ルイス・カブラル (original) (raw)
ルイス・デ・アルメイダ・カブラル(Luís de Almeida Cabral、1931年4月11日 - 2009年5月30日)は、ギニアビサウ共和国の政治家。同国初代大統領。独立宣言のあった1973年から軍事クーデターによって失脚させられる1980年までの間、大統領の座についた。 1963年に、ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)は、ポルトガル領ギニアにてポルトガル政権に対する反植民地主義戦争(ギニアビサウ独立戦争)を始めた。1973年にパン・アフリカ主義の知識人でPAIGCの創設者として知られる兄のアミルカル・カブラルがギニア共和国のコナクリにて暗殺されたが、アミルカルの死後は弟のルイスがリーダーシップを発揮し始めた。 当時、ポルトガル領ギニアおよびカーボベルデ両国の独立戦争を展開していたPAIGCのリーダーシップはアリスティデス・ペレイラ(後のカーボベルデ共和国初代大統領)に移ることになるが、党のギニアビサウ支部はルイスを支持した。 ルイスは逮捕され13ヶ月間拘束された後国外追放され、ルイス・カブラルの受入を承認したキューバに亡命した。1984年にポルトガル政府が家族とともに滞在することを許可し、死の時まで当地で過ごした。1999年、ジョアン・ヴィエイラ失脚後にルイスは約20年ぶりに祖国を訪問した。2009年、ポルトガルで死去。78歳没。