フニャディ・ヤーノシュ (original) (raw)
フニャディ・ヤーノシュ(ハンガリー語: Hunyadi János、イオアン・デ・フネドアラ(ルーマニア語: Iancu/Ioan de Hunedoara)、ヨハネス・コルヴィヌス(デ・フニャド)(ラテン語: Ioannes Corvinus/de Hunyad、1387年/1407年/1409年 - 1456年8月11日)は、現在のルーマニア出身のハンガリーの貴族。 同時代の史料には、ルーマニア南部のワラキアの貴族の家系の出身と記される。オスマン帝国の侵入に晒されるハンガリー南部の国境地帯に身を置き、戦闘を経て軍事技術を習得した。1441年にトランシルヴァニアの公(ヴォイヴォダ)といくつかの地区の知事に任ぜられ、国境の防衛を一手に引き受けた。 教皇ピウス2世はフニャディを「Athleta Christi」(キリスト教の守護者)と讃えたが、フニャディはベオグラードの勝利の3週間後に軍内で流行していた疫病に罹って没した。フニャディの勝利によって、ハンガリー王国は長らくオスマン帝国の侵入から守られた。