生まれ。台湾台東市出身。ポジションは投手、右投右打。
現役時代は1983年から4年連続で2桁勝利。1987年にリリーフ投手に転向し、翌年のセ・リーグ優勝に貢献。1989年に日本帰化。
1994年には100勝100セーブ記録達成*1。1996年に日本球界引退。
1997年、ナゴヤドーム柿落しのゲームで引退試合を行い、イチローを外野フライに打ち取る。同年に台湾プロ野球復帰し翌1998年には11試合連続勝利の台湾プロ野球タイ記録達成。 1999年に台湾代表チームに最年長で選ばれ、五輪アジア予選大会に出場。同年、台湾球界引退。
背番号33番は台湾代表チームの永久欠番。
台湾では「二郭一荘」と呼ばれ、郭泰源・荘勝雄と並ぶ国民的英雄である。
現在は、名古屋市で台湾小皿料理「郭源治 台南担仔麺」を経営。
マスターズリーグ、名古屋エイティディザーズの選手としても活躍。
経歴
年度 | 所属 | 背番号 | 備考 |
---|---|---|---|
1973〜1975 | 華興高校 | - | |
1976〜1979 | 台湾輔仁大学 | - | 1980、81年途中まで台湾陸軍で兵役 |
1981.?〜1996 | 中日ドラゴンズ | 12→30→33 | |
1997 | 統一ライオンズ | ||
1998〜1999 | 中信ホエールズ |
タイトル
- MVP(1988)
- 最優秀救援投手(1987・1988)
- 最優秀防御率(1994)
*1:プロ野球史上6人
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