相馬市 (original) (raw)

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そうまし ウィキデータを編集相馬市
松川浦
相馬市旗 相馬市章1962年12月28日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
市町村コード 07209-5
法人番号 7000020072095 ウィキデータを編集
面積 197.79km2
総人口 32,811[編集]推計人口、2024年10月1日)
人口密度 166人/km2
隣接自治体 南相馬市伊達市相馬郡新地町飯舘村宮城県伊具郡丸森町
市の木 クロマツ
市の花 春:サクラ、夏:ハマナス、秋:キキョウ、冬:サザンカ
市の鳥 ウグイス
相馬市役所
市長 [編集]立谷秀淸
所在地 976-8601福島県相馬市中村字北町63-3北緯37度47分48秒 東経140度55分11秒 / 北緯37.79667度 東経140.91964度 / 37.79667; 140.91964座標: 北緯37度47分48秒 東経140度55分11秒 / 北緯37.79667度 東経140.91964度 / 37.79667; 140.91964相馬市役所 地図市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト
相馬市位置図 ■ ― 市 / ■ ― 町・村
地理院地図 Google Bing GeoHack MapFan Mapion Yahoo! NAVITIME ゼンリン
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1975年(昭和50年)撮影の相馬市中心部周辺の空中写真。
1975年撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

上空からの相馬市

相馬市中心部(2013年6月3日)

相馬市(そうまし)は、福島県浜通りの北部に位置する太平洋沿岸の都市で、松川浦相馬野馬追で有名である。1954年(昭和29年)市制施行。宮城県に隣接しており、2005年(平成17年)までは仙台大都市圏にも含まれていた。

JR相馬駅前(2020年8月)

福島県浜通り北部に位置する都市である。戦国時代後期から江戸時代にかけて相馬氏の本拠地であり、特に江戸時代には中村藩6万石の城下町として栄えた。相馬市制施行以前は宇多郡に属していた。

近隣の相馬郡南相馬市を含めた相馬エリアの中で相馬市は行政機関の出張所が集約された土地であり、福島県中通りへのアクセスに最も長けた要所としての特徴を有する。港湾海水浴場といった海辺を活かした産業で賑わいを見せている。

相馬野馬追が有名であり、当地の藩主であった相馬氏との縁は深く、近代まで相馬野馬追の出陣式に相馬氏の当主を招いていた。また相馬氏がの紋章を用いた事に因んで、市街地には馬の銅像が点在する[1][2][3]

また二宮尊徳が飢餓・飢饉に陥った各地の村々に仕法(村興しの有効策)を行った土地でもある。中村城跡にある相馬中村神社は、妙見菩薩平将門を奉る神社として今尚参拝者が多い。相馬盆唄など多くの民謡の発祥地でもある。

西に阿武隈高地・相馬丘陵と霊山を最高峰に山々が峙え、東が太平洋に面しており、宇多川と小泉川の河口にできた潟湖である松川浦が存在する[2][4]県庁所在地福島市(40km)へは国道115号東北中央自動車道で、浜通り地方最大都市のいわき市(90km)へは、南北に貫く常磐線国道6号常磐自動車道で移動する事が可能である。相馬市を含む浜通り北半分(相馬・浪江エリア)の地理的特徴として、阿武隈高地を越えて福島市、夜ノ森を越えていわき市、駒ケ嶺を越えて宮城県境と、各主要都市へ向かうには難所を通る必要がある。

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国土地理院地理情報によると相馬市の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは28km、南北の長さは13kmである[1][4]

経緯度極点 位置 経緯度
東端 蒲庭字孫目[2][3] 東経141度0分5秒[2]北緯37度43分54秒[2][3]
西端 玉野字霊山[2][3] 東経140度40分40秒[2]北緯37度46分59秒[2][3]
南端 蒲庭字孫目[2][3] 東経141度0分19秒[2]北緯37度43分16秒[2][3]
北端 椎木字段ノ原[2][3] 東経140度53分04秒[2]北緯37度50分38秒[2][3]

福島県東北地方に区分されている事からが多いと思われがちだが、相馬市を含めた浜通りは冬に雪がほとんど降らない温暖な気候でありながら夏は涼しい、福島県太平洋沿岸部に見られる特徴である。日本海からの季節風は山脈によって遮られるため、冬場でも雪が少ない。8月の平均気温は23.7℃と夏は涼しく、熱帯夜になることはほとんど無い。1月の平均気温は2.2℃と福島県の中では温暖な気候であるが、2010年2月7日の寒波で-14.0度を観測し、1976年12月の観測開始以来の最低気温記録を26年ぶりに更新した[5][2][3]

相馬(相馬市)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 18.4 (65.1) 22.7 (72.9) 26.0 (78.8) 31.0 (87.8) 33.3 (91.9) 36.3 (97.3) 36.8 (98.2) 37.6 (99.7) 35.7 (96.3) 31.1 (88) 26.5 (79.7) 23.0 (73.4) 37.6 (99.7)
平均最高気温 °C (°F) 6.7 (44.1) 7.3 (45.1) 10.6 (51.1) 15.8 (60.4) 20.4 (68.7) 23.0 (73.4) 26.6 (79.9) 28.2 (82.8) 25.0 (77) 20.0 (68) 14.8 (58.6) 9.5 (49.1) 17.3 (63.1)
日平均気温 °C (°F) 2.2 (36) 2.5 (36.5) 5.4 (41.7) 10.5 (50.9) 15.5 (59.9) 19.0 (66.2) 22.7 (72.9) 24.2 (75.6) 20.8 (69.4) 15.4 (59.7) 9.7 (49.5) 4.7 (40.5) 12.7 (54.9)
平均最低気温 °C (°F) −2.5 (27.5) −2.3 (27.9) 0.0 (32) 5.0 (41) 10.9 (51.6) 15.6 (60.1) 19.7 (67.5) 20.8 (69.4) 17.1 (62.8) 10.8 (51.4) 4.4 (39.9) −0.1 (31.8) 8.2 (46.8)
最低気温記録 °C (°F) −11.9 (10.6) −14.0 (6.8) −9.7 (14.5) −5.4 (22.3) 1.6 (34.9) 7.3 (45.1) 11.7 (53.1) 12.5 (54.5) 7.3 (45.1) −0.7 (30.7) −3.9 (25) −9.2 (15.4) −14.0 (6.8)
降水量 mm (inch) 47.4 (1.866) 34.6 (1.362) 77.8 (3.063) 97.4 (3.835) 113.0 (4.449) 146.9 (5.783) 190.8 (7.512) 166.8 (6.567) 225.0 (8.858) 198.8 (7.827) 60.3 (2.374) 34.9 (1.374) 1,381.2 (54.378)
平均降水日数 (≥1.0mm) 4.2 4.9 7.9 8.5 9.2 12.5 13.7 11.7 11.9 8.7 5.8 4.8 104.0
平均月間日照時間 180.3 175.5 193.2 193.7 192.2 147.5 132.8 156.8 129.1 144.2 152.9 163.9 1,961.9
出典1:気象庁[6]
出典2:気象庁[7]

相馬中村城大手門(2013年6月3日)

中村地域
尾浜 北飯渕 北小泉 沖ノ内 小泉 塚ノ町 中野 中村 新沼 西山 原釜 本笑(もとわろう) 和田 光陽(一部)
大野地域
石上 大坪 大野台 小野 黒木 椎木(しいのき) 長老内 塚部(つかのべ) 初野 光陽(一部)
飯豊地域
岩子(いわのこ) 大曲 柏崎 百槻(どうづき) 新田(にいだ) 馬場野 程田(ほどた) 南飯渕
八幡地域
今田 坪田 富沢 成田
山上地域
粟津(あわづ) 山上
日立木(にったき)地域
赤木 立谷 日下石(にっけし) 柚木(ゆぬき)
磯部地域
磯部 蒲庭
玉野地域
玉野 東玉野
相馬市と全国の年齢別人口分布(2005年) 相馬市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 相馬市■緑色 ― 日本全国 ■青色 ― 男性■赤色 ― 女性
相馬市(に相当する地域)の人口の推移 1970年(昭和45年) 37,189人 1975年(昭和50年) 37,551人 1980年(昭和55年) 38,332人 1985年(昭和60年) 39,346人 1990年(平成2年) 39,134人 1995年(平成7年) 39,449人 2000年(平成12年) 38,842人 2005年(平成17年) 38,630人 2010年(平成22年) 37,817人 2015年(平成27年) 38,556人 2020年(令和2年) 34,865人
総務省統計局 国勢調査より
地域名 面積
中村 18.53[2][3]
大野 33.53[2][3]
飯豊 17.19[2][3]
八幡 18.40[2][3]
日立木 14.67[2][3]
磯部 17.06[2][3]
山上 50.30[2][3]
玉野 27.99[2][3]

※2008年10月1日現在

氏名 就任 退任 備考
1 横山宗延 昭和29年(1954年)4月29日 昭和33年(1958年)1月18日 元・大野村長
2 佐藤清照 昭和33年(1958年)1月19日 昭和37年(1962年)1月18日
3 横山宗延 昭和37年(1962年)1月19日 昭和49年(1974年)1月18日 再任
4 濱名忠雄 昭和49年(1974年)1月19日 昭和53年(1978年)1月18日
5 今野繁 昭和53年(1978年)1月19日 平成14年(2002年)1月18日
6 立谷秀清 平成14年(2002年)1月19日 現職

産業人口(2000年国勢調査)

産業種別 人口
第一次産業就業人口 2,546人[2][3]
第二次産業就業人口 7,269人[2][3]
第三次産業就業人口 9,989人[2][3]

市立

私立

相馬駅

福島県内の主な移動手段は、西へ福島市国道115号が通じており、2021年に東北中央自動車道相馬福島道路)も全通した。南北へはいわき市や宮城県境に常磐自動車道国道6号常磐線が通じている。

一般路線

高速バス

高速道路

国道

福島県道

道路元標

道の駅

観光地

祭事

イベント施設

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r市勢要覧”. 相馬市. 2012年6月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao apそうまの統計DB”. 相馬市. 2012年6月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aqそうまの統計DB 平成19年”. 相馬市. 2012年6月1日閲覧。
  4. ^ a b沿革・あゆみ”. 相馬市. 2012年6月1日閲覧。
  5. ^ 気象庁(相馬の観測史上1~10位の値)
  6. ^平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2024年1月26日閲覧。
  7. ^観測史上1~10位の値”. 気象庁. 2024年1月26日閲覧。
  8. ^ 福島県文化財センター白河館. “ふくしま教育情報データベース”. 福島県教育委員会. 2019年2月23日閲覧。
  9. ^考古/相馬市公式ホームページ”. 相馬市. 2022年2月3日閲覧。
  10. ^丸塚古墳/相馬市公式ホームページ”. 相馬市. 2022年2月3日閲覧。
  11. ^黒木田遺跡”. 福島県文化財センター. 2019年2月23日閲覧。
  12. ^ 飯村均『律令国家の対蝦夷政策―相馬の製鉄遺跡群』
  13. ^ 板橋源「古代石城石背両国建置年代一考」『岩手大学学芸学部研究年報』第20巻、岩手大学学芸学部、1962年、47-50頁、doi:10.15113/00012330CRID 1390572174849330304、2022年5月23日閲覧。
  14. ^ 大迫徳行. “相馬の歴史講座「中村城」第2回 中世の中村城”. 相馬市. 2019年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月3日閲覧。
  15. ^ 大迫徳行. “相馬の歴史講座「中村城」第11回 中村城と城下町の形成”. 相馬市. 2019年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月3日閲覧。
  16. ^ 大迫徳行. “相馬の歴史講座「中村城」第11回 中村城と城下町の形成”. 相馬市. 2019年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月3日閲覧。
  17. ^ 大迫徳行. “相馬の歴史講座「中村城」第11回 中村城と城下町の形成”. 相馬市. 2019年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月3日閲覧。
  18. ^ 中村式部伊達氏と通じて相馬家に謀反を起こし、相馬盛胤義胤父子が中村式部を討つ。後に盛胤の次男・相馬隆胤が父と共に中村城に入城し、宇多郷大将として伊達氏に備える。※このようなことから隆胤を盛胤と混同した史料が存在している。
  19. ^ 岡田清一. “小高から中村へ -戦国武将相馬義胤の転換点-”. 東北学院大学. 2019年2月25日閲覧。
  20. ^ 大迫徳行. “相馬の歴史講座「相馬氏の統治時代」第5回 相馬氏存亡の危機”. 相馬市. 2019年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月3日閲覧。
  21. ^ 大迫徳行. “相馬の歴史講座「相馬氏の統治時代」第5回 相馬氏存亡の危機”. 相馬市. 2019年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月3日閲覧。
  22. ^400年前にも津波 相馬中村開府の年、資料に記述 400年祭は中止”. 福島民友新聞. 2019年2月23日閲覧。
  23. ^相馬の歴史講座 「相馬氏の統治時代」第1回 中村開府~築城と城下町の形成(1)”. 相馬市. 2019年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月3日閲覧。
  24. ^ 岩本由輝『歴史としての相馬 -花は相馬に実は伊達に-』刀水書房、2000年(P.101-114)
  25. ^ 岩本由輝『歴史としての相馬 -花は相馬に実は伊達に-』刀水書房、2000年(P.115-119)
  26. ^ 岩本由輝「近世陸奥中村藩における浄土真宗信徒移民の導入-木幡彦兵衛の覚書にみるその実態」『村落社会研究ジャーナル』、日本村落研究学会、2019年2月23日閲覧。
  27. ^ 同年3月27日、総理府告示第220号「市町村の廃置分合」
  28. ^ a b 図典 日本の市区町村 p51
  29. ^市町村の廃置分合”. 相馬市例規集. 2012年6月1日閲覧。
  30. ^市章”. 相馬市例規集. 2012年6月1日閲覧。
  31. ^相馬市民の歌”. 相馬市例規集. 2012年6月1日閲覧。
  32. ^ 大雨北上、東北で被害 常磐線、また普通『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月21日朝刊 12版 23面
  33. ^相馬市民憲章”. 相馬市例規集. 2012年6月1日閲覧。
  34. ^ a b c d e f g h姉妹都市盟約書”. 相馬市例規集. 2012年6月1日閲覧。
  35. ^港・団地・高速道路”. 相馬市. 2012年6月1日閲覧。
  36. ^福島県宇多川で氾濫発生”. tenki.jp (2019年10月12日). 2019年10月17日閲覧。
  37. ^「片付けたのに…」ため息、保育園また浸水…福島・相馬”. 読売新聞 (2019年10月28日). 2019年10月28日閲覧。
  38. ^相馬復興市民市場【浜の駅 松川浦】2020.10.25~open”. 相馬観光ガイド (2020年10月25日). 2021年4月16日閲覧。
  39. ^相馬市区長規則”. 相馬市例規集. 2012年6月1日閲覧。
  40. ^ a b c相馬市出張所設置条例”. 相馬市例規集. 2012年6月1日閲覧。
  41. ^ 常磐線(富岡駅~浪江駅間)の運転再開及びおトクなきっぷの発売等について -東日本旅客鉄道株式会社水戸支社
  42. ^[仙台直行便]南相馬⇔仙台駅西口”. 東北アクセス. 2013年6月6日閲覧。

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行政

観光

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