アギシュムバ (original) (raw)
アギシュムバは、紀元2世紀中葉、クラウディオス・プトレマイオスの『地理学』において、アフリカのサブサハラにあると言及された土地。プトレマイオスが提示した地理座標に基づく地図を参照すると、ヌビアを除く(当時の地理概念としての)スーダンのほぼ全域がアギシュムバとされ、人の住む世界「エクメーネ」の南西端に位置する広大な領域である。 プトレマイオスによると、アギシュムバはフェザーンから南方へ4ヶ月かけて行ったところにあり、サヴァンナの大型動物が棲息し、大きな山がたくさんあるという。 プトレマイオスは紀元107年から115年の間に書かれたテュロスのマリノスの地理書(現存せず)を参考にしている。マリノスにはレプティス・マグナの商人の旅の記録が記載されており、それによると、紀元83年から92年の間にの王がアギシュムバに進軍したという。ガラマンテス王の軍事行動の目的は、アギシュムバの反抗的な属領に威を示し、進貢関係を再構築しようとしたものと考えられる。 後の歴史家は、(ガラマンテス王が出兵した)アギシュムバの位置をティベスティ山地やアイル山地、チャド湖近辺などに比定しようと試みたがうまくいっていない。アラブとの交易以前にもトリポリ、フェザーン、、チャド湖をつなぐサハラ交易が盛んであったことがわかっており、プトレマイオスの記述にも明らかであるため、この地をチャド湖東南域に比定する説が一定の説得力を持つ。