ロングビーチ (ニューヨーク州) (original) (raw)

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ロングビーチ
City of Long Beach
ロングビーチ中央のケネディ・プラザロングビーチ中央のケネディ・プラザ
ロングビーチの旗
愛称: 海の傍の都市
標語: Civitas ad mare
ニューヨーク州におけるナッソー郡(左図のピンク)と同郡におけるロングビーチ(右図の赤)の位置ニューヨーク州におけるナッソー郡(左図のピンク)と同郡におけるロングビーチ(右図の赤)の位置
ロングビーチ (ニューヨーク州)の位置(ニューヨーク内)ロングビーチ (ニューヨーク州)ニューヨーク市に対するロングビーチの位置
北緯40度35分17秒 西経73度41分17秒 / 北緯40.58806度 西経73.68806度 / 40.58806; -73.68806
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州の旗 ニューヨーク州
ナッソー郡
入植 1623年
法人化(村) 1913年
法人化(市) 1922年
創設者 ウィリアム・J・レイノルズ
政府
• 種別 市政委員会・マネジャー方式
• 市マネジャー ジャック・シュニアマン
面積
• 合計 3.9 mi2 (10.1 km2)
• 陸地 2.1 mi2 (5.5 km2)
水域 1.8 mi2 (4.6 km2)
標高 0 ft (0 m)
人口(2010)
• 合計 33,275人
• 密度 16,571人/mi2 (6,398.1人/km2)
アメリカ合衆国国内で人口密度第34位
等時帯 UTC-5 (東部標準時)
夏時間 UTC-4 (東部夏時間)
郵便番号 11561
市外局番 516
FIPS code 36-43335
GNIS feature ID 0955835
ウェブサイト www.longbeachny.org

ロングビーチ: Long Beach)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の南東部、ナッソー郡の都市である。ロングアイランドのすぐ南、ロングアイランドの南岸沖にあるアウター・バリア諸島の中でも西端にあるロングビーチ・バリア島に位置している。2020年国勢調査での人口は35,029人だった。1922年に市として法人化された[1]。ニックネームは「海の傍の都市」であり、市章にはそのラテン語("Civitas ad mare")が記されている。

ロングビーチ市の北、東、西はレイノルズ海峡であり、南は大西洋である。

2012年時点でジャック・シュニアマンが市マネジャーを務めており、マネジャーは市政委員会から指名されている[2]

ロングビーチの最初の住人はアルゴンキン語族ロッカウェイ・インディアンであり、1643年にこの地域の土地をイングランド人開拓者に売却した。バリアー島は漁師が漁を、農夫がソルトヘイを収穫するために使っていたが、2世紀以上の間誰も年間を通じて居住する者は居なかった。1849年、連邦議会が救命駐在所を設立した。その12年前に、アイルランドからの移民を運んでいたバークの_メヒコ_が元日に座礁して、62人が死んでいた。

ブルックリン出身の建設業者オースティン・コービンが、この島のリゾート地としての開発を試みた最初の者となった。コービンはロングアイランド鉄道と共同事業を組んで、ニューヨーク・アンド・ロングビーチ鉄道社を作り、1880年にリンブルックからロングビーチまで鉄道を引いた。同年、コービンがロングビーチ・ホテルを開いた。それは海浜1,100フィート (340 m) に沿って27のコテージを並べたものであり、コービンは世界最大のホテルだと主張していた[3]。その最初のシーズンで、鉄道を使って30万人の観光客がロングアイランドを訪れた。次の春までに、島の全長にわたって鉄道線路が敷かれたが、冬の嵐で洗い流されることが繰り返され、1894年には撤去された。

ロングアイランド鉄道

1906年、39歳の元ニューヨーク州上院議員かつ不動産開発業者であるウィリアム・レイノルズがロングビーチに関わるようになった。レイノルズは既にブルックリンの4地区(ベッドフォード=スタイベサント、ボロパーク、ベンソンハースト、サウスブラウンズビル)を開発しており、世界最大のアミューズメントパークであるコニーアイランドのドリームランドも開発していた。レイノルズは劇場も所有し、劇を上演していた。投資家を集めて、大西洋に面した土地を民間所有者から取得し、1907年にはヘムステッド町から島の残り部分も取得した。ボードウォーク、家屋、ホテルの建設を計画した。一群の象をドリームランドから行進させ、表面上ロングビーチ・ボードウォークの建設を支援し、実質的な宣伝行為を行った。島の北側では浚渫で幅1,000フィート (300 m) の海峡を造り、大型蒸気船や水上機でより多くの観光客を運べるようにした。その新しい水路はレイノルズ海峡と名付けられた。ロングビーチが「東のリビエラ」という宣伝文句でやっていけるために、建物は全て特徴ある地中海様式で建設することを求め、白い化粧しっくいの壁と赤粘土タイルの屋根で造らせた。海の傍にキャッスルと名付けた劇場を建設し、社交ダンスを広めたバーノンとイレーヌのキャッスル夫妻のために世界最大のダンスフロアを備えた。1918年にレイノルズの会社が破産した後、規制が取られた。新しい町は、ニューヨーク市やハリウッドから裕福な事業家やエンターテイナーを惹きつけた。

1907年7月29日、ロングビーチ・ホテルから出火し、全焼した。800人居た客の中で、窓から飛び降りて8人が負傷し、女性1人が死んだ。火元は欠陥のある電気配線からだった。教会1棟、コッテージ数棟、入浴棟も破壊された。客の者であるトランクを「更衣室」を作るために砂の上に積み上げていたものが、泥棒に盗まれた。ウェイターなど多くの者が警察に拘束され、2万ドル相当の宝石などの盗品が回収された[4]

ロングビーチは1913年にビレッジとして、1922年に市として法人化された[5]

1923年、イジーとモーと単純に呼ばれた禁酒法のエージェントがナッソー・ホテルを襲撃し、密造酒販売容疑で3人を逮捕した。1930年、ロングビーチ警察の警察官5人が、アメリカ合衆国沿岸警備隊員に賄賂を贈り、アルコールを陸上げさせたとして告発された。この警察はその1年後にも別の問題を起こした。1931年夏に国民を虜にしたミステリーとなった。浜で漂着物を拾っていた人がスター・フフェイスフルという若い女性の遺体を発見した。その女性は自殺を示すメモを残していたが、彼女は殺されたと考える者がいた。この時までにロングビーチでは汚職が広がっていた。1922年、州議会がロングビーチを市に指定し、ウィリアム・H・レイノルズが初代市長に選ばれていた。その後直ぐにレイノルズは公金横領の容疑で告発された。レイノルズが有罪と判決を下されたときに、市役所時計塔の時計が抗議のために止められた。その年に抗告審判で判事がレイノルズを監獄から釈放したとき、ほとんど全住人がレイノルズの帰還を歓迎し、時計が動かされた。

1939年、市長のルイス・F・エドワーズが自宅の玄関前で警官に撃たれて致命傷を負った。警官のアルビン・ドゥーリーは白バイ隊の隊員であり、市長自身の警護特務部隊員だったが、警察慈善協会の会長候補になろうとして市長が支持していたものの、失敗した後で市長を殺した。市内のジャクソン大通りは後に殺された市長にちなんでエドワーズ大通りと改名された。この殺人事件の後、市民は市マネジャー方式を採用する議案を採択し、それが現在も続いている。市マネジャーは市政委員会に雇用され、報告義務がある。

1940年代、ホセ・フェラー、ゼロ・モステル、メイ・ウエストなどの有名俳優が土地の劇場に出演した。ジャック・デンプシーキャブ・キャロウェイハンフリー・ボガート、リリアン・ロス、ルドルフ・ヴァレンティノフローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアジェームズ・キャグニークララ・ボウジョン・バリモアがロングビーチに長年住んだ。その他の出身者として、ビリー・クリスタル(その兄弟のジョエル・クリスタルはロングビーチ市政委員会の議長を務めた)、ジョーン・ジェットデレク・ジータージョン・ラナンエイミー・フィッシャー(ロングアイランドのロリータ)がいる。

1940年代と1950年代、航空運賃が安くなって、さらに遠方から観光客を惹きつけるようになり、また空気調和機械によって一年中快適な生活ができるようになり、ロングビーチはニューヨーク市への通勤者にとって人気あるベッドタウンとなった。1970年代に入っても観光客を惹きつけ続けていた。利用客の減ったボードウォークのホテルは、生活保護受給者や高齢者を一時的に収容するために使われていたが、1970年頃に起きたスキャンダルによって家屋の多くが免許を取り消されることになった。当時、政府のエージェントもそのようなホテルを「倉庫に」しており、大きな精神病院から追い出された患者を収容していた。彼らは小さな規模のコミュニティセンターで介護されるものと考えられた。延長2.2マイル (3.5 km) あるボードウォークには、エドワーズ大通りの外れに小さなアミューズメントパークが造られ、1970年代後半まで使われた。1960年代後半、ボードウォークとアミューズメントパークのある場所は、ロングアイランド全体から若者を惹きつけたが、警察が薬物の扱いを取り締まるようになって、それも終わった。現在もボードウォークで事業を行う団体がまだ残っている一方で、自転車乗り、ジョガー、ウォーカーさらに人を見物する人を惹きつけている。

1980年代から、さらに1990年代には加速してロングビーチは都市再生を始め、新しい住宅、新しい企業など新しいものができた。今日、ニューヨーク市で働き、静かな海浜の環境を望む人々にとって、市は再度人気あるベッドタウンとなった。夏には地元の若者や大学生、さらにウェストエンドのバンガローを借りる若い成人が集まる。彼らはウェストビーチ通り沿いのバーやクラブを訪れる。しかし、市の中心部に近く、ボードウォークの背後は、昔ホテル、浴場、アミューズメントパークのあったブロックが空白地になっている。このスーパーブロックとなる可能性のある街区にアトランティックシティのようなカジノなど開発業者を呼び込もうという動きが実を結んでいないので、これらのブロックは市内の未使用地の大部分を占めている。

2012年10月29日、ハリケーン・サンディがロングビーチを襲った。それによる洪水の結果、数百台の自動車が壊れ、家屋も大きな被害を受けた。被害総額は2億5,000万ドルと見積もられている。市内では電力も水道もない時期が2週間続いた。この嵐でボードウォークも破壊された。市は連邦緊急事態管理局とニューヨーク州政府の認可を得て、ボードウォークの再建を始めた。ロングビーチ・ボードウォークの最初の2ブロック部分は2013年7月26日に開通した[6]。全線は10月25日の開通となった[7]

ロングビーチ・バスが[8]5つの系統で24時間バス便を運行している。3系統は市内、1系統は終夜循環線、1系統はナッソー郡との契約によりリドビーチやポイントルックアウトとを結ぶ拡張路線となっている。市内ではトロリーバスも運行している。

ナッソー・インターカウンティ・イクスプレスがロングビーチ始発のバス路線2系統を運行している。ロックビル経由のルーズベルトフィールド行きと、アトランティックビーチ経由のファーロッカウェイ行きである[9][10]

ロングアイランド鉄道[11]パークプレースとパーク・アベニュー角に終着駅を運営しており、ロングビーチ支線が運行されている。市内交通手段の全てがこの駅に集まって来る。

ロングビーチ・バリアー島

アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は2.0平方マイル (5.2 km2)である。

ロングビーチ市はロングアイランド南岸沖のバリアー島の上にある。島の上では西にアトランティックビーチのビレッジ、東にリドビーチとポイントルックアウトの小集落がある。このバリアー島の中で南北の幅はそのまま、北のレイノルズ海峡と南の大西洋に接している。跳ね橋であるロングビーチ橋が、ロングビーチとロングアイランド本土との間にある小さな島、アイランドパークとを結んでいる。その西では、アトランティックビーチ橋が島とロングアイランド本土のローレンスとを結んでいる。リドビーチとポイントルックアウトに沿って東に伸びるループ・パークウェイが島とジョーンズビーチを結んでいる。

| | | アイランドパークレイノルズ海峡 | | | | ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- | ------------------------------------------------------------------------------------------- | --------------- | | ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- | | アトランティックビーチ | 北 | リドビーチ | | | | 西 ロングビーチ 東 | | | | | | 南 | | | | | | | 大西洋 | | | | |

ロングビーチは温暖湿潤気候ケッペンの気候区分では Cfa にあたり、夏は暑く、冬は冷涼である。この気候帯では最北部にあり、ヤシの木のような熱帯性植物も生育できる。降水量は年間を通じて均等であり、その大半は雨の形で降る。大西洋の海流の影響で気候が緩和されている。

ロングビーチの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °F (°C) 71 (22) 71 (22) 85 (29) 90 (32) 99 (37) 100 (38) 104 (40) 101 (38) 98 (37) 90 (32) 77 (25) 75 (24) 104 (40)
平均最高気温 °F (°C) 39 (4) 42 (6) 49 (9) 59 (15) 69 (21) 78 (26) 83 (28) 82 (28) 75 (24) 65 (18) 54 (12) 44 (7) 61.6 (16.5)
平均最低気温 °F (°C) 26 (−3) 28 (−2) 34 (1) 44 (7) 53 (12) 63 (17) 69 (21) 68 (20) 61 (16) 50 (10) 41 (5) 32 (0) 47.4 (8.7)
最低気温記録 °F (°C) −2 (−19) −2 (−19) 7 (−14) 20 (−7) 34 (1) 45 (7) 55 (13) 46 (8) 41 (5) 30 (−1) 19 (−7) 2 (−17) −2 (−19)
出典:[12]

郊外部の多くとは異なり、ロングビーチは人口密度が高い。住宅の40%足らずは一戸建て住宅である[13]。国内の都市で、人口密度では第24位である。

大西洋から内海海岸までの幅は1マイル (1.6 km) 足らず、長さは3.5マイル (5.6 km) である。多くの小さなバンガローがあるウェストエンドと、イーストエンドに二分される。ニューヨーク・アベニューの西は半マイル (800 m) の幅しかなく、ウェストビーチ通りが東西方向の幹線商業道路である。

ニューヨーク・アベニューの東は幅が広くなり、大型の家庭向け家屋がある。ボードウォークはニューヨーク・アベニューに始まり、ネプチューン大通りまで続く。ボードウォーク沿いには多くのアパートや集合住宅がある。主要な商店街はパーク・アベニューであり、ニューヨーク・アベニューの西では小さな住宅街に変わる。

ウェストエンドのオーシャンビュー・アベニュー

ロングビーチの日没

以下は2000年国勢調査による人口統計データである[14]

基礎データ 人口: 35,462 人 世帯数: 14,923 世帯 家族数: 8,103 家族 人口密度: 6,398.1人/km2(16,594.9 人/mi2) 住居数: 16,128 軒 住居密度: 2,909.8軒/km2(7,547.3 軒/mi2) 人種別人口構成 白人: 84.20% アフリカン・アメリカン: 6.18% ネイティブ・アメリカン: 0.21% アジア人: 2.32% 太平洋諸島系: 0.08% その他の人種: 4.75% 混血: 2.26% ヒスパニックラテン系: 12.80% 年齢別人口構成 18歳未満: 18.5% 18-24歳: 6.6% 25-44歳: 34.4% 45-64歳: 23.8% 65歳以上: 16.7% 年齢の中央値: 40歳 性比(女性100人あたり男性の人口)総人口: 92.7 18歳以上: 89.6 世帯と家族(対世帯数) 18歳未満の子供がいる: 21.6% 結婚・同居している夫婦: 40.0% 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 10.8% 非家族世帯: 45.7% 単身世帯: 36.7% 65歳以上の老人1人暮らし: 10.7% 平均構成人数世帯: 2.26人 家族: 3.02人 収入と家計 収入の中央値世帯: 56,289米ドル 家族: 68,222米ドル 性別男性: 50,995米ドル 女性: 40,739米ドル 人口1人あたり収入: 31,069米ドル 貧困線以下対人口: 9.4% 対家族数: 6.3% 18歳未満: 13.2% 65歳以上: 10.7%

ロングビーチ市政府は市政委員会・市マネジャー方式を採用している。市政委員会は5人の委員で構成され、市マネジャーを指名する。

市の緊急対応はロングビーチ警察署と同消防署が対応している。

ロングビーチ市教育学区がロングビーチ市とヘンプステッド町の一部の公共教育を管轄しており、高校1校、中学校1校、幼稚園前保育園1園、小学校4校がある。ナイキミサイルの跡地にオルターナティブ高校も運営しており、学区の通学サービスは共有している。

カトリック地域学校

ロングビーチ市の学校は以下の通り:

ロングビーチ公共図書館は本館をロングビーチ中心街に、支所をポイントルックアウトとウェストエンドに置いて、ロングビーチ都市圏にサービスしている。

ロングビーチのパノラマ

ロングビーチのパノラマ

  1. ^ Our History provided by Newsday (City of Long Beach Official Site)
  2. ^ http://www.longbeachny.gov/index.asp?Type=B_DIR&SEC={C50281EA-B062-44FD-B714-35C29EDE6CB7}&DE={322DB027-B794-4136-AC30-91FE0BE18855}
  3. ^ The Long Beach Hotel: 1880-1907 (I Love Long Beach New York.com)
  4. ^ "1907: Fire Destroys Hotel," In Our Pages, International Herald Tribune, accessed 29 July 2007
  5. ^ http://www.longbeachny.org
  6. ^1st section of Long Beach boardwalk reopens after Superstorm Sandy”. WABC TV. 26 July 2013閲覧。
  7. ^Long Beach boardwalk to fully reopen after Superstorm Sandy”. WABC TV. 25 October 2013閲覧。
  8. ^ http://www.longbeachny.gov/vertical/sites/%7BC3C1054A-3D3A-41B3-8896-814D00B86D2A%7D/uploads/%7BC093BB43-F8A2-4F48-9996-4466C2D51FFA%7D.PDF[_リンク切れ_]
  9. ^ http://www.nicebus.com/_meta/NewRoutePDFs/NICE-April_8_n15_MapSchedule.pdf
  10. ^ http://www.nicebus.com/_meta/NewRoutePDFs/NICE-April_8_n33_MapSchedule.pdf
  11. ^ http://lirr42.mta.info/stationInfo.php?id=105
  12. ^Average Weather for Long Beach, NY - Temperature and Precipitation”. July 3, 2012閲覧。
  13. ^ http://factfinder.census.gov/servlet/QTTable?_bm=y&-geo_id=86000US11561&-qr_name=DEC_2000_SF3_U_DP4&-ds_name=DEC_2000_SF3_U&-_lang=en&-_sse=on
  14. ^American FactFinder”. United States Census Bureau. 2008年1月31日閲覧。
  15. ^ Long Beach Catholic Regional School (LBCRS)
  16. ^ http://collegesearch.collegeboard.com/search/CollegeDetail.jsp?collegeId=1074&profileId=0
  17. ^ "Roslyn Bernstein", Baruch College, CUNY
  18. ^ Bernstein, Roslyn (2009). Boardwalk Stories. New York: Blue Eft Press. ISBN 978-0-9840546-0-2
  19. ^ Billy, Crystal (2005). 700 Sundays. New York: Warner Books. ISBN 0-446-57867-3
  20. ^ Long Beach (Images of America Series). New York: Arcadia Publishing. (2010). ISBN 0-7385-7258-6

座標: 北緯40度35分10秒 西経73度40分04秒 / 北緯40.58605度 西経73.66775度 / 40.58605; -73.66775