FCパフタコール・タシュケント (original) (raw)
パフタコール・タシュケントFK(Pakhtakor Tashkent FK, ウズベク語: Paxtakor futbol klubi (Toshkent), ロシア語: Футбольный клуб Пахтакор Ташкент)は、ウズベキスタンの首都タシュケントを本拠地とするサッカークラブである。 ソビエト連邦時代は、ソ連1部リーグに昇格した唯一のウズベキスタンのクラブであった。1部には合計22シーズン在籍し、最高順位は1962年と1982年シーズンの6位である。このうち、1982年の6位は、1979年に発生した航空機事故(1979年ドニプロゼルジーンシク空中衝突事故)によって、ディナモ・ミンスクとのリーグ戦のために白ロシア(現ベラルーシ)のミンスクに向かっていた監督を含む17人の選手・スタッフが死亡した悲劇を乗り越えての成果だった。 USSRカップでは、1968年に中央アジアのクラブとしては唯一となる決勝進出を果たして、準優勝している。 ソビエト連邦の崩壊によるウズベキスタンの独立で成立したウズベク・リーグでは、1992年の第1回リーグでネフチ・フェルガナと同ポイントで優勝を分け合い、2002年から2007年までに6シーズン連続で優勝した。2003年に始まったAFCチャンピオンズリーグの常連であり、2003年と2004年には準決勝に進出した。