此花区 (original) (raw)

半保護されたページ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

このはなく ウィキデータを編集此花区
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンユニバーサル・スタジオ・ジャパン
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
市町村コード 27104-7
面積 19.30km2
総人口 63,549[編集]推計人口、2024年11月1日)
人口密度 3,293人/km2
隣接自治体隣接行政区 _大阪市_(福島区西区港区西淀川区住之江区)(大阪湾を隔てて隣接)兵庫県:尼崎市
区の花 サクラチューリップ
此花区役所
所在地 554-8501大阪府大阪市此花区春日出北一丁目8番4号北緯34度40分58.8秒 東経135度27分8.4秒 / 北緯34.683000度 東経135.452333度 / 34.683000; 135.452333座標: 北緯34度40分58.8秒 東経135度27分8.4秒 / 北緯34.683000度 東経135.452333度 / 34.683000; 135.452333 地図
外部リンク 大阪市此花区
此花区位置図
地理院地図 Google Bing GeoHack MapFan Mapion Yahoo! NAVITIME ゼンリン
表示ウィキプロジェクト

大阪万博 (Expo 2025) の会場となる夢洲

此花区(このはなく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つである。マスコットキャラクターは「このはちゃん」である[1]

2025年日本国際博覧会(大阪万博2025/Expo 2025 Osaka, Kansai, Japan)の開催地である。

区名

此花区は1925年(大正14年)、大阪市西区に属していた現在の此花区周辺と、北区に属していた現在の福島区周辺が、元の区から分離して合わさることで新設された。

新しい区の名前を巡っては市会などで議論があり、玉川区・福島区・野田区・朝日区・四貫島区など、各地域がそれぞれの地元の地名を区の名前にしようとした。結局、王仁が詠んだとされる難波津の歌(「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」)から此花区という名に決まった[2]

地理

大阪市の中部西端に位置しており、内陸部は北側が淀川、南側は安治川に挟まれ全域がほぼ平地となっている。西側は大阪湾の埋立地となっており、沖合に人工島の舞洲夢洲がある。

区南西部の桜島からは、安治川対岸の天保山(大阪築港港区築港三丁目)まで、無償の公営渡船が運航されている。

河川

隣接している区

歴史

かつては淀川河口の三角州で多くの中洲があり、中でも伝法が漁村として栄え、仏教渡来の地とされる伝法山西念寺が大伽藍を誇っていた(廃仏毀釈で縮小した)。江戸時代には新田開発が進み、開発者の名前などに因んだ地名が多い。

伝法口と呼ばれた伝法川の河口には大きな澪標(みおつくし)が立てられ、大坂市街へ遡上できない大型船から小舟に積み替える地であった。伝法村は廻船業を営む者が多く、樽廻船の発祥地でもある。しかし、1683年(天和3年)に安治川が開削されると伝法の港湾としての地位は低下した。一方、安治川沿いは繁栄し、西九条のうち春日出橋以東の安治川沿いは大坂市街に含まれるようになった。

1897年(明治30年)に西成郡川北村大字西九条、西野新田、四貫島、六軒家新田、春日出新田、恩貴島新田、南新田、島屋新田、築地(現:桜島)、常吉新田、本酉島新田と秀野新田の伝法川以南が大阪市西区へ編入された。

1898年(明治31年)から1910年(明治43年)にかけて新淀川が開削され多くの土地が失われた。一方、明治中期より工場が相次いで建設され、大正期に入ると現在の住友グループを中心に大規模な開発が行われた。1922年(大正11年)には東洋一と呼ばれた春日出発電所も建設され、阪神工業地帯の中心的地位を担うようになった。

1925年(大正14年)に上記の地区と北区の安治川北通、旧:野田村下福島村上福島村を区域として此花区が新設された。なお、区名は同じく新設の浪速区とともに難波津の歌から採用されている。同時に西成郡伝法町稗島町は大阪市西淀川区へ編入された。

ユニバーサル・グローブ(ユニバーサル映画のロゴを象ったオブジェ)

1927年(昭和2年)には北港の埋立造成が始まり、住友電工住友金属住友化学日立造船大阪ガス汽車製造の「西六社」と呼ばれる大規模工場群が完成した。

1943年(昭和18年)に嬉ヶ崎町(現:朝日の東部)を除く旧:野田村、下福島村、上福島村を新設の福島区へ分離。同時に西淀川区から旧:伝法町の全域と稗島町の淀川以南(現:高見)を此花区へ編入した。

第二次世界大戦では重工業地帯であることが災いして米軍から集中的な爆撃を受け、壊滅的な被害が出た。高度成長期は激しい公害に見舞われながらも活気があったが、1980年代以降は産業構造の転換によって重工業は振るわなくなり、工場の地方・海外移転などが進み、貨物駅や工場が廃止されて空き地が増えた。これに対し、一方ではハイテク製品生産への転換、2001年(平成13年)開業のテーマパークユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ) に代表されるアミューズメントエリア・ソフト産業地区への転換が模索されている。

1995年(平成7年)1月17日には阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)が発生し、淀川の堤防が大きくめくれ上がるなどの被害を受けた。

人口はここ[_いつ?_]20年余り6万人台で推移しているが、2014年5月1日の推計人口で浪速区が此花区と大正区の人口を上回ったため、此花区が市内24区中最少となった。

2014年(平成26年)に大阪市内において区単位では初、また、都市観光における民間主導の観光協会としては2つ目となる此花区観光協会@大阪が設立[3]。賑わいを創出し、まちを活性化するとともに、人と人の交流を通じて豊かで活気のある地域社会を創造することを目的とし、街を舞台に観光を通じて海外と日本の平和を構築することが模索されている[4]

2025年国際博覧会(2025大阪万博)の開催予定地として決定された。

人口

此花区(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 85,786人 1975年(昭和50年) 81,963人 1980年(昭和55年) 73,386人 1985年(昭和60年) 68,987人 1990年(平成2年) 69,729人 1995年(平成7年) 68,529人 2000年(平成12年) 65,037人 2005年(平成17年) 63,809人 2010年(平成22年) 65,569人 2015年(平成27年) 66,656人
総務省統計局 国勢調査より

地名

地名の多くは新田開発を行った者の名前や屋号、開発に伴う逸話に由来する[5]

交通

鉄道

桜島線ホームに停車するJR西日本103系USJ仕様(2005年12月)

此花郵便局

バス

上記のほか、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンには各地とを結ぶ空港リムジンバスや高速バスが多数発着する。

道路

夢洲周辺の大阪湾

空港

その他

教育

高等学校

中学校

小学校

幼稚園

住宅

近年は工場跡地に大規模マンションや住宅団地が相次いでできたため増加傾向である。

大規模マンション

住宅団地

区内に本社を置く企業

観光スポット・名所・施設

舞洲ベースボールスタジアム

大阪北港マリーナ

出身有名人

脚注

  1. ^ 大阪市此花区:マスコットキャラクターこのはちゃん
  2. ^ 大阪市 此花区 此花区の概要
  3. ^ 此花区観光協会@大阪
  4. ^ 大阪日日新聞
  5. ^ 大阪市此花区:此花区の町名の由来 (…)此花区はこんなまち)此花区のみどころ)
  6. ^1日中海で過ごせる大阪北港マリーナの魅力”. 大阪北港マリーナ. 2022年1月30日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、**此花区**に関連するカテゴリがあります。