安政 (original) (raw)
安政(あんせい)は、日本の元号の一つ。嘉永の後[1]、万延の前。大化以降223番目、239個目の元号。1855年から1860年までの期間を指す。この時代の天皇は、孝明天皇。江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。
改元
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朝廷は「文長」を希望していたが、幕府の介入によって「安政」に差し替えられ、実施日も前将軍徳川家慶の月法要(毎月22日)終了後に変えられた[3]。
出典
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『群書治要』巻38の「庶民安政、然後君子安位矣」 から。勘申者は東坊城聡長。
「庶民が今の世の中の暮らしに満足していれば、治めている君主の地位は安定する。」という意味である。
安政年間の出来事
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安政期には大きな地震が相次いで発生したが、安政伊賀地震・安政東海地震・安政南海地震・豊予海峡地震は、「安政」への改元前の嘉永7年に発生した地震である。このため、これらの地震は本来「嘉永の大地震」と称すべきだという見解がある[4]。
一方、明治の改元にあたっては詔勅で「慶応4年(1868年)を明治元年と改元する(改慶応四年為明治元年)」としており、慶応4年1月1日に遡って明治元年と改元されているのであり(立年改元)、これ以前も例えば、嘉永七年に出された詔勅では「改嘉永七年為安政元年」と書かれており[5]、嘉永7年(1854年)は1月1日に遡り安政元年に改元されたとも解釈され、歴史年表も安政元年を採用しているので「安政の大地震」とすべきという見解もある[6]。
また、日本史的大事件として江戸幕府崩壊の引き金となる、安政の大獄(安政5年)および、桜田門外の変(安政7年)が起きた。上記の後者の考えに基づけば桜田門外の変は万延元年の発生となる。
- 嘉永7年/安政元年(1854年–1855年[2])
- 1月16日(2月13日): ペリーが前年に引き続き江戸湾に再来。
- 1月24日(2月21日): 一朱銀を通用開始。お台場銀と呼ばれる。
* 3月3日(3月31日): **日米和親条約**(神奈川条約)を締結。 - 4月6日(5月2日): 京都の大火により内裏を焼失。
- 6月15日(7月9日): 伊賀上野地震(安政伊賀地震)。
- 11月4日(12月23日): 安政東海地震。津波でディアナ号遭難。
- 11月5日(12月24日): 安政南海地震。稲むらの火のモデル。
- 11月7日(12月26日): 豊予海峡地震。
- 11月27日(1855年1月15日): 安政に改元。
- 12月21日(1855年2月7日): 日露和親条約締結。
- 安政2年(1855年)
- 安政3年(1856年)
- 安政4年(1857年)
- 安政5年(1858年)
錦絵『新潟湊之真景』安政6年(1859年)井上文昌筆(新潟県立図書館蔵)
- 安政6年(1859年)
- 安政7年/万延元年(1860年)
誕生
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- 安政2年(1855年): 犬養毅(第6代立憲政友会総裁、第29代内閣総理大臣)
- 安政3年(1856年): 原敬(第3代立憲政友会総裁、第19代内閣総理大臣)
- 安政5年(1858年): 斎藤実(海軍大将、第30代内閣総理大臣)、御木本幸吉(実業家)
- 安政5年(1858年): 山本兵吉(猟師、三毛別羆事件のヒグマを仕留めた)
- 安政6年(1859年): 櫛引弓人(興行師、日米で博覧会王の異名を取った)
- 安政7年(1860年): 加藤高明(初代憲政会総裁、第24代内閣総理大臣)
死去
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- 安政2年(1855年): 江川英龍(享年55)、遠山景元(享年63)
- 安政4年(1857年): 阿部正弘(享年39)
- 安政5年(1858年): 徳川家定(享年35)、島津斉彬(享年50)
- 安政6年(1859年): 安島帯刀(享年49、安政の大獄で切腹)、梅田雲浜(享年45、安政の大獄で獄死)、橋本左内(享年26、安政の大獄で刑死)、頼三樹三郎(享年34、安政の大獄で刑死)、吉田松陰(享年30、安政の大獄で刑死)
- 安政7年(1860年): 井伊直弼(享年46、桜田門外の変で暗殺)
西暦との対照表
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※は小の月を示す。¶は改元月を示す。
安政元年(甲寅) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月 | 閏七月※ | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月※¶ | 十二月 |
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グレゴリオ暦 | 1854/1/29 | 2/27 | 3/29 | 4/27 | 5/27 | 6/25 | 7/25 | 8/24 | 9/22 | 10/22 | 11/20 | 12/20 | 1855/1/18 |
ユリウス暦 | 1854/1/17 | 2/15 | 3/17 | 4/15 | 5/15 | 6/13 | 7/13 | 8/12 | 9/10 | 10/10 | 11/8 | 12/8 | 1855/1/6 |
安政二年(乙卯) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月※ | 五月 | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ | |
グレゴリオ暦 | 1855/2/17 | 3/18 | 4/17 | 5/16 | 6/14 | 7/14 | 8/13 | 9/11 | 10/11 | 11/10 | 12/9 | 1856/1/8 | |
ユリウス暦 | 1855/2/5 | 3/6 | 4/5 | 5/4 | 6/2 | 7/2 | 8/1 | 8/30 | 9/29 | 10/29 | 11/27 | 12/27 | |
安政三年(丙辰) | 一月 | 二月※ | 三月※ | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月 | 十月 | 十一月※ | 十二月 | |
グレゴリオ暦 | 1856/2/6 | 3/7 | 4/5 | 5/4 | 6/3 | 7/2 | 8/1 | 8/30 | 9/29 | 10/29 | 11/28 | 12/27 | |
ユリウス暦 | 1856/1/25 | 2/24 | 3/24 | 4/22 | 5/22 | 6/20 | 7/20 | 8/18 | 9/17 | 10/17 | 11/16 | 12/15 | |
安政四年(丁巳) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月※ | 五月 | 閏五月※ | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月 |
グレゴリオ暦 | 1857/1/26 | 2/24 | 3/26 | 4/24 | 5/23 | 6/22 | 7/21 | 8/20 | 9/18 | 10/18 | 11/17 | 12/16 | 1858/1/15 |
ユリウス暦 | 1857/1/14 | 2/12 | 3/14 | 4/12 | 5/11 | 6/10 | 7/9 | 8/8 | 9/6 | 10/6 | 11/5 | 12/4 | 1858/1/3 |
安政五年(戊午) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月※ | 八月 | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月 | |
グレゴリオ暦 | 1858/2/14 | 3/15 | 4/14 | 5/13 | 6/11 | 7/11 | 8/9 | 9/7 | 10/7 | 11/6 | 12/5 | 1859/1/4 | |
ユリウス暦 | 1858/2/2 | 3/3 | 4/2 | 5/1 | 5/30 | 6/29 | 7/28 | 8/26 | 9/25 | 10/25 | 11/23 | 12/23 | |
安政六年(己未) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月※ | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月 | |
グレゴリオ暦 | 1859/2/3 | 3/5 | 4/3 | 5/3 | 6/1 | 6/30 | 7/30 | 8/28 | 9/26 | 10/26 | 11/24 | 12/24 | |
ユリウス暦 | 1859/1/22 | 2/21 | 3/22 | 4/21 | 5/20 | 6/18 | 7/18 | 8/16 | 9/14 | 10/14 | 11/12 | 12/12 | |
安政七年(庚申) | 一月 | 二月※ | 三月¶ | 閏三月 | 四月※ | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月 |
グレゴリオ暦 | 1860/1/23 | 2/22 | 3/22 | 4/21 | 5/21 | 6/19 | 7/18 | 8/17 | 9/15 | 10/14 | 11/13 | 12/12 | 1861/1/11 |
ユリウス暦 | 1860/1/11 | 2/10 | 3/10 | 4/9 | 5/9 | 6/7 | 7/6 | 8/5 | 9/3 | 10/2 | 11/1 | 11/30 | 12/30 |
脚注
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[脚注の使い方]
- ^ “19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫)”. Yahoo!ニュース. (2020年8月24日). https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4d57ba83d5e41aac42e5017f84dc3147e53dc0ff 2020年12月2日閲覧。
- ^ a b 嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。
- ^ 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P281-283
- ^ 湯村哲男(1969):「本邦における被害地震の日本暦について」 地震 第2輯 1969年 22巻 3号 p.253-255, doi:10.4294/zisin1948.22.3_253
- ^ 吉丸雄哉, 2020, 安政の大地震と一四代目川喜田石水の情報網,人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要, 37, 17-26
- ^ 神田茂(1970):「本邦における被害地震の日本暦の改元について」 地震 第2輯 1970年 23巻 4号 p.335-336,doi:10.4294/zisin1948.23.4_335
- ^ 海洋・海事史事典 日外アソシエーツ株式会社 第1版 P.88
関連項目
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表話編歴日本の元号 | |
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注1:前の数字は番号。南北朝時代の「南」は南朝、「北」は北朝の元号を指す。慣例に従い南朝を正統とする。注2:後の数字は元年と末年。源氏政権の「寿永」は元年でなく使用開始年を記し、「正平」は南北統一の年と再分裂の年、「観応」は復活の年、「明徳」は統一の年も記す。注3:月日を含む換算では赤背景の西暦に1を加算する。 | |
飛鳥時代 | 1 大化 645 - 650 2 白雉 650 - 654 - 3 朱鳥 686 - 686 - 4 大宝 701 - 704 5 慶雲 704 - 708 6 和銅 708 - |
奈良時代 | 和銅 - 715 7 霊亀 715 - 717 8 養老 717 - 724 9 神亀 724 - 729 10 天平 729 - 749 四字元号 11 天平感宝 749 12 天平勝宝 749 - 757 13 天平宝字 757 - 765 14 天平神護 765 - 767 15 神護景雲 767 - 770 16 宝亀 770 - 781 17 天応 781 - 782 18 延暦 782 - |
平安時代 | 延暦 - 806 19 大同 806 - 810 20 弘仁 810 - 824 21 天長 824 - 834 22 承和 834 - 848 23 嘉祥 848 - 851 24 仁寿 851 - 854 25 斉衡 854 - 857 26 天安 857 - 859 27 貞観 859 - 877 28 元慶 877 - 885 29 仁和 885 - 889 30 寛平 889 - 898 31 昌泰 898 - 901 32 延喜 901 - 923 33 延長 923 - 931 34 承平 931 - 938 35 天慶 938 - 947 36 天暦 947 - 957 37 天徳 957 - 961 38 応和 961 - 964 39 康保 964 - 968 40 安和 968 - 970 41 天禄 970 - 973 42 天延 973 - 976 43 貞元 976 - 978 44 天元 978 - 983 45 永観 983 - 985 46 寛和 985 - 987 47 永延 987 - 989 48 永祚 989 - 990 49 正暦 990 - 995 50 長徳 995 - 999 51 長保 999 - 1004 52 寛弘 1004 - 1012 53 長和 1012 - 1017 54 寛仁 1017 - 1021 55 治安 1021 - 1024 56 万寿 1024 - 1028 57 長元 1028 - 1037 58 長暦 1037 - 1040 59 長久 1040 - 1044 60 寛徳 1044 - 1046 61 永承 1046 - 1053 62 天喜 1053 - 1058 63 康平 1058 - 1065 64 治暦 1065 - 1069 65 延久 1069 - 1074 66 承保 1074 - 1077 67 承暦 1077 - 1081 68 永保 1081 - 1084 69 応徳 1084 - 1087 70 寛治 1087 - 1094 71 嘉保 1094 - 1096 72 永長 1096 - 1097 73 承徳 1097 - 1099 74 康和 1099 - 1104 75 長治 1104 - 1106 76 嘉承 1106 - 1108 77 天仁 1108 - 1110 78 天永 1110 - 1113 79 永久 1113 - 1118 80 元永 1118 - 1120 81 保安 1120 - 1124 82 天治 1124 - 1126 83 大治 1126 - 1131 84 天承 1131 - 1132 85 長承 1132 - 1135 86 保延 1135 - 1141 87 永治 1141 - 1142 88 康治 1142 - 1144 89 天養 1144 - 1145 90 久安 1145 - 1151 91 仁平 1151 - 1154 92 久寿 1154 - 1156 93 保元 1156 - 1159 94 平治 1159 - 1160 95 永暦 1160 - 1161 96 応保 1161 - 1163 97 長寛 1163 - 1165 98 永万 1165 - 1166 99 仁安 1166 - 1169 100 嘉応 1169 - 1171 101 承安 1171 - 1175 102 安元 1175 - 1177 103 治承 1177 - 1181 平氏政権 104 養和 1181 - 1182 105 寿永 1182 - 1185 源氏政権 治承 - 1183 寿永 1183 - 1184 106 元暦 1184 - |
鎌倉時代 | 元暦 - 1185 107 文治 1185 - 1190 108 建久 1190 - 1199 109 正治 1199 - 1201 110 建仁 1201 - 1204 111 元久 1204 - 1206 112 建永 1206 - 1207 113 承元 1207 - 1211 114 建暦 1211 - 1213 115 建保 1213 - 1219 116 承久 1219 - 1222 117 貞応 1222 - 1224 118 元仁 1224 - 1225 119 嘉禄 1225 - 1227 120 安貞 1227 - 1229 121 寛喜 1229 - 1232 122 貞永 1232 - 1233 123 天福 1233 - 1234 124 文暦 1234 - 1235 125 嘉禎 1235 - 1238 126 暦仁 1238 - 1239 127 延応 1239 - 1240 128 仁治 1240 - 1243 129 寛元 1243 - 1247 130 宝治 1247 - 1249 131 建長 1249 - 1256 132 康元 1256 - 1257 133 正嘉 1257 - 1259 134 正元 1259 - 1260 135 文応 1260 - 1261 136 弘長 1261 - 1264 137 文永 1264 - 1275 138 建治 1275 - 1278 139 弘安 1278 - 1288 140 正応 1288 - 1293 141 永仁 1293 - 1299 142 正安 1299 - 1302 143 乾元 1302 - 1303 144 嘉元 1303 - 1306 145 徳治 1306 - 1308 146 延慶 1308 - 1311 147 応長 1311 - 1312 148 正和 1312 - 1317 149 文保 1317 - 1319 150 元応 1319 - 1321 151 元亨 1321 - 1324 152 正中 1324 - 1326 153 嘉暦 1326 - 1329 154 元徳 1329 - 1331 大覚寺統 155(南1) 元弘 1331 - 持明院統 元徳 - 1332 北1 正慶 1332 - 1333 |
南北朝時代 | 元弘 - 1334 156 建武 1334 - 1336 南朝 157(南2) 延元 1336 - 1340 158(南3) 興国 1340 - 1346 159(南4) 正平 1346 - 北朝 建武 - 1338 北2 暦応 1338 - 1342 北3 康永 1342 - 1345 北4 貞和 1345 - 1350 室町幕府 北5 観応 1350 - 長門探題 貞和 - 1351 観応 - 1351 正平 1351 - 1352 南朝 正平 - 1370 160(南5) 建徳 1370 - 1372 161(南6) 文中 1372 - 1375 162(南7) 天授 1375 - 1381 163(南8) 弘和 1381 - 1384 164(南9) 元中 1384 - 1392 北朝 観応 1352 北6 文和 1352 - 1356 北7 延文 1356 - 1361 北8 康安 1361 - 1362 北9 貞治 1362 - 1368 北10 応安 1368 - 1375 北11 永和 1375 - 1379 北12 康暦 1379 - 1381 北13 永徳 1381 - 1384 北14 至徳 1384 - 1387 北15 嘉慶 1387 - 1389 北16 康応 1389 - 1390 北17 明徳 1390 - 1392 |
室町時代 | 165 明徳1392 - 1394 166 応永 1394 - 1428 167 正長 1428 - 1429 室町幕府 168 永享 1429 - 鎌倉府 正長 - 1431 永享 - 1441 169 嘉吉 1441 - 1444 170 文安 1444 - 1449 171 宝徳 1449 - 1452 172 享徳 1452 - 1455 室町幕府 173 康正 1455 - 1457 174 長禄 1457 - 1460 175 寛正 1460 - 1466 176 文正 1466 - 1467 177 応仁 1467 - 1469 178 文明 1469 - 古河府 享徳 - 1478 文明 - 1487 179 長享 1487 - 1489 180 延徳 1489 - 1492 181 明応 1492 - 1501 182 文亀 1501 - 1504 183 永正 1504 - 1521 184 大永 1521 - 1528 185 享禄 1528 - 1532 186 天文 1532 - 1555 187 弘治 1555 - 1558 188 永禄 1558 - 1570 189 元亀 1570 - 1573 |
安土桃山時代 | 190 天正 1573 - 1592 191 文禄 1592 - 1596 192 慶長 1596 - |
江戸時代 | 慶長 - 1615 193 元和 1615 - 1624 194 寛永 1624 - 1644 195 正保 1644 - 1648 196 慶安 1648 - 1652 197 承応 1652 - 1655 198 明暦 1655 - 1658 199 万治 1658 - 1661 200 寛文 1661 - 1673 201 延宝 1673 - 1681 202 天和 1681 - 1684 203 貞享 1684 - 1688 204 元禄 1688 - 1704 205 宝永 1704 - 1711 206 正徳 1711 - 1716 207 享保 1716 - 1736 208 元文 1736 - 1741 209 寛保 1741 - 1744 210 延享 1744 - 1748 211 寛延 1748 - 1751 212 宝暦 1751 - 1764 213 明和 1764 - 1772 214 安永 1772 - 1781 215 天明 1781 - 1789 216 寛政 1789 - 1801 217 享和 1801 - 1804 218 文化 1804 - 1818 219 文政 1818 - 1830 220 天保 1830 - 1844 221 弘化 1844 - 1848 222 嘉永 1848 - 1854 223 安政 1854 - 1860 224 万延 1860 - 1861 225 文久 1861 - 1864 226 元治 1864 - 1865 227 慶応 1865 - 1868 |
近現代 | 228 明治 1868 - 1912 229 大正 1912 - 1926 230 昭和 1926 - 1989 231 平成 1989 - 2019 232 令和 2019 - |
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