横山北斗 (original) (raw)
日本の政治家横山 北斗よこやま ほくと | |
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生年月日 | (1963-10-25) 1963年10月25日(61歳) |
出生地 | 日本 東京都 |
出身校 | 中央大学法学部政治学科卒業東海大学大学院政治学研究科博士課程修了 |
前職 | 弘前学院大学大学院教授 |
所属政党 | (無所属→)(民主党→)(国民の生活が第一→)(日本未来の党→)(生活の党→)無所属 |
称号 | 法学士(中央大学)博士(政治学)(東海大学・1996年) |
衆議院議員 | |
選挙区 | (比例東北ブロック→)青森1区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2005年9月12日 - 2012年11月16日 |
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横山 北斗(よこやま ほくと、1963年10月25日 ‐ )は、日本の政治学者、政治家、政治評論家、病院理事長。元衆議院議員(2期)。
来歴
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東京都出身。帝京八王子高等学校、中央大学法学部政治学科卒業後、白鳥令に師事し、1996年、東海大学大学院政治学研究科博士課程を修了し、博士(政治学)となる。専門は、イギリスの福祉政策で、1997年、弘前大学教育学部助教授に就任。これを機に青森県へ移り住んだ[1]。2002年、弘前学院大学大学院社会福祉学研究科教授に就任(2005年に退職)。
2003年1月26日に行われた青森県知事選挙に出馬を検討していた参院議員の田名部匡省が出馬を断念し、大学教授の横山に白羽の矢が立ち、日本で初めて30歳代で知事選に立候補した候補者となった[2]。横山本人は完全無所属を表明したが、田名部の意向で、民主、自由に推薦願を出すことになった[3]。しかし、民主と支持母体の連合青森は、現職の木村守男知事を支持した[4]。また、選挙戦のさなかに、弘前学院大学から「立候補に伴い教授を退職にする」と記した文書が送られてきたため、横山は「出馬に伴い様々な圧力がかかったが、そうしたものには屈しない」[5]と不当解雇で同大を訴え、この結果、選挙中に裁判所に出廷させられるという異常な戦いを強いられた[6]。選挙結果は、県都青森市では横山の得票が木村を上回ったが、8万票の差で敗れた[7]。落選後、横山は裁判に勝訴し、大学教授に復職を果たすが、当選した木村知事は週刊新潮に「セクハラ不倫疑惑」が報じられ、辞職勧告決議が可決される。木村知事は辞職を拒んでいたが、青森県議会に知事不信任決議案が提出され、採決前の5月16日に辞職した。
木村の辞職に伴って、同年6月29日に行われた出直し知事選では、横山が勝てると踏んだ民主、連合、さらに社民も、一転して横山を推薦したが[8]、横山は「純粋無所属」を標榜し、学生勝手連を中心に草の根選挙を展開した[9]。選挙戦は横山優勢で進んだが、自民・公明の組織戦の前に逆転を許して、僅差で三村申吾に敗れ、この時、三村陣営の選対本部長を務めた津島雄二衆院議員は「芸術的勝利、奇跡の大逆転」と絶叫し、万歳三唱を行った[10]。
同年、第43回衆議院議員総選挙に青森1区から無所属で出馬。この時も、横山は無所属にこだわり、民主、社民、共産、横山以外の無所属候補者も乱立する中、手堅く組織票を固めた自由民主党の津島雄二に僅差で敗れ、地元紙の識者による選挙評では、民主党から出馬していれば、当選していたと指摘された[11]。
落選後、2004年から小沢一郎衆院議員の政策秘書を務め、2005年の第44回衆議院議員総選挙に青森1区から民主党公認で出馬した。初めての政党公認候補となったが、連合青森は横山の推薦見送りを表明した[12]。衆院選の数か月前に行われた青森市長選挙で、横山は、反核燃をライフワークとする、当時、県会議員で後に青森市長となる鹿内博とともに特定の候補者を応援したが、このことが、東北電力労組の反発を買った[13]。選挙結果は、選挙区では自民党の津島雄二に敗れたが、比例東北ブロックで復活当選している。
2009年の第45回衆議院議員総選挙でも、東北電力労組は不支持を表明したが、民主党への追い風に乗って、投票締め切りと同時にテレビニュースで当確の報が流れ10万票を超える得票で圧勝した[14]。
2009年の総選挙は民主党300議席超の政権交代選挙であったが、青森県では4選挙区のうち、民主党公認候補で勝ったのは横山だけだった。選挙戦を通じた県内の政策論争も、自民対民主ではなく、自民対横山で争われ、それは地元紙の1面で報じられた[15]。政権交代後、横山は県連代表となるが、横山一人が目立つ姿が嫌悪され、県連内での孤立を深め、とりわけ、「菅内閣の政治は間違っている」[16]として批判する徹底した姿勢が、県連内での横山おろしにつながり、2011年7月19日、代表辞任に追い込まれた[17]。しかし、その後も2012年3月30日、消費増税の閣議決定に抗議し、民主党政策調査会副会長を辞任[18]。同年6月26日、衆議院本会議おける社会保障・税一体改革関連法案の採決でも造反し、反対票を投じた[19]。民主党を除籍され、新党の結成に参加し、日本未来の党から2012年の第46回衆議院議員総選挙に出馬したが大差で落選した[20]。落選後は、日本未来の党の後継政党である生活の党に所属していたが、2013年6月に離党した[21]。
2014年の第47回衆議院議員総選挙には出馬せず、2014年、2015年と続けて、新選組土方歳三の歴史小説を出版している。
2015年12月18日に記者会見を行い、2016年の第24回参議院議員通常選挙に日本を元気にする会公認で立候補する意向を表明したが[22]、2016年2月24日にこれを撤回し、青森市長選挙に無所属で出馬する意向を表明した[23]。
その後、青森市長の鹿内博が青森駅前商業ビルのアウガを経営する第三セクターが破綻したことを受け引責辞任したため、11月、青森市長選挙に政党の支援を受けず無所属で立候補した[24]。横山は、従来の青森駅周辺中心から郊外を重視した街づくりへシフトするよう訴えるなどしたが、大差で落選した[25]。
横山は、資金パーティーも献金集めも一切行なわず、無所属にこだわり、「金と組織に頼らない」を自身の公約に掲げてきた[26]。親兄弟も政治家や資産家ではなく、地元出身者でさえなかった[27]。
2017年8月からは、青森市にある浅虫温泉病院の理事長となっている[28]。これ以降、選挙に出馬したことはなく、2018年からは、日刊紙のコメンテーターもしている。
政策・主張
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- 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に反対[29]。
- 原発ゼロを目指す[29]。
- 消費増税に反対[29]。
- 日本国憲法改定に反対[29]。
発言
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- 2010年3月28日に青森市内で開かれた「民主党青森県連躍進パーティー」で、「昨年の総選挙では、まさに革命と呼ぶにふさわしい出来事として、私たちは政権交代を実現したが、革命の後は、反革命が起こる」「今、民主党を批判する反革命分子に負けずに、この危機を乗り越えて行かなければならない」と発言した[30]。
- 2010年6月24日の参院選挙の応援演説で、「ノーモア小泉、リメンバー構造改革」と叫んだ[31]。
著作
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単著
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- 『福祉国家の住宅政策――イギリスの150年』 ドメス出版、1998年。ISBN 9784810704815
- 『福祉先進社会の住宅政策――1945年-2000年』 青林書院、2000年。ISBN 9784417012511
- 『歳三の双眸 新選組その真実の姿』 風詠社、2014年。ISBN 9784434199295
- 『蒼空を翔る』 牧野出版、2015年。ISBN 9784895002011
- 『洞爺丸追憶』津軽書房、2023年。ISBN 9784806602576
論文
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脚注
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- ^ “産経新聞”. (2016年11月26日)
- ^ “東奥日報”. (2000年12月27日)
- ^ “毎日新聞”. (2002年12月25日)
- ^ “朝日新聞”. (2002年12月26日)
- ^ “朝日新聞”. (2003年1月16日)
- ^ “陸奥新報”. (2003年1月12日)
- ^ “東奥日報”. (2003年1月27日)
- ^ “東奥日報”. (2003年6月3日)
- ^ “東奥日報”. (2003年6月22日)
- ^ “東奥日報”. (2003年6月30日)
- ^ “陸奥新報”. (2003年11月23日)
- ^ “朝日新聞”. (2005年8月18日)
- ^ “東奥日報”. (2005年3月20日)
- ^ “NHK青森”. (2009年8月31日)
- ^ “東奥日報”. (2009年8月15日)
- ^ “朝日新聞”. (2010年12月22日)
- ^ “東奥日報”. (2011年7月20日)
- ^ “ウォールストリートジャーナル日本版”. (2012年3月30日)
- ^ “日本経済新聞”. (2012年6月26日)
- ^ “朝日新聞”. (2012年7月5日)
- ^ “2013参院選:生活・横山氏が離党、無所属新人の工藤氏支援のため /青森”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2013年6月8日)
- ^ “参院選:元気・横山氏が出馬表明 「政治に新しい風を」 /青森”. 毎日新聞. (2015年12月19日). https://mainichi.jp/articles/20151219/ddl/k02/010/027000c 2020年5月2日閲覧。
- ^ “選挙:横山北斗氏、青森市長選へ転換 参院選出馬取りやめ /青森”. 毎日新聞. (2016年2月25日). https://mainichi.jp/articles/20160225/ddl/k02/010/057000c 2020年5月2日閲覧。
- ^ “選挙:青森市長選 告示 アウガ対応、争点に 新人4人立候補 /青森”. 毎日新聞. (2016年11月21日). https://mainichi.jp/articles/20161121/ddl/k02/010/072000c 2020年5月2日閲覧。
- ^ “選挙:青森市長選 小野寺氏が初当選 市窓口機能、アウガへ /青森”. 毎日新聞. (2016年11月28日). https://mainichi.jp/articles/20161128/ddl/k02/010/140000c 2020年5月2日閲覧。
- ^ “第45回 衆議院議員総選挙公報”
- ^ “東奥日報”. (2003年1月10日)
- ^ “病院概要”. www.aoh.or.jp. 2020年5月7日閲覧。
- ^ a b c d “東奥日報”. (2012年12月5日)
- ^ “民主党アーカイブ 民主党青森県連躍進パーティー”
- ^ “東奥日報”. (2010年6月25日)
関連人物
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関連項目
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外部リンク
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表話編歴 青森県の小選挙区選出衆議院議員(1996年 - ) | |
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第1区 | 津島雄二 横山北斗 津島淳 江渡聡徳 津島淳 |
第2区 | 江渡聡徳 三村申吾 江渡聡徳 大島理森 神田潤一 |
第3区 | 大島理森 木村次郎 岡田華子 |
第4区 | 木村太郎 (2017年廃止) |
表話編歴小沢一郎 | ||
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選挙区 | 岩手県第2区(中選挙区時代) 岩手県第4区 岩手県第3区 比例東北ブロック | |
家族・親族 | 小沢佐重喜 竹下亘 竹下登 金丸信 DAIGO 北川景子 竹中統一 黒田善太郎 椿原慶子 | |
所属政党 | 自由民主党 新生党 新進党 自由党 (1998-2003) 民主党 国民の生活が第一 日本未来の党 生活の党 生活の党と山本太郎となかまたち 自由党 (2016-2019) 国民民主党 立憲民主党 | |
関連派閥 | 周山会(自民党佐藤派)- 七日会(自民党田中派) 創政会(自民党竹下系) 経世会(自民党竹下派) 改革フォーラム21(自民党羽田派) 旧自由党G(民主党小沢G) 一新会(民主党小沢G) 北辰会(民主党小沢G)- 新しい政策研究会(超党派小沢G) | |
主要役職 | 衆議院議院運営委員長 第34代自治大臣 第44代国家公安委員長 内閣官房副長官 自由民主党幹事長 新生党代表幹事 新進党党首 自由党 (1998-2003)党首 民主党代表代行 民主党代表 民主党幹事長 国民の生活が第一代表 生活の党代表 生活の党と山本太郎となかまたち共同代表・選挙対策委員長 自由党 (2016-2019)代表 | |
秘書・元秘書 | 高橋嘉信 藤原良信 樋高剛 鶴保庸介 青木愛 横山北斗 石川知裕 川島智太郎 大久保隆規 金淑賢 木戸口英司 | |
著書 | 単著 『日本改造計画』 『語る』 『男の行動美学』 『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』 『剛腕維新』 『小沢主義(オザワイズム)―志を持て、日本人』 共著 『日米関係を読む』(ジェームズ・ファローズ・松永信雄共著) 『ジョン万次郎とその時代』(川澄哲夫編) 『政権交代のシナリオ―「新しい日本」をつくるために』(菅直人共著) 『小沢一郎総理(仮)への50の質問』(おちまさととの対談) | |
関連人物 | 佐藤栄作 田中角栄 羽田孜 平野貞夫 小池百合子 奥田敬和 藤井裕久 田村秀昭 山岡賢次 鈴木克昌 広野允士 東祥三 森裕子 梶山静六 橋本龍太郎 小渕恵三 鳩山由紀夫 | |
関連項目 | 1991年東京都知事選挙 政治改革四法 三宝会 小沢一郎政治塾 小沢チルドレン 小沢訪中団 西松建設事件 陸山会事件 ワン・ワン・ライス 金竹小 竹下派七奉行 ネオ・ニューリーダー 一龍戦争 一六戦争 岩手めんこいテレビ 福田組 西松建設 竹中工務店 | |
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