三鬼陽之助 (original) (raw)

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三鬼 陽之助(みき ようのすけ、1907年8月3日[1] - 2002年10月5日[1][2])は、日本経済評論家。財界のご意見番と称された[2]

三重県尾鷲市に生まれる。1931年法政大学法学部に在籍し、法政大学弁論部の一員として活動。大学を卒業後は、ダイヤモンド社入社[2]。経済記者となる。その後、1944年東洋経済新報社、『投資経済』編集長などを経て[2]1953年に財界研究所を設立し[2]、社長に就任。雑誌『財界』を創刊し[2]、戦後の経済復興に取り組む企業経営者を取り上げた。永野重雄(元日本商工会議所会頭)・小林中(元日本開発銀行総裁)・桜田武(元日経連会長)・水野成夫(元産経新聞社長)の4人を「財界四天王」と命名した[3]

著書は『東芝の悲劇』『日産の挑戦』『毛沢東語録入門』など101冊に上り[2]、「財界のご意見番」とも呼ばれた[2]。著書は企業内の抗争を解き明かしたものが多く、多くの読者を獲得した[2]。また「経営トップは常に現場に立って」と説き、自らの会社評論・経済評論でも、この現場主義を貫き通した[3]

回想評伝に、佐藤正忠『三鬼陽之助 筆者だけが知る「財界指南役」の実像』(経済界、2003年)がある。

  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus『三鬼陽之助』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i三鬼陽之助 「財界のご意見番」、死去 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス”. 情報・知識&オピニオン imidas. 集英社. 2022年12月13日閲覧。
  3. ^ a b運営会社 | 財界オンライン”. www.zaikai.jp. 財界. 2022年12月13日閲覧。