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曹丕

中国後漢から三国時代の人物(187年 - 226年)。字(あざな)は子桓。三国の魏(曹魏)の初代皇帝。諡号は文帝。

曹操の子(三男)。生母は卞氏。同母兄弟に曹彰曹植曹熊。異母兄弟に曹昂曹沖曹彪ら。妻に甄氏、郭氏ら。2代皇帝曹叡の父。

197年張繍との戦いで父の曹操が奇襲で大敗したとき、曹丕もその場におり、命からがら逃げ出している。兄の曹昂がその時に戦死し、まもなく卞氏が正妻になったこともあり曹操の後継者候補となった。

204年、曹操が冀州袁尚を下したとき、袁煕の妻であった甄氏を略奪し、妻とした。

211年頃から曹操の後継者としての待遇を受けるようになるが、弟の曹植の側近の丁儀楊修は曹植を後継者とするよう曹操らに働きかけ、曹丕の立場は曹操の死の直前まで安定しなかった。

220年に父の曹操が死去すると、曹丕は父の魏王の地位を継承し、丁儀らを粛清し曹彰、曹植らを遠ざけて権力を掌握した。さらに後漢の献帝に強いて禅譲により帝位を奪い、漢王朝を滅ぼして魏王朝を創設し、益州劉備の蜀(蜀漢)、揚州孫権の呉(孫呉)と並ぶ三国時代の幕を開いた。

劉備が孫権と対立すると、孫権を呉王に封じて味方とした。222年夷陵の戦いで劉備が呉の陸遜に敗れると、一転して呉の孫権に対して強硬な外交姿勢に出て、毎年のように遠征を繰り返したが、成功しなかった。226年に急死した。

好悪の情が激しく、呉質のような友人には親密に振舞う一方で、張繍や于禁、甄氏のように不興を買った者に対しては容赦なく冷酷な態度で臨んだ。

父の曹操や弟の曹植と並ぶ文人としても知られる。著書『典論』において「蓋し文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」と述べ、文学の地位を向上させた。

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