垂水ゴルフ倶楽部 (original) (raw)
垂水ゴルフ倶楽部
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垂水ゴルフ倶楽部Tarumi Golf Club | |
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垂水ゴルフ倶楽部の空中写真。2009年5月11日撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 | |
所在地 | 日本兵庫県神戸市垂水区潮見が丘二丁目2番1号 |
座標: 北緯34度38分59.51秒 東経135度3分26.79秒 / 北緯34.6498639度 東経135.0574417度 / 34.6498639; 135.0574417 | |
概要 | |
開業 | 1920年(大正9年)10月3日 |
運営 | メンバーシップコース |
設計 | J・E・クレーン |
運営者 | 垂水ゴルフ倶楽部 |
コース | |
OUT IN HOLE PAR YARD HOLE PAR YARD 1 4 280 1 4 277 2 3 168 2 4 312 3 5 530 3 3 125 4 3 162 4 5 462 5 4 388 5 4 321 6 5 561 6 3 202 7 3 166 7 4 318 8 4 397 8 4 301 9 4 321 9 4 370 計 35 2973 計 35 2688 | |
その他 | |
公式サイト | 垂水ゴルフ倶楽部 |
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垂水ゴルフ倶楽部(たるみゴルフくらぶ)は、兵庫県神戸市垂水区潮見が丘に広がるゴルフ場である。
垂水ゴルフ倶楽部は、1920年(大正9年)、新たなゴルフ場の建設に向け、日本綿花株式会社(現、双日株式会社)・南郷三郎、久保正助らが発起人となり、社団法人「舞子カントリー倶楽部」を創設したことに始まる[1]。1920年(大正9年)10月3日、明石郡垂水村に「舞子カントリー倶楽部」9ホールゴルフ場を開場した[2]。日本では、第7番目に開場した歴史のあるゴルフ場である[1]。その後、1932年(昭和7年)7月29日、舞子カントリー倶楽部を閉鎖[1]、同年7月、ゴルフ場は「新興土地建物株式会社」に売却され、同年9月、太平洋戦争までパブリックコース「舞子ゴルフ場」を開場した[2]。その後、1943年(昭和18年)8月31日、舞子ゴルフ場を閉鎖し、 1944年(昭和19年)、「三菱重工業株式会社」の厚生農園に変わった[1]。
1951年(昭和26年)9月23日、芋畑となっていた舞子ゴルフ場9ホールが整備され、新たなゴルフ場「垂水ゴルフ倶楽部」を創設した[2]。1953年(昭和28年)4月1日、コース設計をJ・E・クレーンに依頼、18ホール規模のゴルフ場を着工、翌年の、1954年(昭和29年)7月、18ホール増設、ゴルフ場が完成し開場した[2]。
コースは、全体的にはフェアウェイは狭く、グリーンは砲台型で小さく、バンカーが深いなど、手造りの良さが目立つ丘陵コースである。アウトコースは、比較的フラットなコースであるが、インコースは、打ち上げ、打ち下ろし、池越えなど、変化に富んでおり、正確なショットが要求されるコースである。
J・E・クレーンは、1892年(明治25年)、イギリス人の父と日本人の母に生まれ、日本ゴルフ史に残るゴルフ場設計家である。太平洋戦争をまたぎ1980年(昭和55年)まで関西を中心に数多くの設計に携わった。設計したコースは22コース程あり、特徴としては、あくまでも自然が主役で、微妙な起伏を生かすことで難易度を高めることを主眼にした[3]。
- 1920年(大正9年)10月3日 - 社団法人「舞子カンツリー倶楽部」を創設
- 1932年(昭和7年)
- 7月29日 - 舞子カンツリー倶楽部を解散
- 7月 - ゴルフ場を新興土地建物株式会社に売却
- 9月 - パブリックコース「舞子ゴルフ場」を開場
- 1943年(昭和18年)8月31日 - 舞子ゴルフ場を閉鎖
- 1944年(昭和19年) - ゴルフ場を三菱重工業株式会社に売却
- 1951年(昭和26年)9月12日 - 「垂水ゴルフ倶楽部」を創設
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 18ホール規模のゴルフ場に着工
- 1954年(昭和29年)9月7日 - 18ホール規模のゴルフ場が完成
- 1960年(昭和35年)4月6日 - 新クラブハウス完成[4]
〒655-0005 兵庫県神戸市垂水区潮見が丘二丁目2番1号
- 開場日 - 1920年10月3日
- 設計者 - J・E・クレーン
- 面積 - 470.000m2(約14.2万坪)
- コースタイプ - 丘陵コース
- コース - 18ホールズ、パー70、5,955ヤード、コースレート67.7
- グリーン - 1グリーン、ベント(ペンクロス)
- プレースタイル - 乗用カート(5人乗り)、自走式、全組キャディ付き
- 練習場 - 12打席 200ヤード
- 休場日 - 毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、2・5・8月の最終火曜日、12月31日、1月1日[5][6]
- コース - 「垂水ゴルフ倶楽部」、コース紹介、コース全景図
- ハウス - 「垂水ゴルフ倶楽部」、施設案内
- 鉄道 - JR神戸線(山陽本線) - 垂水駅よりタクシー利用 約7分、路線バス 約10分
- 道路 - 阪神高速7号北神戸線 - 前開出入口より 7km[7]
- 創設時の「舞子カントリー倶楽部」は、「六甲だけでは冬のゴルフができない」とゆう理由で、明石郡垂水村にゴルフ場が造られた経緯がある。しかし、舞子カントリー倶楽部の歴史は、僅か12年で終わった[8]。
- 昭和に入って、「茨木カンツリー倶楽部」、「廣野ゴルフ倶楽部」など、本格的なゴルフ場が相次いで開場し、「舞子カントリー倶楽部」が解散したときは、メンバーの大半は廣野ゴルフ倶楽部に移った[8]。
- コース設計のJ・E・クレーンには、弟のH・C・クレーンがおり、鳴尾ゴルフ倶楽部の設計を行った。弟は無報酬で「垂水ゴルフ倶楽部」の設計を手伝ったこともあり、鳴尾ゴルフ倶楽部のDNAを見ることが出来る[8]。
- 垂水ゴルフ倶楽部の、インコースの12、13、14、16番ホールは、明石海峡大橋に向かって打つ豪快なホールである[8]。
- ^ a b c d 「垂水ゴルフ倶楽部」、倶楽部概要、2020年12月10日閲覧
- ^ a b c d 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「垂水ゴルフ倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年12月30日閲覧
- ^ 「GOLF COURSE LANKING CLUB」、J・E・クレーン(クレイン) 設計コース、2020年12月10日閲覧
- ^ 「垂水ゴルフ倶楽部」、垂水ゴルフ倶楽部の歴史について、2020年12月10日閲覧
- ^ 「垂水ゴルフ倶楽部」、倶楽部概要、2020年12月10日閲覧
- ^ 「垂水ゴルフ倶楽部」、ゴルフ場詳細、2020年12月10日閲覧
- ^ 「垂水ゴルフ倶楽部」、交通アクセス、2020年12月10日閲覧
- ^ a b c d 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「垂水ゴルフ倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年12月10日閲覧
- 『全国ゴルフ・コース案内 関西篇』、「垂水ゴルフ倶楽部」、水谷準著、東京 ベースボール・マガジン社、1963年、2020年12月10日閲覧
- 『ゴルフ場ガイド 東版』2006-2007、「垂水ゴルフ倶楽部(兵庫県)」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2020年12月10日閲覧
- 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「垂水ゴルフ倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年12月10日閲覧
- ゴルフ
- ゴルフ場
- ゴルフ会員権
- 日本のゴルフ場一覧
- 垂水ゴルフ倶楽部
- 「垂水ゴルフ倶楽部」、ドローンギャラリー、Rakuten GORA、2021年8月27日閲覧