大東市 (original) (raw)

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だいとうし ウィキデータを編集大東市
野崎観音
大東市旗 大東市章 大東市旗 1981年3月27日制定 大東市章1956年8月1日制定
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
市町村コード 27218-3
法人番号 6000020272183 ウィキデータを編集
面積 18.27km2
総人口 115,498[編集]推計人口、2024年12月1日)
人口密度 6,322人/km2
隣接自治体 大阪市門真市寝屋川市四條畷市東大阪市奈良県生駒市
市の木 サンゴジュ
市の花 キク
市のキャラクター ダイトン[1]
大東市役所
市長 [編集]逢坂伸子
所在地 574-8555大阪府大東市谷川一丁目1番1号北緯34度42分43秒 東経135度37分24秒 / 北緯34.712度 東経135.62342度 / 34.712; 135.62342座標: 北緯34度42分43秒 東経135度37分24秒 / 北緯34.712度 東経135.62342度 / 34.712; 135.62342大東市役所大東市役所
外部リンク 公式ウェブサイト
大東市位置図 ■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町・村 地図
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大東市(だいとうし)は、大阪府北河内地域に位置する

平安時代より、東高野街道など大阪と奈良を結ぶ交通の要衝として栄え、また戦乱の舞台ともなってきたが、江戸時代の治水・新田開発などにより、商都大阪の重要な後背地となった。

地名の由来は「大阪市の東部に隣接する衛星都市として飛躍的発展が期待されるという明るい展望」を、「光は東方より」という古代ローマのことわざに託したことによる[2]

大東市街地

大東市中心部周辺の空中写真。1985年撮影の4枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

大阪府

奈良県

古代[3]

縄文時代前期の頃には生駒山の麓まで河内湾であったこの付近も、中期に入ると縮小に入り弥生時代には河内湖へと変貌し、中垣内や野崎、北条辺りに集落がつくられた。

古墳時代に入ると、堂山古墳群など飯盛山の麓一帯に多くの古墳が造営された。この頃になるとこの地域は国の歴史の流れに組み込まれるようになり、西大寺荘園であった「河内国更占(讃良)郡須濱庄」(現須波麻神社周辺)が奈良時代の文献に残されている。また当時、土地開発(条里制)がおこなわれたが、その名残が中垣内から北条という地名に残っている。

中世

平安時代になると河内湖は更に大きな池へと変化した(枕草子/勿入渕(ないりそのふち)と呼称されている)。それに合わせるように東高野街道沿いには集落ができ、とくに奈良へ向かう中垣内越の道と交差する寺川や中垣内辺りは交通の要衝として重要な地となった。大東市含めこの地方は古代より水害に見舞われることの多い地域ではあったが、利点として豊富な魚介や特産物の蓮があり、そのため今の赤井付近には皇室の食料を調達するための供御領が存在した。またこの頃になると低地開発がすすみ集落がより拡大した。

戦乱の世になると、東高野街道をはじめとするこの地域は戦略上重要な場所となり、たびたび舞台として名が登場する事となった(**四條畷の戦い飯盛山城**)。この頃、東に深野池、西南に新開池と2つの池に範囲が確定し、深野池に浮かぶ島には飯盛城の支城である三箇城(現存せず/三箇菅原神社)があった。城主の三箇氏はキリシタンでこの地に教会を建設するなど、意欲的に活動を行い、それは宣教師ルイス・フロイスによって欧州にまで伝えられていた。

近世

1704年の大和川つけかえとそれに伴う深野池新開池の干拓、新田の造成は地域の姿を一変させた。とくに本願寺難波別院が中心となって行われた**新田開発**は各地からきた開拓民によって進められ、それらの定着は以降の農業の歴史において大きな力となった。結果、稲作を中心に木綿菜種などの生産高は飛躍的に増大し、「天下の台所」と称されていた大坂を支える地位を確立。また農業生産の伸びは地域を発展させ、大坂―奈良の中継地として農産物の集散地として貸客舟運の拠点(角堂浜、住吉神社)として大きな賑わいを見せた。野崎観音参りなど都市部との行き来も盛んになった。これらは「河内名所図絵」や「人形浄瑠璃お染久松」を通して窺い知れる。

近代

江戸期に引き続き、豊かな農業生産を基礎に大阪を支える支柱となった。地元篤志家による私学校、深野郷学校の開設、1892年明治25年)の片町・四条畷間の鉄道、浪速鉄道の開通(のちに国鉄片町線となった)など近代化が推し進められた。大正に入ると人口が1万人を超え、電灯の設置や上水道整備を実現させ、特に浄水場の建設は情勢からすれば画期的なものであった。大正から昭和初期にかけて少しずつ人口は増え続けた。

1895年(明治28年)、住道駅南側に繊維会社の摂河紡績住道工場が稼動を開始、1899年(明治32年)に同工場は鐘淵紡績(後のカネボウ)へ譲渡され、鐘淵紡績(カネボウ)住道工場となり、化学繊維の普及などから1975年(昭和50年)に閉鎖されるまで76年間にわたって"繊維の街"として栄えた。同工場の跡地にはベルパーク住道マンションや大東四條畷消防本部、大東市総合文化センター、大東市総合福祉センターなどが建設されている。

現代

1956年昭和31年)4月1日南郷村住道町四条町が合併して大東市が発足。大阪府下22番目の市。人口3万人を突破。

高度経済成長期によって住宅、工場、事業所の進出が著しく増大し、急速な人口増加と都市化を経験。1975年(昭和50年)には人口約11万人にまで膨れ上がった。農地比率が高く、地盤も弱いこの地域は高い行政需要を生み出し、対応の難しさが様々な都市問題を引き起こす原因となった。こうした中で1972年(昭和47年)と1975年(昭和50年)には集中豪雨による河川氾濫により未曾有の水害に襲われ多くの市民が被害にあった。

1972年(昭和47年)、寝屋川の堤防が洪水で決壊。市域が水没する(大東水害訴訟)。

その後この大災害を教訓に、水道事業の推進、河川や水路の改修を最重点に道路、公園、教育、福祉施設等に力を入れ、住道駅野崎駅四条畷駅の三拠点を中心に官民一体となって積極的なまちづくりを行っている。「人間尊重の快適なまちづくりをめざして」を掲げる第2次総合計画、「つくろうヒューマン新都心・大東」をテーマとする第3次総合計画、「いきいき安心のまち・大東」[4]をテーマする第4次総合計画[5](2001年策定)はその意識に基づかれたものである。

1986年(昭和61年)、市制施行30周年を記念して大東市立総合文化センター(サーティホール)がつくられた。

・2011年(平成23年)大東市公式マスコットキャラクター「ダイトン」

氏名 就任 退任
初代 川口房太郎 1956年4月1日 1976年5月4日
2代 西村昭 1976年5月5日 1992年5月4日
3代 近藤松次 1992年5月5日 2000年5月4日
4代 岡本日出士 2000年5月5日 2012年5月4日
5代 東坂浩一 2012年5月5日 2024年5月4日
6代 逢坂伸子 2024年5月5日 現職

定数は17人。2016年6月20日時点での会派構成は以下の通り。

会派名 議席数 所属党派
公明党議員団 4 公明党
清新会 3
大阪維新の会 3 大阪維新の会
自民党翔政会 2 自由民主党
自民党議員団と無所属の会 2 自由民主党、無所属
日本共産党議員団 2 日本共産党
無所属 1

衆議院小選挙区では、寝屋川市四條畷市と共に大阪府第12区を構成する。

2017年4月現在、姉妹都市・友好都市の名義で提携を行っている国内外の自治体は存在しない。

かつて、同じ大東の名を持つ自治体4市町による「全国「大東」同名市・町会」(通称「大東サミット」、1986年 - 2004年。市町村サミット参照)に参加していた(他のメンバーは岩手県大東町静岡県大東町島根県大東町)が、平成の大合併により、大東市以外の自治体が消滅したため解散した[6][7][8]。この縁で2011年の東日本大震災の被災地となった岩手県一関市(旧大東町)に市議会が見舞金を送っている[7]

2014年5月9日に、隣接する四條畷市奈良県生駒市との3市間で災害時相互応援協定を結んだ[9]

船井電機

大東郵便局

(2012年12月現在)

その他上記の各郵便局にATMが設置されており、★印の郵便局ではホリデーサービスを実施。

※大東市内全域の郵便番号は「574-00xx」(大東郵便局の集配担当)となっている。

平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.81%増の127,534人であり、増減率は府下43市町村中13位、72行政区域中28位。

大東市と全国の年齢別人口分布(2005年) 大東市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 大東市■緑色 ― 日本全国 ■青色 ― 男性■赤色 ― 女性
大東市(に相当する地域)の人口の推移 1970年(昭和45年) 93,136人 1975年(昭和50年) 110,829人 1980年(昭和55年) 116,635人 1985年(昭和60年) 122,441人 1990年(平成2年) 126,460人 1995年(平成7年) 128,838人 2000年(平成12年) 128,917人 2005年(平成17年) 126,504人 2010年(平成22年) 127,534人 2015年(平成27年) 123,217人 2020年(令和2年) 119,367人
総務省統計局 国勢調査より

大阪産業大学

大阪桐蔭中学校・高等学校

住道駅

西日本旅客鉄道(JR西日本)

市内にはJR線以外の鉄道路線は無い。四条畷駅は、四條畷市の中心駅であるものの、駅舎は当市に所在している。住道駅も四条畷駅も、快速停車駅である。

諸福地区などの市南西端では、東大阪市に所在する鴻池新田駅が最寄りとなる。

ただし、近畿自動車道はわずかに大東市にかかっている程度で、また大東鶴見ICの大部分は大阪市鶴見区である。

  1. ^ https://www.city.daito.lg.jp/soshiki/56/1002.html
  2. ^ 大東市HP
  3. ^ 大東市HP
  4. ^ 第4次大東市総合計画
  5. ^ 第4次大東市総合計画
  6. ^大東市の支援状況”. 大東市. 2017年2月22日閲覧。[_リンク切れ_]
  7. ^ a b東北関東大震災支援募金ありがとうございました。”. 大東市議会. 2017年2月22日閲覧。
  8. ^大東市のあゆみ”. 大東市. 2017年2月22日閲覧。[_リンク切れ_]
  9. ^大東市、四條畷市、生駒市で大規模災害時における相互応援協定を締結しました”. 大東市. 2017年4月25日閲覧。[_リンク切れ_]
  10. ^ 大阪市営バスの路線再編に伴い1977年4月10日に廃止された。(出典:「大阪市交通局百年史」 P.218、2005年・大阪市交通局)
  11. ^ 歴史散歩道大東

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