無癩県運動 (original) (raw)
無癩県運動(むらいけんうんどう)とは、1930年代から1960年代にかけて、県内からすべての癩病患者を療養所に隔離・強制収容させて、放浪患者や在宅患者を県内から一掃しようという目的で行われた日本の社会運動である。医師の光田健輔や各都道府県が主導した。官民一体となって患者を摘発し強制的に療養所へ送り込んだ他、一般市民によるハンセン病患者の監視制度でもあり、周囲に隠れ暮らしているハンセン病患者を市民が発見した場合、警察などへ通報して患者を強制収容することを奨励する運動だった。 日本のハンセン病患者の人権侵害問題で画期となった熊本地方裁判所判決 (2001年5月11日) によれば、無癩県運動は「今日にまで続くハンセン病患者に対する差別・偏見の原点があるといっても過言ではない」。