ジョン・リーク (original) (raw)

サー・ジョン・リーク(Sir John Leake, 1656年7月4日 - 1720年8月21日)は、イギリスの軍人・政治家。イギリス海軍で台頭して海軍卿まで上り詰め多くの戦功を残した。 ロンドンのロザーハイズで砲兵隊長リチャード・リークの息子として生まれた。海軍に入隊して1689年に勃発したウィリアマイト戦争ではフリゲート艦長を務め、ジャコバイトに包囲されたロンドンデリーの救援隊を護衛してロンドンデリーの解放に一役買った()。大同盟戦争ではアーサー・ハーバート、エドワード・ラッセルの指揮下で(1689年)、(1690年)、バルフルール岬とラ・オーグの海戦(1692年)に加わった。 スペイン継承戦争が始まるとアメリカ植民地戦争(アン女王戦争)に出向くよう指令を受け、1702年にフランス植民地のニューファンドランドへ奇襲、敵の船を51隻拿捕という大戦果を挙げてイングランドへ帰国(ニューファンドランド遠征)、帰国後は海軍少将、海軍中将へ昇進した。1704年からは地中海に転属して海軍元帥ジョージ・ルークの指揮下に入りジブラルタルを占領、マラガの海戦でフランス・スペイン連合艦隊と戦った。1705年にマルベラの海戦でジブラルタル奪還に向かったフランス艦隊を蹴散らし、同年にルークが帰国した後はの配下として地中海に留まった。

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