朝乃若武彦 (original) (raw)

曖昧さ回避 この項目では、1990年代から2000年代にかけて活動した元大相撲力士について説明しています。2021年に十両に昇進した力士については「朝乃若樹」をご覧ください。
朝乃若 武彦
基礎情報
四股名 若足立 → 朝乃若
本名 足立 武彦
生年月日 (1969-12-11) 1969年12月11日(54歳)
出身 愛知県一宮市
身長 176cm
体重 144kg
所属部屋 若松部屋高砂部屋
得意技 押し
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭筆頭
生涯戦歴 547勝598敗(79場所)
幕内戦歴 346勝434敗(52場所)
優勝 十両優勝1回幕下優勝1回
データ
初土俵 1992年3月場所(幕下付出
入幕 1993年1月場所
引退 2005年3月場所(番付上は2005年5月場所)
引退後 年寄・若松
他の活動 日本相撲協会副理事(3期)2020年3月 -
備考
2024年3月25日現在■テンプレート ■プロジェクト 相撲

朝乃若 武彦(あさのわか たけひこ、1969年12月11日 - )は、愛知県一宮市出身で高砂部屋(入門時は若松部屋)に所属した元大相撲力士。本名は足立 武彦(あだち たけひこ)。身長176cm、体重145kg。最高位は西前頭筆頭(2000年5月場所)。得意技は突き、押し、引き、叩き。血液型はAB型、星座は射手座、趣味は映画鑑賞。現在は年寄若松。愛称は「ヒタチ」[1]

来歴

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中学時代は水泳部に所属し主将を務めるほどだった。相撲はほとんど遊びでしか取ったことがなかったが、中学時代の恩師の勧めにより愛工大名電高校に進学し相撲部に入部した。近畿大学相撲部では同級生の大澤(元幕内朝乃翔)と共に全国大会で活躍した。大学卒業と同時に近畿大学の先輩でもある元大関朝潮の若松部屋(当時)に入門。1992年3月場所に幕下付出で「若足立」の四股名初土俵を踏んだ[2]

初土俵から僅か5場所で1993年1月場所に十両に昇進。同時に四股名を「朝乃若」と改名した。その後は順調に番付を上げ、1994年3月場所に入幕を果たした。取り口は押し相撲だが最後まで押し切ることは少なく、引き落とし叩き込むことが多かった[2]。また、時折呼び込んでの自滅も多く幕内上位で勝ち越すことが出来なかった。年齢を重ねるごとに立合いから即引く相撲も増えていった。幕内を30場所連続して在位した後、1999年1月場所に初めて十両に陥落した。それ以降は十両と幕内を往復することが多くなったが、2000年5月場所に自己最高位の西前頭筆頭に番付を上げた。

非常に目立ちたがり屋の性格であった。かつてど派手なレモンイエローの廻しを締め、制限時間一杯となった後の仕切り時にカエルのように体勢を低くする動作(横綱・日馬富士も類似した動作をしていた)と、塩を土俵に叩きつけて気合を入れる動作(本人曰く「タイガーマスクの入場シーンをイメージ」。元大関・大受も類似した動作をしていた)で観客を沸かしていた[2]協会の審判部から「塩捲きの行為が少し雑すぎる」と何度も指摘されたが、パフォーマンスを一向にやめることはなかった。なお現役当時、若松部屋と同じ高砂一門の高砂部屋所属だった、水戸泉の時間一杯での豪快な塩捲きが有名であったが、その水戸泉との取組では「塩捲き対決」としても大きな話題を呼んでいた。

しかし2000年11月場所初日に廻しの色をそれまでのレモンイエローから真っ赤なものに変え、仕切り前の塩まきも固めた塩の塊を上に放り投げ、落ちてきたところを思い切り拳で殴りつけるという新しいパフォーマンスをしたため、当時審判部長を務めていた境川親方(元横綱佐田の山)が「ものには限度がある」と激高。これを最後に塩まきのパフォーマンスを封印し、翌場所からは地味な臙脂色(本人曰く真っ赤な締め込みを染め直したもの)に変更し落ち着いた仕切りに変えた。以降、度々締め込みを変更したが、黒や青といった落ち着いた色に終始した。

2004年5月場所を最後に幕内から遠ざかり、2005年3月場所には西十両5枚目の番付で1勝14敗と大敗を喫してしまう。幕下陥落が必至となり、引退を覚悟していたその3月場所の千秋楽では、往年の低い姿勢の仕切り姿を披露し観客を沸かし、この千秋楽の相撲を最後に現役生活を締めくくった。

幕下に陥落が決まっていた翌5月場所前の4月28日に引退届を提出し、既に取得していた年寄・若松を襲名。引退相撲は行わなかった。また引退時の記者会見では、自身の取り口とは裏腹な「前に出る力士を育てたい」のコメントや、カエルのような仕切りを再び披露して、周囲の記者陣を笑わせていた。現在は、高砂部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たっている[2]

2020年1月30日の日本相撲協会役員候補選では副理事に立候補したが、定員を超過しなかったため2008年以来6期12年ぶりに無投票となり、理事候補10人、若松を含めた副理事候補3人が全員当選[3]。同年3月6日の理事会で正式に副理事として選任された[4]

2022年3月11日、協会は1月27日の役員候補選挙で副理事候補に当選した2期連続の若松を選任した[5]

エピソード

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主な成績

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※ケガに強く、入門してから1度も休場することなく現役生活を終えた。

場所別成績

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朝乃若 武彦

一月場所初場所(東京 三月場所春場所(大阪 五月場所夏場所(東京) 七月場所名古屋場所(愛知 九月場所秋場所(東京) 十一月場所九州場所(福岡
1992年(平成4年) x 幕下付出60枚目5–2 東幕下42枚目5–2 東幕下23枚目優勝7–0 東幕下4枚目4–3 西幕下2枚目6–1
1993年(平成5年) 東十両11枚目10–5 東十両4枚目4–11 西十両12枚目9–6 東十両9枚目8–7 西十両8枚目9–6 西十両4枚目優勝11–4
1994年(平成6年) 東十両筆頭9–6 東前頭15枚目9–6 東前頭11枚目8–7 西前頭5枚目6–9 西前頭9枚目7–8 西前頭12枚目8–7
1995年(平成7年) 西前頭10枚目9–6 西前頭2枚目6–9 西前頭5枚目5–10 西前頭10枚目8–7 西前頭3枚目4–11 西前頭9枚目7–8
1996年(平成8年) 西前頭12枚目8–7 東前頭5枚目4–11 東前頭12枚目9–6 西前頭9枚目8–7 東前頭5枚目4–11 東前頭11枚目9–6
1997年(平成9年) 東前頭5枚目5–10 東前頭9枚目8–7 東前頭4枚目5–10 東前頭8枚目7–8 東前頭10枚目7–8 西前頭13枚目8–7
1998年(平成10年) 東前頭12枚目7–8 西前頭15枚目8–7 東前頭13枚目7–8 東前頭16枚目8–7 西前頭12枚目7–8 東前頭15枚目6–9
1999年(平成11年) 東十両2枚目9–6 東前頭13枚目6–9 西十両3枚目8–7 西十両2枚目8–7 西前頭14枚目9–6 東前頭9枚目9–6
2000年(平成12年) 西前頭2枚目3–12 東前頭8枚目8–7 西前頭筆頭5–10 西前頭3枚目5–10 西前頭8枚目6–9 西前頭11枚目6–9
2001年(平成13年) 東前頭14枚目8–7 西前頭10枚目7–8 西前頭11枚目7–8 東前頭13枚目5–10 東十両4枚目8–7 西十両筆頭9–6
2002年(平成14年) 西前頭12枚目3–12 西十両5枚目10–5 西前頭15枚目6–9 西十両2枚目9–6 西前頭13枚目7–8 東前頭15枚目5–10
2003年(平成15年) 東十両5枚目8–7 東十両3枚目9–6 東前頭15枚目8–7 東前頭11枚目6–9 東前頭14枚目6–9 東十両3枚目9–6
2004年(平成16年) 東前頭16枚目10–5 東前頭11枚目5–10 西前頭14枚目4–11 西十両3枚目5–10 西十両8枚目8–7 西十両6枚目4–11
2005年(平成17年) 西十両11枚目9–6 西十両5枚目1–14 西幕下3枚目引退–– x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
蒼樹山 6 9 安芸乃島 3 12 安芸ノ州 3 3 0 5
旭里 0 1 旭豊 4 4 安美錦 4 6 岩木山 0 2
潮丸 3 1 皇司 3 6 大碇 2 2 大日ノ出 1 3
小城錦 8 9 小城ノ花 2 2 魁皇 2 0 海鵬 9 9
垣添 0 1 春日王 1 0 春日錦 2 1 春日富士 2 3
巌雄 2 7 北勝鬨 7 4 北桜 2 0 旭鷲山 5 11
旭天鵬 4 6 旭道山 6 4 鬼雷砲 3 1 霧島 7 2
金開山 5 0 久島海 2 2 剣晃 2 6 光法 2 0
五城楼 1 6 黒海 0 2 琴稲妻 5 9 琴ヶ梅 1 3
琴錦 3 5 琴ノ若 4 6 琴富士 2 2 琴別府 5 4
琴光喜 0 2 琴龍 14 12 小錦 5 7 敷島 7 4
霜鳥 0 1 十文字 2 6 戦闘竜 2 0 大至 5 5
大翔鳳 5 5 大翔山 1(1) 0 大善 7 4 大飛翔 1 1
貴闘力 6 10 隆の鶴 1 0 貴ノ浪 3 10 貴乃花 0 9
隆乃若 2 4 高見盛 0 1 隆三杉 3 0 豪風 0 2
玉春日 4 9 玉乃島 2 3 玉力道 3 2 千代大海 2 3
千代天山 3 2 出島 1 7 寺尾 8 6 闘牙 2 2
時津海 3 8 時津洋 2 0 土佐ノ海 0 7 栃東 1 1
栃栄 2 8 栃乃洋 4 1 栃乃花 2 3 栃乃和歌 6 6
豊ノ海 0 1 浪之花 7 3 白鵬 0 1 濵錦 2 0
濱ノ嶋 10 8 追風海 1 2 春ノ山 1 0 肥後ノ海 13 10
普天王 0 2 武雄山 3 3 北勝力 1 1 舞の海 5 5
三杉里 4 5 水戸泉 8 10 湊富士 9 10 雅山 0 3
武蔵丸 0 3 武双山 0 4 大和 1 2 燁司 4 1
力櫻 2 2 若光翔 0 2 若孜 1 1 若兎馬 1 0
若の里 3 1 若ノ城 2 3 若乃花 0 7 和歌乃山 4 8

※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴

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年寄変遷

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関連項目

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出典

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  1. ^ 「ヒタチ」とは明治時代の力士である常陸潟に由来する角界の隠語であり、ほら吹き、尊大、目立ちたがりを表す。常陸潟は入門時に「なあに、大関なんぞ、すぐなりますよ」と豪語するなどの尊大さで知られていたが結局三段目止まりであり、世話人になっても尊大さは変わらなかった。
    朝日新聞 2014年7月12日25面(参考)
  2. ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p23
  3. ^ 12年ぶり無投票で理事決定 相撲協会の役員候補選 日刊スポーツ 2020年1月30日12時18分(2020年1月30日閲覧)
  4. ^相撲協会、プロスポーツ協会脱退を決定 副理事候補3人を選任」『SANSPO.COM』2020年3月23日。2020年3月23日閲覧。
  5. ^ 藤島親方ら副理事候補3人を選任 相撲協会理事会 産経新聞 2022/3/11 18:04 (2022年3月12日閲覧)

外部リンク

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現役年寄
出羽海一門 出羽海 中立 高崎 境川 関ノ戸 山科 振分 立田川 武隈 春日野 富士ヶ根 二十山 竹縄 三保ヶ関 清見潟 岩友 玉ノ井 入間川(停年後再雇用) 藤島 大鳴戸 山分 待乳山 錦島 武蔵川 二子山 山響 小野川 木村瀬平(木瀬) 若藤 稲川 井筒 千田川 尾上 千賀ノ浦 北陣 式守秀五郎(式秀) 立浪
二所ノ関一門 二所ノ関 中村 佐渡ヶ嶽 粂川 白玉 浜風 荒磯 尾車 押尾川 鳴戸 秀ノ山 片男波 熊ヶ谷 田子ノ浦 西岩 放駒 松ヶ根 芝田山 峰崎(停年後再雇用) 高田川 花籠(停年後再雇用) 大嶽 阿武松 不知火 常盤山 湊川 錣山
時津風一門 時津風 中川 枝川 荒汐 浦風 伊勢ノ海 勝ノ浦 甲山 立川 春日山 鏡山(停年後再雇用) 音羽山 陸奥(停年後再雇用) 追手風 立田山(停年後再雇用) 高島(停年後再雇用)
高砂一門 高砂 若松 錦戸 九重 谷川 佐ノ山 大山 八角 陣幕 東関 君ヶ濱
伊勢ヶ濱一門 伊勢ヶ濱 楯山 宮城野 間垣 安治川 大島 玉垣 浅香山 友綱 朝日山
(未襲名名跡) 桐山 出来山
高砂部屋
師匠 高砂 部屋付き親方 若松
力士幕内 朝紅龍 幕下 朝乃山 朝白龍 石崎 朝興貴 朝乃若 深井 朝玉勢 長内 三段目 朝志雄 朝氣龍 朝心誠 朝乃丈 朝大洞 朝阪神 序二段 朝天舞 朝翔 朝走雷 朝勝令 朝櫻井 朝東 朝童子
若者頭 伊予櫻 行司 木村朝之助 木村悟志 呼出 利樹之丞 邦夫