岡本喜八 (original) (raw)

この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2010年4月)
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索?: "岡本喜八"ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2010年4月)
おかもと きはち岡本 喜八
岡本 喜八キネマ旬報』1964年3月下旬号より。
本名 岡本 喜八郎(おかもと きはちろう)
生年月日 (1924-02-17) 1924年2月17日
没年月日 (2005-02-19) 2005年2月19日(81歳没)
出生地 日本の旗 日本鳥取県米子市
死没地 日本の旗 日本神奈川県川崎市多摩区
国籍 日本の旗 日本
職業 映画監督
活動期間 1958年 - 2005年
配偶者 岡本みね子
著名な家族 岡本真実(娘)
主な作品
映画独立愚連隊』『日本のいちばん長い日』『肉弾』『大誘拐 RAINBOW KIDS
受賞日本アカデミー賞 最優秀監督賞1992年大誘拐 RAINBOW KIDS最優秀脚本賞1992年『大誘拐 RAINBOW KIDS』ブルーリボン賞 特別賞 2006年 その他の賞 毎日映画コンクール 監督賞1969年肉弾
テンプレートを表示

岡本 喜八(おかもと きはち、1924年大正13年)2月17日[1][2] - 2005年平成17年)2月19日[2])は、日本映画監督。本名は岡本 喜八郎(おかもと きはちろう)[1][2]

経歴

[編集]

岡本喜八とみね子(『キネマ旬報』1960年5月上旬号より)

鳥取県米子市四日市町出身[1][3]

1941年、米子商蚕学校(現・米子南高校)卒業[1]後、上京。1943年明治大学専門部商科卒業後、東宝に入社し助監督となる[1]。しかし、1944年に太平洋戦争の戦局の悪化に伴い召集され、1945年1月に松戸の陸軍工兵学校に入隊[1]。愛知県豊橋市にあった第一陸軍予備士官学校で終戦を迎えた[1]。この豊橋滞在時に空襲で多くの戦友たちの死を目の当たりにし、戦争や陸海軍部に対する大きな憤りを抱いた。

復員後に東宝へ復帰し、マキノ雅弘谷口千吉成瀬巳喜男本多猪四郎らに師事して修行を積む[1]1957年に東宝が、映画の素人である石原慎太郎に、自作『若い獣』を監督させると発表したことに助監督たちが反発。シナリオ選考で一人監督に昇進させることが決まり、岡本が『独立愚連隊』『ああ爆弾』のシナリオで認められて昇進した。1958年、『結婚のすべて』で初メガホンを取る[1]。岡本のオリジナルシナリオによる、日中戦争最中の中国大陸に西部劇や推理劇の要素を取り入れた5作目『独立愚連隊』(1959年)で、一躍若手監督の有望格として注目を浴び、以降、『独立愚連隊西へ』(1960年)、『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)、『ああ爆弾』(1964年)、『』(1965年)、『日本のいちばん長い日』(1967年[4]、『肉弾』(1968年)などの作品を監督。このうち『日本のいちばん長い日』では三船敏郎黒沢年雄らが好演。テレビで複数回放映された。また『肉弾』は岡本と同年代の戦中派の心境をシニカルな視点で描いた作品として高い評価を得て、キネマ旬報ベストテン2位となり、岡本自身も好きな作品として挙げている。

東宝退社後の1970年代後半には、『姿三四郎』(1977年)では時代との感覚のズレを感じさせたが『ダイナマイトどんどん』(1978年)は人気作となった。80年代以後は作品に恵まれなかったが、『ジャズ大名』(1986年)などを監督。『大誘拐 RAINBOW KIDS』(1991年)は、持ち味の一つである娯楽色をさらに前面に押し出した作品となり、日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞した。

アニメ映画『ガッチャマン』(1978年)の総指揮を担当しているが、実際は名前を貸しただけで、作業には一回も関わっていないと言われる。これは、監督だった鳥海永行が岡本のファンで、会いたいがために話が進んだのではないかと鳥海の弟子だった押井守が語っている[5]

1989年紫綬褒章を受章[6]

1995年、『EAST MEETS WEST』で初のアメリカロケ中に言語障害を起こし、硬膜下血腫と診断される。その後も軽い脳梗塞などを起こし、言語が不明瞭であった。『助太刀屋助六』(2002年)では主演の真田広之が伝令など補佐役を務めたり舞台挨拶などでも傍につき、会場の反応などを伝えていた。ただし、インタビューや講演などではかなり古い作品についても答えており、制作意欲も依然旺盛であった。『助太刀屋助六』の舞台挨拶では、張りのあるヨーイ、スタートの声を披露した。

2005年2月19日食道がんのため神奈川県川崎市多摩区の自宅で死去した。81歳没。墓所は故郷米子市の西念寺、川崎市多摩区春秋苑にある。時代劇『助太刀屋助六』が最後の作品となった。

岡本は亡くなる直前まで最新作として山田風太郎作の『幻燈辻馬車』の映画化を構想し[7]、出演は仲代達矢、真田広之、緒形拳ら、音楽は山下洋輔と決まり、シナリオを練っていたが果たせなかった。

作風

[編集]

岡本の作品は技巧派とされ、クランクインの前にすべてのカット割りをコンマ秒単位で決め、撮影に臨んでいたといわれる。その特徴は『殺人狂時代』(1967年)などのアクションコメディに最大限に発揮された。常連俳優の佐藤允は、「たまには長回しで撮ってはどうか」と提案したところ、岡本に怒鳴られたという[8]

大作映画での緊迫感あふれる演出や、苦手とされた女性映画でもモダンなラブシーンの演出を見せている。

また『戦争批判・明治維新批判』をライフワークとして掲げ続けた。

三船敏郎鶴田浩二仲代達矢加山雄三らのスターの他に、小林桂樹佐藤允中谷一郎田中邦衛伊藤雄之助天本英世岸田森中丸忠雄平田昭彦寺田農砂塚秀夫草野大悟高橋悦史本田博太郎神山繁今福将雄二瓶正也岸部一徳らの性格俳優を再三起用し、喜八一家(ファミリー)と呼ばれることもあった。大ベテランの東野英治郎小沢栄太郎らも含め、台詞を明快に発音できる技術を備えた新劇出身の俳優を多く起用した点は、同世代の石井輝男[注釈 1]とは対照的で、洗練とダンディ、ウェルメイドを至上とする職人監督であった。女優では星由里子水野久美田村奈巳ら東宝専属勢の起用が多いが、岡本監督は照れ屋で、あまり私語などをかわしたことがないと、田村は後年回想している。

影響・評価

[編集]

独立愚連隊西へ』(1960年)撮影中の岡本

千葉真一は「東映にいたときから、欠かさず観ていた」と公言しており[9]、テレビの『太閤記』で念願の岡本作品出演を果たし、本能寺で院内へ単身踏み込み一騎打ちで織田信長を倒すワイルドな明智光秀を演じた。

作家では筒井康隆が青年時代からの熱心な喜八ファンとして有名であり、初期長編『馬の首風雲録』などでオマージュを捧げている。『ジャズ大名』で憧れの監督による自作の映画化という夢がかなった。

庵野秀明も岡本の大ファンとして知られ[10]、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』で“使徒”の波長パターンとして表示される「BLOOD TYPE:BLUE」が、『ブルークリスマス』の英題からの引用であることは有名な話である。同じ庵野の監督作『トップをねらえ!』では、セリフやテロップをオマージュとして模倣しており、『激動の昭和史 沖縄決戦』がLD化された際には庵野がライナーノートを書いている。なお、「船が-」のセリフは『トップをねらえ!』を介して著名になり、『ナイトウィザード The ANIMATION』やゲーム『おたく☆まっしぐら』などでもパロディ化(または再パロディ化)されている。『シン・ゴジラ』(2016年)には物語の鍵を握る所在不明の学者・牧悟郎として岡本が顔写真で出演している[10]

「喜八一家」は助監督も固定されがちであったこともあり、門下生監督はそれぞれ十数本をサポートした竹林進山本迪夫の二人にほぼ絞られる。山本は師匠が無縁だった怪奇映画の分野で新境地を開いたが、1981年に監督した『大誘拐 RAINBOW KIDS』TV映画版は、10年後に岡本が手掛けた劇場版と奇しくも師弟競作の形となった。後期の門下生としては監督昇進後に『英霊たちの応援歌』を応援監督した山下賢章、19歳で『近頃なぜかチャールストン』の共同脚本兼主演兼助監督をつとめた利重剛、プロデューサーでは『吶喊(とっかん)』で主演兼で初仕事を手がけた岡田裕介東映社長が挙げられる。特に後二者は喜八プロの零細資本をもって貴重なデビュー(岡田の場合はプロデューサーとしての)の場を与えられた愛弟子である。

双葉十三郎小野耕世石上三登志小林信彦森卓也といった、どちらかというと洋画への言及が多い人々が、古くから岡本喜八評価の文章を発表してきた。キネマ旬報ベストテン入選は6回と少ないが、11位〜20位あたりで評価される異色作が多い。今では代表作といわれる『独立愚連隊』や『江分利満氏の優雅な生活』も、当時はこのランクであった。公開当時26位と評価の低かった『ブルークリスマス』の場合、当時絶賛したのは星新一都筑道夫田中小実昌らの作家たちであった。

1970年代以降は作品を撮れない時期も長く、不遇の監督という側面もあったが、同時期に東宝が一挙に製作を縮小した際[注釈 2]にも最後まで契約が続いた監督の一人でもあり、日本で最もギャラの高い監督と言われた時期もあった。

映画賞などにもある程度めぐまれ、マニアック、カルト的な作品にも生前のうちに再評価が起き、晩年の新作に結びついた。いわゆるプログラムピクチャーと呼ばれるような小品でも、純粋に娯楽作品として楽しめるのが大きな特徴である。ただ、作品がテレビで放映されることは少なかった。

没後の2007年には第58回ベルリン映画祭での特集上映が行われ、これまで知られていた米国[注釈 3]に加え、欧州の一部の国で一定の再評価も起きた。2008年には第32回サンパウロ国際映画祭でも回顧上映が行われた。

エピソード

[編集]

家族・親族

[編集]

岡本家

[編集]

映画

[編集]

監督作品

[編集]

『結婚のすべて』(1958年)

独立愚連隊』(1959年)

江分利満氏の優雅な生活』(1963年)

殺人狂時代』(1967年)

日本のいちばん長い日』(1967年)

その他の映像作品

[編集]

テレビドラマ

[編集]

出演

[編集]

著書・評伝

[編集]

脚注

[編集]

[脚注の使い方]

注釈

[編集]

  1. ^ 小池朝雄を例外として新劇俳優は嫌いと公言していた。
  2. ^ 自社製作を独立プロ並みの年間数本に減らすという事実上の製作中止に等しいものであった。
  3. ^ ジョン・ミリアス監督などが熱心な信奉者と言われる。
  4. ^ 他には2回登板した稲垣浩以外に複数回招かれた監督はいない。
  5. ^ 第4回石原裕次郎賞受賞。
  6. ^ a b c d e 岡本喜八郎名義。
  7. ^ 城のぼる名義。
  8. ^ クレジットは訳者だが、実際は岡本自身がノベライズをしている。

出典

[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 東宝特撮映画全史 1983, p. 539, 「特撮映画スタッフ名鑑」
  2. ^ a b c d e 野村宏平、冬門稔弐「2月17日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、51頁。ISBN 978-4-8003-1074-3
  3. ^岡本喜八監督を語る 生誕100年記念しイベント 米子”. 日本海新聞 NetNihonkai (2024年1月21日). 2024年5月21日閲覧。
  4. ^『日本のいちばん長い日』(1967年)”. シネマトゥデイ (2016年10月7日). 2017年9月9日閲覧。
  5. ^ 勝つために戦え!〈監督ゼッキョー篇〉p.314
  6. ^ 岡本喜八プロフィール
  7. ^“主演予定”仲代達矢がモデルに…幻の映画が日本画に”. ZAKZAK (2006年9月8日). 2017年9月7日閲覧。
  8. ^ ゴジラとともに 2016, p. 76, 構成・文 青井邦夫、中村哲「佐藤允」(『映画秘宝』2011年9月号、『別冊映画秘宝 東宝空戦映画大全』の合併再編集)
  9. ^ 黒田邦雄「ザ・インタビュー 千葉真一」『KINEJUN キネマ旬報』第1655巻第841号、キネマ旬報、1982年8月1日、131頁。
  10. ^ a b『シン・ゴジラ』に岡本喜八監督が登場するワケ『日本のいちばん長い日』(1967年)”. シネマトゥデイ (2016年10月7日). 2017年9月7日閲覧。
  11. ^ 淀川長治『淀川長治映画ベスト10+a』河出文庫 2013年11月 pp. 190-193。
  12. ^ ゴジラとともに 2016, p. 12, 構成・文 浦山珠夫「宝田明」(『映画秘宝』2010年2月号掲載)
  13. ^ 岡本喜八「Lobby「五輪・万博・ウルウドシ」」『エンプロイ』8(2)、雇用情報センター、1991年2月、2頁。
  14. ^ 足立全康『庭園日本一 足立美術館をつくった男』日本経済新聞社出版社、2007年4月13日、269-270頁。ISBN 9784532124090

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

ウィキメディア・コモンズには、**岡本喜八**に関連するカテゴリがあります。

ポータル 映画プロジェクト 映画
岡本喜八監督作品
1950年代 結婚のすべて(1958年) 若い娘たち(1958年) 暗黒街の顔役(1959年) ある日わたしは(1959年) 独立愚連隊(1959年)
1960年代 暗黒街の対決(1960年) 大学の山賊たち(1960年) 独立愚連隊西へ(1960年) 暗黒街の弾痕(1961年) 顔役暁に死す(1961年) 地獄の饗宴(1961年) どぶ鼠作戦(1962年) 月給泥棒(1962年) 戦国野郎(1963年) 江分利満氏の優雅な生活(1963年) ああ爆弾(1964年) (1965年) 血と砂(1965年) 大菩薩峠(1966年) 殺人狂時代(1967年) 日本のいちばん長い日(1967年) 斬る(1968年) 肉弾(1968年) 赤毛(1969年)
1970年代 座頭市と用心棒(1970年) 激動の昭和史 沖縄決戦(1971年) にっぽん三銃士 おさらば東京の巻(1972年) にっぽん三銃士 博多帯しめ一本どっこの巻(1973年) 青葉繁れる(1974年) 吶喊(1975年) 姿三四郎(1977年) ダイナマイトどんどん(1978年) ブルークリスマス(1978年) 英霊たちの応援歌 最後の早慶戦(1979年)
1980年代 近頃なぜかチャールストン(1981年) ジャズ大名(1986年)
1990年代 大誘拐 RAINBOW KIDS(1991年) EAST MEETS WEST(1995年)
2000年代 助太刀屋助六(2002年)
毎日映画コンクール 監督賞
1940年代 今井正(1946) 黒澤明(1947) 木下惠介(1948) 小津安二郎(1949)
1950年代 吉村公三郎(1950) 成瀬巳喜男(1951) 渋谷実(1952) 今井正(1953) 木下惠介(1954) 成瀬巳喜男(1955) 今井正(1956) 今井正(1957) 木下惠介(1958) 山本薩夫(1959)
1960年代 市川崑(1960) 小林正樹(1961) 市川崑(1962) 今村昌平(1963、1967) 勅使河原宏(1964) 内田吐夢(1965) 山本薩夫(1966) 岡本喜八(1968) 山田洋次(1969)
1970年代 山本薩夫(1970) 篠田正浩山田洋次(1971) 斎藤耕一(1972) 山田洋次(1973、1977) 野村芳太郎(1974) 新藤兼人(1975) 山本薩夫(1976) 野村芳太郎(1978) 長谷川和彦(1979)
1980年代 黒澤明(1980、1985) 小栗康平(1981) 深作欣二(1982) 大島渚(1983) 伊丹十三(1984) 熊井啓(1986) 原一男(1987) 大林宣彦(1988) 舛田利雄(1989)
1990年代 市川準(1990) 山田洋次(1991) 東陽一(1992) 市川準(1993) 神代辰巳(1994) 新藤兼人(1995) 周防正行(1996) 今村昌平(1997) 平山秀幸(1998) 森田芳光(1999)
2000年代 阪本順治(2000) 宮崎駿(2001) 平山秀幸(2002) 崔洋一(2003) 黒木和雄(2004) 緒方明(2005) 根岸吉太郎(2006) 周防正行(2007) 若松孝二(2008) 園子温(2009)
2010年代 三池崇史(2010) 富田克也(2011) 吉田大八(2012) 石井裕也(2013) 呉美保(2014) 塚本晋也(2015) 西川美和(2016) 富田克也(2017) 上田慎一郎(2018) 石川慶(2019)
2020年代 河瀨直美(2020) 濱口竜介(2021) 三宅唱(2022) 石井裕也(2023)
括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月)
日本アカデミー賞最優秀監督賞
1970年代 山田洋次(1977) 野村芳太郎(1978) 今村昌平(1979)
1980年代 鈴木清順(1980) 小栗康平(1981) 深作欣二(1982) 五社英雄(1983) 伊丹十三(1984) 澤井信一郎(1985) 深作欣二(1986) 伊丹十三(1987) 佐藤純彌(1988) 今村昌平(1989)
1990年代 篠田正浩(1990) 岡本喜八(1991) 周防正行(1992) 山田洋次(1993) 深作欣二(1994) 新藤兼人(1995) 周防正行(1996) 今村昌平(1997) 平山秀幸(1998) 降旗康男(1999)
2000年代 阪本順治(2000) 行定勲(2001) 山田洋次(2002) 森田芳光(2003) 崔洋一(2004) 山崎貴(2005) 李相日(2006) 松岡錠司(2007) 滝田洋二郎(2008) 木村大作(2009)
2010年代 中島哲也(2010) 成島出(2011) 吉田大八(2012) 石井裕也(2013) 山崎貴(2014) 是枝裕和(2015) 庵野秀明&樋口真嗣(2016) 是枝裕和(2017) 是枝裕和(2018) 武内英樹(2019)
2020年代 若松節朗(2020) 濱口竜介(2021) 石川慶(2022) ヴィム・ヴェンダース(2023)
日本アカデミー賞 作品賞 監督賞 脚本賞 アニメーション作品賞 外国作品賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 音楽賞
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般 FAST ISNI VIAF WorldCat
国立図書館 スペイン フランス BnF data ドイツ アメリカ 日本 チェコ 韓国 オランダ ポーランド
学術データベース CiNii Books CiNii Research
人物 ドイッチェ・ビオグラフィー
その他 SNAC IdRef