野口英世とは サイエンスの人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)
野口英世
医学者。細菌学者。 1876年(明治9年11月9日)福島県耶麻郡猪苗代町出身。
伝記本でおなじみの人物。
黄熱病や梅毒の研究に尽力した。黄熱病の病原体を発見するなど数々の功績を残すが、自らも黄熱病に感染し死亡。
肖像画が2004年から発行されている1000円札に使われている。
略歴
- 生まれてつけられた名前は「清作」
- 1878年4月末 いろりに落ち左の手に大火傷を負い、左手に障害をかかえる
- 1892年10月 会津若松の會陽医院渡部鼎先生より左手の手術を受け、左手が少し使えるようになる
- 1896年9月 上京
- 1897年10月 医師資格を獲得し同月高山歯科医学院講師となる
- 1898年8月 英世と改名
- 1900年12月5日 渡米
- 1902年10月 ペンシルベニア大学病理学助手となる
- 1904年年10月 ニューヨークのロックフェラー医学研究所の一等助手となる
- 1911年2月 梅毒スピロヘータの純粋培養に成功
- 1911年4月 メリー・ダージスと結婚
- 1914年7月 ロックフェラー医学研究所正員に昇進
- 1918年6月 エクアドル・グアヤキル市に出張し、黄熱病原体を発見
- 1928年5月21日 西アフリカ・アクラで黄熱病の研究中に感染し殉職(享年51)
- 1928年6月15日 ニューヨーク市ブロンクス区にあるウッドローン墓地に葬られる
エピソード
- 清作から英世に改名したのは坪内逍遥の小説「当世書生気質」で自堕落な生活を送る主人公「野々口精作」と自分の名が極めて近いのにショックを受けたためである。実際野口も野々口のような放蕩を行っていたので、自分がモデルだと思われるのを避けるためであった。
- 何度もノーベル賞受賞者候補になっている
* リスト::学者::自然科学
このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。