山崎拓 (original) (raw)

曖昧さ回避 山本拓」あるいは「山添拓」とは別人です。

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日本の旗 日本政治家山﨑 拓やまさき たく
2005年福岡市南区大橋駅前にて
生年月日 (1936-12-11) 1936年12月11日(87歳)
出生地 大日本帝国の旗 大日本帝国 関東州大連市(現・中華人民共和国の旗 中華人民共和国 遼寧省大連市)
出身校 早稲田大学第一商学部卒業
前職 ブリヂストン社員
所属政党 無所属→)自由民主党旧渡辺派山崎派
称号 旭日大綬章衆議院永年在職議員商学士(早稲田大学)
公式サイト taku.net(2018年12月15日時点のアーカイブ)
日本の旗 第57代 建設大臣
内閣 宮澤内閣
在任期間 1991年11月5日 - 1992年12月12日
日本の旗 第47代 防衛庁長官
内閣 宇野内閣
在任期間 1989年6月3日 - 1989年8月10日
日本の旗 内閣官房副長官(政務担当)
内閣 第2次中曽根第1次改造内閣
在任期間 1984年11月1日 - 1985年12月28日
日本の旗 衆議院議員
選挙区 旧福岡1区→)福岡2区
当選回数 12回
在任期間 1972年12月10日 - 2003年10月10日2005年4月24日 - 2009年7月21日
福岡県議会議員
選挙区 福岡市早良郡選挙区
当選回数 1回
在任期間 1967年4月23日 - 1969年12月7日
その他の職歴
** 自由民主党副総裁**(総裁:小泉純一郎)(2003年9月21日 - 2003年11月9日
** 第40代 自由民主党幹事長**(総裁:小泉純一郎)(2001年4月24日 - 2003年9月21日)
** 第41代 自由民主党政務調査会長**(総裁:橋本龍太郎)(1995年 - 1998年
** 第41代 自由民主党国会対策委員長**(総裁:河野洋平)(1995年 - 1995年)
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山﨑 拓(やまさき たく、1936年昭和11年〉12月11日 - )は、日本の政治家

福岡県議会議員(1期)、衆議院議員(12期)、防衛庁長官第47代)、建設大臣第57代)、自民党国会対策委員長自民党政務調査会長近未来政治研究会(山崎派)会長を歴任した。株式会社かねひで総合研究所名誉顧問旭日大綬章受勲。

来歴・人物

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出生から政治家になるまで

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満鉄調査部員であり後に相模女子大学学長を務め、消費者経済学を提唱した山崎進の子として、関東州大連市(現在は中華人民共和国の大連市)で生まれる。たまたま、同じ日に母方の祖父の山口慶八が、福岡県三池郡開村(現在のみやま市の一部)で炭鉱開発に成功したため、父親に生まれてきた子の名を「開」とするよう電報を打った。父親は開拓の「拓」の字を名付け、読み仮名を炭鉱開発と満州開拓を掛けて「ひらく」とした[1][2]。父方の祖父の山崎和三郎は、飯塚炭鉱を経営し、玄洋社の幹部であった。

第二次世界大戦の終戦後に帰国し、福岡県福岡市で育つ。小学校3年生の時に、片目を失明し、隻眼となる。福岡教育大学附属福岡中学校福岡県立修猷館高等学校[3][4]早稲田大学第一商学部卒業。福岡教育大学附属福岡中学校の後輩に、中選挙区時代同選挙区で「拓・誠戦争」を争った太田誠一。なお、朝日ジャーナル編集長、朝日新聞編集委員などを務めた伊藤正孝とは、中学・高校・大学での同期で親友であった。大学時代は柔道にいそしみ、片目のハンデがありながらも、猪熊功に勝利した事がある。また勉学でも成績優秀で大隈奨学金を寄与される程だった。学位は商学士(早稲田大学)。大学卒業後は、大手タイヤメーカーのブリヂストンで、5年間のサラリーマン生活を送る。退社後は帰郷し平和台球場シュウマイ販売店を経営しながら糊口を凌いでいた。

政治家としての経歴

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鳥取市佐治町にある国道482号昇格記念碑。刻字は1992年当時建設大臣だった山崎の書

1967年に福岡県議会議員に当選。この頃に中曽根康弘に見出され、中曽根のすすめで1969年の総選挙に保守系無所属で出馬するも落選。浪人生活[注釈 1]を経て、1972年に衆議院に初当選(当選同期に小泉純一郎加藤紘一石原慎太郎村岡兼造保岡興治瓦力三塚博越智通雄野田毅深谷隆司など)。同年輩の自民党議員の中では数少ない、非世襲の叩き上げで、防衛族として頭角を現していった。防衛庁長官建設大臣を歴任する。

1985年、中曽根首相がドイツのボン・サミットに出席した際、山崎は官房副長官として同行。中曽根はレーガン米大統領・ゴルバチョフソ連書記長・サッチャー英首相・ミッテラン仏大統領・コール西独首相と個別に首脳会談を行った。この時、山崎は会談内容を全て記録した上で編集し、同行記者団に発表する重責をこなした。なお、ブリーフィングする際には、外務官僚の手を借りずに自分で行い、中曽根の意図を汲み取って国際世論をリードする内容にすることを心掛けていた。

1990年ごろから、旧経世会主導の自民党の政治運営を批判し、当選同期の小泉純一郎、加藤紘一とともに、YKKを結成して活動していた。1995年に、橋本龍太郎自民党総裁の下で自民党政調会長に就任。1998年に、旧渡辺派から独立し、近未来政治研究会(山崎派)を結成。

1999年自民党総裁選に出馬し首相の座を狙う。総裁に選出されなかったものの小渕恵三、加藤に次ぐ51票を集め3位であった。これ以降、自民党総裁の有力候補として注目される。

2000年森内閣加藤の乱で倒閣に失敗し、加藤とともに政治生命の危機とも言われた。しかし、自民党主流派による山崎派への猛烈な切り崩し工作に遭ったにもかかわらず、山崎派内の議員で山崎を裏切る者は殆どいなかった。このことから、多くの脱落者を出して派閥分裂を招いた加藤と比較して、山崎の人望や求心力は党内からも高く評価され、翌年以降の復権につながっていった。

2001年、YKKの盟友である小泉内閣が成立すると、自民党幹事長に抜擢される。小泉からは貴重な理解者として厚い信頼を寄せられ、党内基盤が弱い小泉を抵抗勢力から守る役割を担い、外交経験の乏しい小泉の貴重な補佐役としても活躍した。小泉とジョージ・ブッシュ米大統領による日米首脳会談の地ならしを行い、東南アジアや中東諸国を歴訪するなどして奔走。アーミテージ米国務副長官や盧武鉉韓国大統領とも会談している。また、アメリカ同時多発テロ事件の際には、与党3党米国テロ事件緊急対策協議会の座長として自衛隊法改正について協議する等、外交・安全保障政策の分野でも活躍した。

こうした働きぶりでポスト小泉の一角として再び首相候補に目されるようになるが、同時に抵抗勢力から小泉に対して山崎の幹事長更迭を求める声も強まる。2003年9月、支持率低下を受けて行われた内閣改造で、小泉は党内の支持を得るために山崎を幹事長から副総裁に事実上昇格させる形で交代させた。しかし同年11月の第43回衆議院議員総選挙では、2002年3月から週刊誌報道され続け自身の性的嗜好を暴露された一年半に渡る愛人スキャンダル騒動で落選[5]。31年間保持していた衆議院議員の席を失い、副総裁も辞職した。

落選後の活動

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2012年11月8日、大綬章の親授式後の記念写真にて(左から3人目)

2004年、小泉の計らいで民間人の自民党憲法調査特別顧問および首相補佐官に就任。2005年の衆院補選に当選[注釈 2]して議席を回復し、同年の郵政民営化法案を審議する特別委員会筆頭理事として小泉の郵政民営化に尽力していたが、郵政解散の頃から小泉とは距離を置くようになる。同年、自民党安全保障調査会長に就任。これ以降、中国韓国との関係をより重視する加藤紘一や福田康夫古賀誠と連携を密にする。2006年に政権に就いた安倍晋三とは、対北朝鮮政策を巡って度々対立。安倍の外交姿勢は圧力に傾倒しており、日本の孤立化を招き、国益を損ねると批判した。

2007年1月、北朝鮮を電撃的に訪問し、行き詰まった北朝鮮の核問題や拉致問題の状況打開を図る。平壌で北朝鮮の宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使と会談。北朝鮮の核放棄や拉致被害者の日本帰国を迫ったが、実現には至らなかった。

2007年、安倍改造内閣が退陣すると、ポスト安倍に福田康夫を支持した。福田康夫内閣が成立すると、自民党外交調査会長に就任、引き続き外交や安全保障政策を中心に活動を行う。次いで麻生内閣においても再任されたが、次の第45回衆議院議員総選挙を見据えて旧YKKの加藤とともに新党結成に動き、国民新党代表代行の亀井静香の仲介で民主党の小沢一郎とも会談をもった[6]。結局、第45回衆議院議員総選挙には自民党から出馬したが自民党は大敗、山崎は再び落選した。落選後も、山崎派会長職を2012年に石原伸晃に譲るまで務めた。

2010年第22回参議院議員通常選挙比例区からの立候補を目指していたが、自民党の定年制度により公認されなかった。2010年3月頃、国民新党代表の亀井静香に同党入党を前提とした内閣参与入りを要請されたが、即時拒否した[7]2012年、次の選挙には出馬せず、引退を表明した。その後は自身が設立した近未来政治研究会の最高顧問を務めた。2015年3月11日さとやま・草莽の会の結成に参画した[8][9]

2016年7月、YKKを振り返った回想録『YKK秘録』を出版。9月には加藤が死去し、合同葬で弔事を読んだ山崎は、その最後で「いわゆる加藤の乱についてはあれは一度も止めなかった僕が悪かった。すまんという他ありません。」と締めくくった[10][11]

2018年3月14日、衆院議員会館で行われた石破派の憲法改正に関する勉強会で講師として招かれた[12]

2021年第49回衆議院議員総選挙大阪10区において、公示後の10月27日、自民党前職の大隈和英も立候補しているにもかかわらず、立憲民主党辻元清美の応援演説に立ち、投票を呼び掛けた(ただし、「比例区は自民党」と述べた。結果は、大隈・辻元ともに落選)[13]。山崎が辻元の応援に来た理由は「一言でいえば友情だ。立民の応援に行ったわけではなく、辻元氏個人の応援に行った」[14]、「野党第一党は立憲民主党ですよ、立憲の議席というのは、与野党伯仲、自公政権と対峙するのは大事だと思うから、辻元は個人として国会の中にいた方がいいから、私は来ました」[15]としている。これを受け、同年12月13日の自民党党紀委員会にて、党の規律を乱したとして山崎の党員資格停止1年の処分が決まった[16]。また、森山派(旧山崎派)の最高顧問としての役職についても1年間停止となった[17]

政策

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外交

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対北朝鮮外交

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山崎は、朝鮮半島の非核化・拉致問題解決による日朝国交正常化を、自身の最重要政治課題の一つとしている。北朝鮮に対しては圧力一辺倒の外交姿勢でなく、制裁よりも対話を重視し、北朝鮮の政府関係者とも頻繁に会談を行ってきた。

2004年4月1日平沢勝栄と共に中国を極秘に訪れ、拉致問題について北朝鮮の高官と直接交渉を試みた[18]。山崎らの訪中は対北朝鮮交渉を政府間ルートに一本化するとの外交方針に反する可能性があるとして問題視された[18]救う会は山崎らの行動を「拉致問題を政治利用している」と非難した[19]

2006年6月14日自民党総裁選挙で北朝鮮制裁派の安倍晋三が最有力候補になると、その対抗馬として「『ポスト小泉』の重要課題は『日朝国交正常化だ』と福田康夫に出馬を託し、自らの出馬を見送ることを宣言したが、このときの総裁選挙に福田は立候補しなかった。11月になり、北朝鮮の核問題について麻生太郎外務大臣が「隣の国が持つとなった時に検討も駄目、話もできない、意見交換も駄目というのは一つの考え方だが、いろいろ議論しておくことは大事だ」と発言したことに対して、「北朝鮮の核開発はけしからんと言っているときに、場合によってはわが国もやるぞ、という議論は成り立たない」と非難した。

2007年9月18日の「内外情勢調査会」における講演で、北朝鮮の核実験を「核保有がはっきりしたという意味でやらせてよかった」と発言し、物議をかもした(後日、山崎は「北朝鮮の核実験を肯定するものではなく、北朝鮮が核兵器を放棄するよう全力で取り組む」と釈明している)。

2008年6月12日に山崎が会長を務める日朝国交正常化推進議員連盟が北朝鮮への制裁解除と対話路線への転換を主張していることについて、安倍晋三が「国会議員が、交渉を行っている政府よりも甘いことを言ってしまったのでは、政府の外交交渉能力を大きく損なう。百害あって一利なしだ」と批判をすると、山崎は「圧力一辺倒は幼稚な考えで、何ら前進がなかった」と反論した。

同月17日に、山崎が安倍に発言の撤回と謝罪を要求したが、同月20日に、安倍は「対話路線で拉致問題が進展しなかったことを学習してもらいたい」と発言の撤回と謝罪を拒否した。同月21日、山崎は「国民感情として“拉致問題が完全解決しないと後のことはどうでもいい”というような感覚がありすぎる」と発言し、拉致問題だけを取り上げて北朝鮮批判一色の日本国の世論に苦言を呈し、「北朝鮮の核問題で重要な展開がある。足の引っ張り合いをやっている時ではない」と主張した。さらに同年6月28日、「安倍前首相の対北朝鮮外交は犬の遠吠え。小泉元首相のように直接乗り込んで交渉しないとダメだ」とテレビ西日本の報道番組で発言し、2002年の拉致被害者の一部奪還以降は北朝鮮を訪問していない安倍を批判した[20]。同年7月24日には、拉致問題の進展がなければ北朝鮮への経済・エネルギー支援に参加しないとの日本政府の方針に対して『中国や韓国などとの関係で日本が窮地に陥る。6カ国協議での朝鮮半島の非核化実現ほど重要なものはない』と発言した。

2009年3月18日、北朝鮮が日本に向けた核ミサイル発射実験を行うことを表明すると、麻生太郎はミサイルを迎撃することを宣言した。これに対して、山崎は「阻止するためには対話しかない。北朝鮮の金英逸首相が北京に行ったこの機会が現時点では一番いい機会だ。制裁を強化しても構わないが、今まで効果がほとんどなかった。国際社会と足並みをそろえてやっていくべきだ」と、中国と連携した対話路線を行うことを求めた。

安全保障政策

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憲法9条改正を長年にわたり主張し続けている。自身の著書『憲法改正―道義国家をめざして』の中に記述のある通り[注釈 3]、条件付きの陸・海・空軍の保持を唱えている。

山崎拓の主張する新憲法試案・改正条文(安全保障):

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、自衛権を行使する場合を除き、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、永久にこれを放棄する。日本国の主権と独立を守り、国の安全を保つとともに、国際平和の実現に協力するため、内閣総理大臣の最高指揮権の下、陸、海、空軍、その他の組織を保持する。

—山崎拓、「第二部 自らの手で守る日本(五、新憲法の安全保障規定)」『憲法改正 ―道義国家をめざして』

逸話

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統一教会との関係

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→「世界平和統一家庭連合と政界との関係」も参照

履歴

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政歴

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主な役職

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著書

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脚注

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[脚注の使い方]

注釈

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  1. ^ 一時期、シュウマイ屋を開き、シュウマイを「駅弁」として売り歩いたこともあるが、上手く行かずにたたんでいる[_要出典_]。
  2. ^ 古賀潤一郎が学歴詐称の責を問われ辞職。
  3. ^ 『憲法改正―道義国家をめざして』の第二部【自らの手で守る日本】の(五、新憲法の安全保障規定)に記載あり。山崎拓の公式サイト内にも公開されている。

出典

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  1. ^朝日新聞社「一冊の本」 ―落日燃ゆの気概を秘めて―(雑誌『一冊の本』1999年4月号 朝日新聞社)」 Fight TAKU!、2010年4月24日閲覧。
  2. ^ 花井寛脚本、みやぞえ郁雄絵「ひらく――山崎拓青春ストーリー」『taku.net』。
  3. ^ 東京修猷会 第493回二木会(2002年4月11日(木))
  4. ^ 東京修猷会 第526回二木会(2006年1月12日(木)).2016年10月22日閲覧。
  5. ^引退の山崎拓氏 女性醜聞なければ総理の可能性あったとの評”. (2012年10月19日) 2016年10月22日閲覧。
  6. ^ 讀賣新聞 『〈連載「混沌政局」麻生政権迷走(中)〉「麻生降ろし」かなわず自民に漂泊感、新党・再編…』 2008年12月6日。
  7. ^ 上野央絵 (2010年4月13日). “亀井・国民新党代表:内閣に拓さん? 普天間問題など電話で懇願”. 毎日jp(毎日新聞 東京朝刊) (毎日新聞社). オリジナルの2010年4月13日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2010-0413-1352-53/mainichi.jp/select/seiji/news/20100413ddm005010064000c.html
  8. ^ 星野典久 (2015年3月11日).“村山元首相「日本が孤立しないか」 安倍首相の談話懸念”. 朝日新聞デジタル, 2015年3月11日閲覧。
  9. ^70年談話「反省」継承を/村山元首相ら勉強会発足”. Shikoku-NEWS. 四国新聞社. (2015年3月11日) 2015年3月11日閲覧。
  10. ^ 中澤雄大 (2016年9月25日).“山崎拓氏「YKK秘録」 畏友への弔辞と著書に込めた胸中”. 毎日新聞. 2016年10月22日閲覧。
  11. ^ 『YKK秘録 (講談社+α文庫) 』p.396
  12. ^ “石破派、山崎拓氏招き勉強会=総裁選にらむ”. 時事通信. (2018年3月14日). https://web.archive.org/web/20180327084422/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018031401202&g=pol
  13. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2021年10月27日). “山崎拓氏「小選挙区は辻元清美、比例は自民」”. 産経ニュース. 2023年8月21日閲覧。
  14. ^山崎拓元自民副総裁、辻元清美氏応援は「一言でいえば友情」”. 産経新聞 (2021年11月11日). 2021年12月14日閲覧。
  15. ^辻元清美氏が明かした。元自民党副総裁の山崎拓氏が応援演説した理由とは?【衆院選2021】”. ハフポスト日本版 (2021年10月31日). 2021年12月14日閲覧。
  16. ^ a b自民、山崎拓氏の党員資格停止 衆院選で辻元清美氏応援「除名」求める声も”. 日刊スポーツ (2021年12月13日). 2021年12月13日閲覧。
  17. ^ “自民・石原派が森山派に 石原氏パーティー欠席、山崎拓氏は役職停止”. 朝日新聞. (2021年12月16日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASPDJ5TFMPDJUTFK00Q.html 2024年4月27日閲覧。
  18. ^ a b “山崎、平沢両氏が訪中 拉致問題で北朝鮮と接触”. 共同通信社. 47NEWS. (2004年4月1日). オリジナルの2015年7月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150721174436/http://www.47news.jp/CN/200404/CN2004040101003819.html 2016年7月29日閲覧。
  19. ^ “「拉致問題を政治利用」 山崎、平沢両氏に批判集中”. 共同通信社. 47NEWS. (2004年4月4日). オリジナルの2013年6月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130619184108/http://www.47news.jp/CN/200404/CN2004040401002206.html 2016年7月29日閲覧。
  20. ^ “安倍外交は「犬の遠ぼえ」山崎氏、対北朝鮮で”. 産経新聞. (2008年6月28日)
  21. ^歴代のメガネベストドレッサー賞受賞者”. 東京眼鏡販売店協同組合. 2016年10月23日閲覧。
  22. ^山崎拓語る”. Fight! TAKU (YAMASAKI TAKU OFFICIAL SITE). 2016年10月22日閲覧。
  23. ^山崎拓”. 書画を提供してくださった先生. NPO法人日中国会議員書画展実行委員会
  24. ^ “秋の叙勲、皇居で親授式 山崎元建設相ら6人”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2012年11月8日). オリジナルの2014年4月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140412221513/http://www.47news.jp/CN/201211/CN2012110801001420.html
  25. ^ 辻元清美 政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京
  26. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2021年10月27日). “山崎拓氏「小選挙区は辻元清美、比例は自民」”. 産経ニュース. 2021年10月27日閲覧。
  27. ^山崎拓元自民副総裁、辻元清美氏応援は「一言でいえば友情」”. SankeiBiz (2021年11月11日). 2021年12月14日閲覧。
  28. ^辻元清美氏が明かした。元自民党副総裁の山崎拓氏が応援演説した理由とは?【衆院選2021】”. ハフポスト日本版 (2021年10月31日). 2021年12月14日閲覧。
  29. ^ a b せんせい―わたくし山崎拓自民党幹事長の愛人でございました。
  30. ^ “引退の山崎拓氏 女性醜聞なければ総理の可能性あったとの評”. NEWSポストセブン. (2012年10月19日). https://www.news-postseven.com/archives/20121019_149685.html 2012年10月19日閲覧。
  31. ^ “「変態山拓、見出しに書けない異常プレー」”. 夕刊フジ. (2002年4月24日)
  32. ^ “山崎拓氏、文春に敗訴 交際報道「違法性なし」”. 人民日報日文版. (2003年9月8日). http://j.people.com.cn/2003/09/08/jp20030908_32206.html 2018年3月18日閲覧。
  33. ^自民・山崎幹事長、文春の「女性交際」報道めぐり控訴へ”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2003年9月9日). 2003年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月17日閲覧。
  34. ^山拓、訴訟取り下げ、「変態」の事実認める! 参院選出馬へ火種モミ消しに躍起”. ZAKZAK (2003年12月9日). 2004年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月17日閲覧。
  35. ^首相補佐官に起用された山崎氏/「政治家の適格性」問われたのに…”. しんぶん赤旗 (2004年9月28日). 2024年9月17日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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公職
先代大塚雄司 **日本の旗 建設大臣**第57代:1991年 - 1992年 次代中村喜四郎
先代田澤吉郎 **日本の旗 防衛庁長官**第47代:1989年 次代松本十郎
先代水平豊彦 日本の旗 内閣官房副長官(政務担当)1984年 - 1985年 次代唐沢俊二郎
議会
先代戸井田三郎 **日本の旗 衆議院社会労働委員長**1986年 次代堀内光雄
党職
先代小渕恵三 **自由民主党副総裁**第11代:2003年 次代大島理森
先代古賀誠 **自由民主党幹事長**第36代:2001年 - 2003年 次代安倍晋三
先代加藤紘一 **自由民主党政務調査会長**第41代:1995年 - 1998年 次代池田行彦
先代島村宜伸 **自由民主党国会対策委員長**第44代:1995年 次代村岡兼造
先代政策科学研究所より分裂 **近未来政治研究会会長**初代:1998年 - 2012年 次代石原伸晃
官職
日本の旗 建設大臣統合前運輸大臣 小日山直登 田中武雄 三土忠造 村上義一 平塚常次郎 増田甲子七 苫米地義三 北村徳太郎 岡田勢一 小沢佐重喜 大屋晋三 山崎猛 石井光次郎 三木武夫 吉野信次 宮沢胤勇 中村三之丞 永野護 重宗雄三 楢橋渡 南好雄 木暮武太夫 斎藤昇 綾部健太郎 松浦周太郎 中村寅太 荒舩清十郎 藤枝泉介 大橋武夫 中曽根康弘 原田憲 橋本登美三郎 丹羽喬四郎 佐々木秀世 新谷寅三郎 徳永正利 江藤智 木村睦男 石田博英 田村元 福永健司 森山欽司 地崎宇三郎 塩川正十郎 小坂徳三郎 長谷川峻 細田吉蔵 山下徳夫 三塚博 橋本龍太郎 石原慎太郎 佐藤信二 山村新治郎 江藤隆美 大野明 村岡兼造 奥田敬和 越智伊平 伊藤茂 二見伸明 亀井静香 平沼赳夫 亀井善之 古賀誠 藤井孝男 川崎二郎 二階俊博 森田一 扇千景 建設大臣建設院総裁 木村小左衛門 一松定吉 建設大臣 一松定吉 益谷秀次 増田甲子七 周東英雄 野田卯一 佐藤栄作 戸塚九一郎 小沢佐重喜 竹山祐太郎 馬場元治 南条徳男 根本龍太郎 遠藤三郎 村上勇 橋本登美三郎 中村梅吉 河野一郎 小山長規 瀬戸山三男 橋本登美三郎 西村英一 保利茂 坪川信三 根本龍太郎 西村英一 木村武雄 金丸信 亀岡高夫 小沢辰男 仮谷忠男 竹下登 中馬辰猪 長谷川四郎 櫻内義雄 渡海元三郎 渡辺栄一 斉藤滋与史 始関伊平 内海英男 水野清 木部佳昭 江藤隆美 天野光晴 越智伊平 小此木彦三郎 野田毅 原田昇左右 綿貫民輔 大塚雄司 山崎拓 中村喜四郎 五十嵐広三 森本晃司 野坂浩賢 森喜朗 中尾栄一 亀井静香 瓦力 関谷勝嗣 中山正暉 扇千景 北海道開発庁長官 増田甲子七 周東英雄 野田卯一 佐藤栄作 戸塚九一郎 大野伴睦 緒方竹虎 三好英之 大久保留次郎 正力松太郎 川村松助 鹿島守之助 石井光次郎 山口喜久一郎 村上勇 西川甚五郎 小沢佐重喜 川島正次郎 佐藤栄作 増原惠吉 福田篤泰 前尾繁三郎 二階堂進 木村武雄 野田武夫 西田信一 渡海元三郎 福田一 江﨑真澄 町村金五 福田一 天野公義 小川平二 加藤武徳 渋谷直蔵 後藤田正晴 原健三郎 松野幸泰 加藤六月 稲村佐近四郎 河本嘉久蔵 古賀雷四郎 綿貫民輔 粕谷茂 坂元親男 井上吉夫 阿部文男 砂田重民 木部佳昭 谷洋一 伊江朝雄 北修二 上原康助 佐藤守良 小里貞利 小沢潔 高木正明 岡部三郎 稲垣実男 鈴木宗男 井上吉夫 川崎二郎 二階俊博 森田一 扇千景 国土庁長官 西村英一 丹羽兵助 金丸信 天野光晴 田沢吉郎 櫻内義雄 中野四郎 園田清充 原健三郎 松野幸泰 加藤六月 稲村佐近四郎 河本嘉久蔵 山崎平八郎 綿貫民輔 奥野誠亮 内海英男 野中英二 石井一 佐藤守良 西田司 東家嘉幸 井上孝 上原康助 左藤恵 小沢潔 池端清一 鈴木和美 伊藤公介 亀井久興 柳澤伯夫 井上吉夫 関谷勝嗣 中山正暉 扇千景 統合後 扇千景 石原伸晃 北側一雄 冬柴鐵三 谷垣禎一 中山成彬 金子一義 前原誠司 馬淵澄夫 大畠章宏 前田武志 羽田雄一郎 太田昭宏 石井啓一 赤羽一嘉 斉藤鉄夫 中野洋昌 2001年、運輸大臣、建設大臣、国務大臣国土庁長官は国土交通大臣に統合された。長官は国務大臣としての長官を表記。 日本の旗 防衛庁長官保安庁移行までの長官等警察予備隊本部長官 增原惠吉 警察予備隊担当国務大臣 大橋武夫 海上保安庁長官 柳沢米吉 防衛大臣旗保安庁長官 木村篤太郎 防衛庁長官 木村篤太郎 大村清一 杉原荒太 砂田重政 船田中 小瀧彬 津島壽一 左藤義詮 伊能繁次郎 赤城宗徳 江﨑真澄 西村直己 藤枝泉介 志賀健次郎 福田篤泰 小泉純也 松野頼三 上林山栄吉 増田甲子七 有田喜一 中曽根康弘 增原惠吉 西村直己 江﨑真澄 增原惠吉 山中貞則 宇野宗佑 坂田道太 三原朝雄 金丸信 山下元利 久保田円次 細田吉蔵 大村襄治 伊藤宗一郎 谷川和穂 栗原祐幸 加藤紘一 栗原祐幸 瓦力 田沢吉郎 山崎拓 松本十郎 石川要三 池田行彦 宮下創平 中山利生 中西啓介 愛知和男 神田厚 玉澤徳一郎 衛藤征士郎 臼井日出男 久間章生 額賀福志郎 野呂田芳成 瓦力 虎島和夫 斉藤斗志二 中谷元 石破茂 大野功統 額賀福志郎 久間章生 防衛大臣 久間章生 小池百合子 高村正彦 石破茂 林芳正 浜田靖一 北澤俊美 一川保夫 田中直紀 森本敏 小野寺五典 江渡聡徳 中谷元 稲田朋美 岸田文雄 小野寺五典 岩屋毅 河野太郎 岸信夫 浜田靖一 木原稔 中谷元 保安庁長官、防衛庁長官は国務大臣としてのもの 日本の旗 内閣官房副長官 日本国政府の紋章(政務担当)内閣官房次長 周東英雄 滝川末一 曾禰益 福島愼太郎 有田喜一 橋本龍伍 郡祐一 内閣官房副長官政務担当 菅野義丸 田中不破三 松本瀧藏 北沢直吉 田中龍夫 松本俊一 小川平二 保岡武久 服部安司 八田貞義 草野一郎平 斎藤邦吉 竹下登 木村俊夫 亀岡高夫 木村俊夫 三原朝雄 山下元利 大村襄治 梶山静六 海部俊樹 鯨岡兵輔 塩川正十郎 森喜朗 加藤紘一 瓦力 池田行彦 藤波孝生 水平豊彦 山崎拓 唐沢俊二郎 渡辺秀央 小沢一郎 牧野隆守 志賀節 藤本孝雄 大島理森 近藤元次 鳩山由紀夫 北村直人 園田博之 渡辺嘉蔵 藁科満治 与謝野馨 額賀福志郎 衆議院 鈴木宗男 額賀福志郎 安倍晋三 細田博之 杉浦正健 長勢甚遠 下村博文 大野松茂 塩谷立 松本純 松野頼久 古川元久 藤井裕久 仙谷由人 斎藤勁 加藤勝信 萩生田光一 西村康稔 西村明宏 坂井学 木原誠二 村井英樹 橘慶一郎 参議院 上杉光弘 松谷蒼一郎 上野公成 山崎正昭 鈴木政二 岩城光英 鴻池祥肇 浅野勝人 松井孝治 福山哲郎 長浜博行 芝博一 世耕弘成 野上浩太郎 岡田直樹 磯﨑仁彦 森屋宏 青木一彦 事務担当 郡祐一 井上清一 剱木亨弘 江口見登留 谷口寛 井上卓一 田中栄一 岡崎英城 鈴木俊一 小笠公韶 佐々木盛雄 細谷喜一 石岡實 小池欣一 後藤田正晴 川島廣守 梅本純正 道正邦彦 翁久次郎 藤森昭一 石原信雄 古川貞二郎 二橋正弘 的場順三 二橋正弘 漆間巌 瀧野欣彌 竹歳誠 杉田和博 栗生俊一 佐藤文俊 日本の旗 衆議院社会労働委員長 中村三之丞 佐々木秀世 藤本捨助 森山欽司 園田直 永山忠則 大石武一 山本猛夫 中野四郎 秋田大助 田口長治郎 松沢雄蔵 田中正巳 川野芳満 八田貞義 森田重次郎 倉成正 森山欽司 小沢辰男 田川誠一 野原正勝 大野明 熊谷義雄 橋本龍太郎 木野晴夫 森下元晴 葉梨信行 山下徳夫 唐沢俊二郎 稲村利幸 有馬元治 戸井田三郎 山崎拓 堀内光雄 稲垣実男 津島雄二 丹羽雄哉 畑英次郎 浜田卓二郎 廃止
党職
自由民主党副総裁 大野伴睦1957.7-1960.7 大野伴睦1961.7-1964.5 川島正次郎1964.7-1966.12 川島正次郎1967.11-1970.11 椎名悦三郎1972.8-1976.12 船田中1977.11-1978.12 西村英一1979.1-1980.11 二階堂進1984.4-1986.7 金丸信1992.1-1992.8 小渕恵三1994.7-1995.10 山崎拓2003.9-2003.11 大島理森2010.9-2012.9 高村正彦2012.9-2018.10 麻生太郎2021.10-2024.9 菅義偉2024.9- カテゴリ カテゴリ 自由民主党幹事長 岸信介 三木武夫 川島正次郎 福田赳夫 川島正次郎 益谷秀次 前尾繁三郎 三木武夫 田中角栄 福田赳夫 田中角栄 保利茂 橋本登美三郎 二階堂進 中曽根康弘 内田常雄 大平正芳 斎藤邦吉 櫻内義雄 二階堂進 田中六助 金丸信 竹下登 安倍晋太郎 橋本龍太郎 小沢一郎 小渕恵三 綿貫民輔 梶山静六 森喜朗 三塚博 加藤紘一 森喜朗 野中広務 古賀誠 山崎拓 安倍晋三 武部勤 中川秀直 麻生太郎 伊吹文明 麻生太郎 細田博之 大島理森 石原伸晃 石破茂 谷垣禎一 二階俊博 甘利明 茂木敏充 森山裕 カテゴリ カテゴリ 自由民主党政務調査会長 水田三喜男 塚田十一郎 三木武夫 福田赳夫 中村梅吉 船田中 椎名悦三郎 福田赳夫 田中角栄 賀屋興宣 三木武夫 周東英雄 赤城宗徳 水田三喜男 西村直己 大平正芳 根本龍太郎 水田三喜男 小坂善太郎 櫻内義雄 倉石忠雄 水田三喜男 山中貞則 松野頼三 櫻内義雄 河本敏夫 江﨑真澄 河本敏夫 安倍晋太郎 田中六助 藤尾正行 伊東正義 渡辺美智雄 村田敬次郎 三塚博 加藤六月 森喜朗 三塚博 橋本龍太郎 加藤紘一 山崎拓 池田行彦 亀井静香 麻生太郎 額賀福志郎 与謝野馨 中川秀直 中川昭一 石原伸晃 谷垣禎一 保利耕輔 石破茂 茂木敏充 甘利明 高市早苗 稲田朋美 茂木敏充 岸田文雄 下村博文 高市早苗 萩生田光一 渡海紀三朗 小野寺五典 カテゴリ カテゴリ 自由民主党国会対策委員長 中村梅吉 倉石忠雄 村上勇 福永健司 小沢佐重喜 山村新治郎 江﨑真澄 竹山祐太郎 園田直 佐々木秀世 中野四郎 佐々木秀世 長谷川四郎 園田直 塚原俊郎 金丸信 原田憲 福田一 江﨑真澄 宇野宗佑 海部俊樹 安倍晋太郎 三原朝雄 金丸信 田沢吉郎 田村元 小此木彦三郎 江藤隆美 森下元晴 江藤隆美 藤波孝生 渡部恒三 奥田敬和 村岡兼造 梶山静六 増岡博之 梶山静六 瓦力 小里貞利 島村宜伸 山崎拓 村岡兼造 保利耕輔 古賀誠 大島理森 中川秀直 細田博之 二階俊博 大島理森 川崎二郎 逢沢一郎 岸田文雄 浜田靖一 鴨下一郎 佐藤勉 竹下亘 森山裕 高木毅 浜田靖一 坂本哲志
福岡県の旗福岡1区選出衆議院議員(1947年 - 1993年) 国会議事堂
定数5 第23回 田中松月 中村寅太 中島茂喜 大神善吉 福田昌子 第24回 中村寅太 守島伍郎 池見茂隆 福田昌子 中島茂喜 第25回 福田昌子 緒方竹虎 中島茂喜 熊谷憲一 中村寅太 第26回 緒方竹虎 中島茂喜 福田昌子 熊谷憲一 長正路 第27回 緒方竹虎河野正 福田昌子 中村寅太 熊谷憲一簡牛凡夫中島茂喜第28回 簡牛凡夫 進藤一馬 中島茂喜 中村寅太 河野正 第29回 簡牛凡夫 河野正 楢崎弥之助 中島茂喜 中村寅太 第30回 楢崎弥之助 進藤一馬 河野正 中島茂喜 中村寅太 第31回 楢崎弥之助 田中昭二 進藤一馬 中村寅太 河野正 第32回 田中昭二 進藤一馬 中島茂喜 中村寅太 楢崎弥之助 第33回 楢崎弥之助 田中昭二 中村寅太 山崎拓 諫山博 第34回 田中昭二 辻英雄 楢崎弥之助 山崎拓 森田欽二 第35回 楢崎弥之助 田中昭二 山崎拓 辻英雄 河野正 第36回 山崎拓 楢崎弥之助 太田誠一 田中昭二 辻英雄 第37回 神崎武法 河野正 山崎拓 太田誠一 辻英雄 第38回 山崎拓 楢崎弥之助 太田誠一 神崎武法 河野正 第39回 楢崎弥之助 松本龍 山崎拓 太田誠一 神崎武法
定数6 第40回 山崎広太郎 山崎拓 神崎武法 太田誠一 松本龍 楢崎弥之助
↓:途中辞職、失職など、↑:補欠選挙で当選。
福岡県の旗 福岡県小選挙区選出衆議院議員(1996年 - ) 国会議事堂
第1区 松本龍 井上貴博
第2区 山崎拓 古賀潤一郎 山崎拓 稲富修二 鬼木誠 稲富修二
第3区 太田誠一 藤田一枝 太田誠一 藤田一枝 古賀篤
第4区 渡辺具能 古賀敬章 宮内秀樹
第5区 原田義昭 楠田大蔵 原田義昭 堤かなめ 栗原渉
第6区 古賀正浩 荒巻隆三 古賀一成 鳩山邦夫 鳩山二郎
第7区 古賀誠 藤丸敏
第8区 麻生太郎
第9区 北橋健治 三原朝彦 緒方林太郎 三原朝彦 緒方林太郎
第10区 自見庄三郎 西川京子 城井崇 山本幸三 城井崇
第11区 山本幸三 武田良太 村上智信
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