晋平郡 (original) (raw)

晋平郡(しんへい-ぐん)は、『宋書』『梁書』『南斉書』などの中国の南朝系史書に登場する、中国の遼西にあったという百済の領土である。西百済ともいう。『南斉書』の記述から、百済は朝鮮南部に位置していたから、北魏が百済を攻撃するためには渡海するか高句麗領を通過せねばならず、しかし北魏が敵対していた高句麗領を通過するのは困難であり、そして騎兵は渡海することが出来ず、北魏が百済を攻撃したのなら中国大陸に百済領が存在したという解釈することもでき、『宋書』東夷百済国伝には、百済が晋平郡を自らの根拠下におき、『梁書』には、百済が東晋時代に遼西郡と晋平郡の二郡を領有、百済郡としたとあり、百済領が中国大陸に存在したと解釈することも可能な記述がある。しかし、実際に遼西を支配していた北朝系史書には関連記録が全く見られず、朝鮮史書『三国史記』『三国遺事』にも百済領が中国大陸に存在したという記述はいっさい出てこない。