ハナカツミ (original) (raw)

ハナカツミは、『万葉集』を始め、古くから和歌などに多く詠まれた花。後に陸奥国の安積沼と結びつけられ、能因法師、前田利益、松尾芭蕉が現地を訪れて探したことで知られるが、古来どの植物を指しているのか不明で、論議となっている。 平安時代中期の歌人能因法師はイネ科のマコモをハナカツミとしているが、定説とはなっていない。 前田利益は「此沼のかきつばたなり」と記し、松尾芭蕉は『奥の細道』で、「かつみ、かつみと尋ね歩き」と、日が暮れるまで尋ね歩いたが、結局「更に知る人なし」と記し結論を得なかった。 高澤等は四条家で用いた田字草紋が「花かつみ紋」と称されたことなどから、デンジソウを花勝見として論考している。 愛知県阿久比町などはノハナショウブをハナカツミとして紹介している。 一方、かつて安積沼があった福島県郡山市ではヒメシャガがハナカツミとされ、1877年(明治9年)の明治天皇の巡幸ではハナカツミを見たいという天皇の希望によりヒメシャガが叡覧に供された他、1974年(昭和49年)には郡山市がヒメシャガをハナカツミとして市の花に指定し、芭蕉と曾良がハナカツミを探し歩いた安積山にはヒメシャガが植えられた。