三富朽葉 (original) (raw)

三富朽葉

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三富 朽葉
誕生 三富 義臣1889年8月14日長崎県石田郡武生水村
死没 (1917-08-02) 1917年8月2日(27歳没)千葉県銚子市犬吠埼君ヶ浜
墓地 多磨霊園
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 早稲田大学文学部英文科卒業
ジャンル 自由詩文学批評
文学活動 口語自由詩運動
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三富朽葉の実父・三富道臣によって建立された涙痕之碑

三富 朽葉(みとみ きゅうよう、1889年明治22年〉8月14日 - 1917年大正6年〉8月2日)は、日本の詩人である。本名は義臣

長崎県石田郡武生水村(現・壱岐市)生まれ。父・道臣は石田郡長を務めた。旧制暁星中学校早稲田大学文学部英文科卒業。大学の同期には宇野浩二廣津和郎がいる[1]

自由詩社同人。同人の人見東明加藤介春福田夕咲らとともに、自由詩風で認められ、またフランス文学批評をも著したが、犬吠埼君ヶ浜で溺れた友人・今井白楊を助けようとしてそのまま水死した。今井も助からなかった。

「三富朽葉詩集」1巻(1917年)が遺った。

  1. ^ 金子光晴・編『日本詩人全集 第三巻』創元文庫、1953年、228p頁。

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