シャマシュ・シュム・ウキン (original) (raw)
シャマシュ・シュム・ウキン(Shamash-shum-ukin、在位:前668年-前648年)は古代メソポタミア地方におけるバビロンの王。アッシリア王エサルハドンの息子であり、アッシリア王となった弟のアッシュルバニパルと共に王位に就いた。即位後17年間は弟との共同統治に甘んじていたが、紀元前652年に弟に対する反乱に踏み切る。だが、4年間の内戦の末、敗れて死亡した。 シャマシュ・シュム・ウキンは、英語ではShamash-shum-ukin/Shamashshumukin、アッカド語ではŠamaš-šuma-ukin/Šamaš-šumu-ukīn、「シャマシュ神は後継者を立てり」の意味。サウルムギナ(Saulmugina)、あるいはサルムゲ(Sarmuge)という名前でも言及される。 最終的に、シャマシュ・シュム・ウキンはアッシュルバニパルによる高圧的な統制からの離脱を試み、前652年にアッシュルバニパルに対して反乱を起こした。反乱のためにアッシリアに敵対する勢力をいくつも同調させることに成功したが、にもかかわらず反乱は悲惨な結果に終わった。2年にもわたるアッシュルバニパルによるバビロン包囲の後、都市は陥落したが、彼の死の正確な状況はわからない。