フレデリック・ダグラス (original) (raw)

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フレデリック・ダグラスFrederick Douglass
ダグラス(1874年ごろ)
生誕 1818年[1][2]アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メリーランド州タルボット郡
死没 1895年2月20日アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
著名な実績 奴隷制度廃止運動
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フレデリック・ダグラス(Frederick Douglass、1818年[2] - 1895年2月20日[3])は、アメリカ合衆国メリーランド州出身の元奴隷奴隷制度廃止運動家、新聞社主宰、政治家

編集・講演・執筆・政治家としての活動を通して、奴隷制廃止論を唱えたアフリカ系アメリカ人の活動家である。その強硬な姿勢[4]から「アナコスティア[注 1]・ライオン」などと呼ばれた。

フレデリック・ダグラスは、メリーランド州タルボット郡にて奴隷として生を受けた。自身は1817年の生まれと思っていたが生年は定かではない[5][2]。母親とは隔離されて生活させられるが、彼が7歳の時にその母も死ぬ。父親ははっきりせず、彼の奴隷所有者 (Slave master) であった白人のアーロン・アンソニーだろうとダグラス本人が語ったこともあったが、後にそれも疑わしいことを本人も認めた[6]

アンソニーの死後、12歳のダグラスはボルチモアの別の奴隷所有者の元へ引き渡され、当時違法ながら女主人に文字を習った。後に彼女の夫に禁じられたが、街灯と使い古した教科書で勉強を続けた。読み書きを覚えたころには農場を出て、ボルチモアの造船所で都市奴隷として働いていたが、1833年に主人が死に、その後始末に農場に送り返された[7]

1838年9月3日、奴隷の境遇から脱出を図る。船員服に黒人仲間からもらった身分証を携えて列車に乗り込み、ペンシルベニア州フィラデルフィアを経由してニューヨークに辿り着く。

ダグラス(1847年-1852年ごろ)

23歳の時にマサチューセッツ反奴隷制協会にて初の演説を行い、反奴隷制大会の演説の為、6ヶ月間アメリカ合衆国中を旅した。その後「皮膚の色性別を問わず、人は皆平等の権利を与えられるべきだ。」をモットーに『_North Star_』紙 (英語) などいくつかの新聞を発行する。他のアフリカ系アメリカ人指導者にしばしば見られた武力をも辞さない急進的な奴隷革命には、ダグラスは肯定的でなかった。黒人のわずかな武力で立ち上がれば、より大きな白人の武力によって徹底して潰されるのが常であった。

著書に「フレデリック・ダグラス自叙伝;アメリカの奴隷」(1845年) がある。一般的に“教養があるはずない”とされていたアフリカン・アメリカ人が本を出版する機会は当時ほぼなかったが、この本は肯定的に迎えられ、ベスト・セラーになりフランス語オランダ語にも翻訳された。本国で有名になりすぎた為、元奴隷所有者からの告発を懸念して、アイルランドに渡る。アイルランド、イギリスでも講演を行う。

1863年、時の大統領エイブラハム・リンカーンアンドリュー・ジョンソンなどと黒人参政権について協議した[8]南北戦争後、解放奴隷救済銀行の総裁を務めた。

南北戦争後の改革やダグラスなどの働きにもかかわらず、自分たちを取り巻く環境にさほど向上がみられないと感じた多くのアフリカ系アメリカ人たちは失望した。彼らは、もはや白人と平等になるという夢を捨てカンサス市などに集団移住して、白人のいない黒人だけの街を形成していった。ダグラスは彼らに「まだ諦めるな」と説いたが、一部の黒人たちに「理想と現実は違う」などと非難されることもあった。

数多くの演説を各地で行いながら、コロンビア特別区(首都ワシントン)連邦保安官(支局長)、駐アメリカ占領下ハイチ共和国合衆国総領事を歴任する[9]。またアフリカン・メソジスト系教会の司祭職に任命される[10]

1872年の大統領選挙では、公民権党がダグラスを副大統領候補に指名した。公民権党は弱小短命の泡沫政党ではあったが、ダグラスはアメリカ史上アフリカ系アメリカ人としては初めて副大統領候補に指名されたことになる。ただしダグラス本人はこのことをまったく知らされなかった。

ワシントンD.C.アナコスティア川英語版)沿いのダグラスの家は現在「フレデリック・ダグラス国立史跡英語版)」となっている。

LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれている。

  1. ^ アナコスティア英語版)はダグラスが暮らしたワシントンD.C.南東部の地域。

  2. ^ この頃、共和党は北部を拠点に奴隷制廃止の路線をとっていた。

  3. ^Frederick Douglass Biography”. Biography.com. 2016年9月2日閲覧。

  4. ^ a b c 本田 1982, pp. 1–19.

  5. ^ 本田 1981, pp. p55–57.

  6. ^ 堀智弘「フレデリック・ダグラスとジョサイア・ヘンソン : 十九世紀中葉の「反抗的な奴隷」像に関する一考察」『人文社会論叢. 人文科学篇』第30号、2013年、15–27頁、ISSN 1344-6061NAID 120005323633

  7. ^ ナッシュ p.230

  8. ^ 朴珣英「フレデリック・ダグラスの自伝における書き換え ― 自己像の構築・再構築と「永遠化」への試み」『英文学研究』第95巻、一般財団法人 日本英文学会、2018年12月、35-51頁、doi:10.20759/elsjp.95.0_35ISSN 0039-3649

  9. ^ ナッシュ p.235-236

  10. ^ 本田創造「フレデリック・ダグラスと南北戦争」『歴史評論』第67号、1955年6月、31–58頁、ISSN 0386-8907NAID 40003830279

  11. ^ 遠藤, 慶一「1850〜60年代におけるフレデリック・ダグラスとハイチ移住運動」『西洋史論叢』第32号、2010年12月、101–112頁。

  12. ^ 新免貢、Mitsugu, Shinmen、宮城学院女子大学「ソジャーナー・トゥルースとフレデリック・ダグラスのキリスト教批判」『宮城学院女子大学研究論文集』第110号、2010年6月、1–25 (含 英語文要旨)、doi:10.20641/00000118NAID 110007647575

  13. ^ 伊藤堅二「フレデリック・ダグラスの「英雄的奴隷」について-アメリカ黒人の最初の中編小説」『鳰 : 成安造形大学研究紀要』第2巻、成安造形大学、1995年、158-169頁、ISSN 1340-4180NAID 110000557427

  14. ^ 滝野哲郎「1855年のフレデリック・ダグラス–My Bondage and My Freedomについて」『女子大文学 外国文学篇』第48号、1996年3月、91–108頁、NAID 110000234403

英語版ウィキクォートに本記事に関連した引用句集があります。

英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。

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