福の花孝一 (original) (raw)

福の花孝一

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福の花 孝一
基礎情報
四股名 福島 孝一→福の花 孝一→福ノ花 孝一→福の花 孝一
本名 松井 孝一
愛称 フックの花[1]
生年月日 (1940-07-01) 1940年7月1日
没年月日 2021年??月??日
出身 熊本県合志市
身長 183cm
体重 135kg
BMI 40.30
所属部屋 出羽海部屋
得意技 右四つ、突っ張り、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 関脇
生涯戦歴 637勝623敗46休(106場所)
幕内戦歴 421勝466敗28休(61場所)
優勝 幕下優勝1回
敢闘賞7回
データ
初土俵 1958年5月場所
入幕 1965年9月場所
引退 1975年11月場所
引退後 年寄・関ノ戸
備考
金星5個(玉の海2個、北の富士2個、輪島1個)
2014年3月5日現在■テンプレート ■プロジェクト 相撲

福の花 孝一(ふくのはな こういち、1940年7月1日 - 2021年)は、熊本県菊池郡合志町(現役当時、現在の同県合志市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は松井 孝一(まつい こういち)(入門時の姓は福島(ふくしま))。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。身長183cm、体重135kg。岳父は元小結和歌嶌。最高位は東関脇1971年1月場所)。

農家の生まれで、親類に出羽海部屋の幕内力士、八方山がいた関係で出羽海部屋に入門、1958年1月に初土俵を踏んだ。入門から6年後の1964年7月に新十両、1965年9月に新入幕を果たした。

同部屋の先輩である横綱佐田の山譲りの突っ張りが得意で、その強さは1970年1月場所で当時大関北の富士張り手一発で倒し脳震盪を起こさせるほどだった[2][注 1] [3]。このため四股名を捩って、**フックの花**(張り手をボクシングのフックに例えた)と呼ばれた[2]。その張り手は天龍源一郎に「相撲で怖い、というよりも苦手だったのが“フックの花”こと福の花だ。フックのような張り手をアゴに食らってノックアウトされたりしたからね」と述懐させるほどのものであった[4]。出世は必ずしも早いとはいえなかったが、長く幕内上位で活躍した。1970年5月場所と翌7月場所では横綱・玉の海から連続して金星を奪う大活躍を見せ[注 2][5]、新関脇1971年1月場所(初日から8連敗のあと休場、結局関脇を務めたのはこの場所のみ[注 3]。)では、すでに30歳を越していて、当時の幕内では珍しい高年齢の新関脇と話題になった。

一時代を築いた柏戸大鵬とはいずれも引退当日の対戦相手となり、不戦勝を得るというエピソードを残している。なお、実際の対戦では柏戸に勝ったことはあるが、大鵬には1度も勝てなかった(初顔合わせから10連敗)。

同部屋の後輩・三重ノ海に期待を寄せ、「五郎(三重ノ海の本名)が大関になるまでは引退しない」と頑張っていた。1975年、幕内で6場所連続して負け越し、同年11月場所限りでついに引退を決意した。同場所、関脇の地位にあった三重ノ海は13勝2敗の好成績で初の幕内最高優勝を遂げ、場所後に大関昇進を果たした。

三賞はいずれも敢闘賞で、7回受賞は引退当時同賞の最多受賞記録だった(のちに貴闘力が10回で更新)。三賞受賞が全て一部門に集中した力士としては、最多の三賞受賞回数を誇る。

引退後は年寄・関ノ戸を襲名して永く協会在勤の委員として協会事務に携わり、2000年には役員待遇に昇格、2005年6月に停年を迎えた。停年後も関ノ戸年寄名跡を引き続き所有し、貸株として運用していたが、2008年に岩木山に年寄株を譲った。

2009年3月場所より同部屋の後輩・朝日盛(本名・福本修司)が新たに「福の花」を襲名したが、これは同年出席した新年会の席で「名字が福本なら使えばいい。」と勧めたものである。

共同通信社発行の『大相撲力士名鑑』令和5年度版によると「令和3年没」とあるが、日時など、詳細は不明[6]

福の花 孝一

一月場所初場所(東京 三月場所春場所(大阪 五月場所夏場所(東京) 七月場所名古屋場所(愛知 九月場所秋場所(東京) 十一月場所九州場所(福岡
1958年(昭和33年) (前相撲) (前相撲) 東序ノ口12枚目4–4 西序二段110枚目4–4 東序二段103枚目5–3 西序二段79枚目5–3
1959年(昭和34年) 西序二段63枚目6–2 東序二段32枚目4–4 東序二段27枚目3–5 西序二段30枚目3–5 東序二段37枚目4–4 東序二段35枚目3–3–2
1960年(昭和35年) 西序二段37枚目5–3 西序二段筆頭6–2 東三段目65枚目5–3 西三段目38枚目2–5 東三段目54枚目4–3 西三段目42枚目5–2
1961年(昭和36年) 西三段目19枚目3–4 東三段目28枚目5–2 東幕下88枚目4–3 東幕下77枚目5–2 西幕下60枚目4–3 西幕下56枚目5–2
1962年(昭和37年) 西幕下36枚目5–2 西幕下21枚目2–5 東幕下31枚目4–3 西幕下25枚目2–5 西幕下36枚目5–2 西幕下26枚目2–5
1963年(昭和38年) 西幕下36枚目4–3 東幕下32枚目5–2 西幕下25枚目4–3 西幕下19枚目3–4 西幕下21枚目2–5 東幕下29枚目3–4
1964年(昭和39年) 西幕下36枚目4–3 西幕下27枚目6–1 西幕下14枚目優勝7–0 西十両18枚目10–5 西十両9枚目8–7 西十両5枚目10–5
1965年(昭和40年) 西十両筆頭休場0–0–15 東十両14枚目9–6 西十両5枚目8–7 東十両2枚目10–5 東前頭14枚目10–5 西前頭5枚目6–9
1966年(昭和41年) 西前頭7枚目9–6 東前頭5枚目休場0–0–15 西前頭15枚目11–4 東前頭7枚目9–6 東前頭2枚目5–10 東前頭5枚目9–6
1967年(昭和42年) 東前頭筆頭8–7 西小結7–8 西前頭筆頭9–6 西小結2–13 西前頭4枚目7–8 西前頭5枚目11–4敢
1968年(昭和43年) 西小結6–9 東前頭2枚目4–11 東前頭7枚目4–11 東十両2枚目10–5 西前頭10枚目9–6 東前頭7枚目9–6
1969年(昭和44年) 西前頭3枚目8–7 西前頭筆頭3–9–3[注 5] 西前頭7枚目8–7 西前頭2枚目6–9 東前頭4枚目5–10 西前頭8枚目10–5
1970年(昭和45年) 東前頭3枚目5–10 東前頭6枚目8–7 西前頭4枚目8–7敢★ 東前頭筆頭7–8★ 東前頭2枚目6–9★ 西前頭4枚目11–4敢
1971年(昭和46年) 東関脇0–9–6[注 6] 西前頭6枚目10–5敢 東小結7–8 東前頭筆頭5–10 西前頭6枚目8–7 東前頭3枚目6–9
1972年(昭和47年) 西前頭3枚目10–5敢★ 西小結8–7 西小結6–9 西前頭2枚目4–11 西前頭6枚目3–12 東前頭14枚目11–4敢
1973年(昭和48年) 東前頭3枚目6–9 東前頭6枚目8–7 東前頭2枚目6–9 東前頭5枚目6–5–4[注 7] 東前頭10枚目7–8 東前頭11枚目8–7
1974年(昭和49年) 東前頭10枚目9–6 西前頭4枚目6–9 西前頭7枚目8–7 東前頭3枚目5–10 東前頭7枚目7–8 西前頭10枚目10–5敢★
1975年(昭和50年) 西前頭筆頭6–9 西前頭4枚目6–9 西前頭6枚目7–8 西前頭7枚目7–8 西前頭7枚目6–9 東前頭10枚目引退5–10–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青ノ里 6 6 青葉城 0 2 青葉山 0 1 朝嵐 1 0
浅瀬川 8 4 朝登 3 3 旭國 5 4 天津風 1 0
嵐山 1 0 荒瀬 3 4(1) 荒波 1 0 巌虎 1 1
追風山 1 2 扇山 1 0 大位山 1 0 大潮 7 2
大鷲 5 3 魁輝 0 1 魁傑 2 7 魁罡 1 0
開隆山 3 1 柏戸 2(1) 9 和晃 2 0 北瀬海 6 4
北の湖 1 2 北ノ國 1 0 北の富士 6 16 君錦 1 0
清國 3 25 麒麟児 1 2 黒姫山 8 11 高鉄山 15 8
琴櫻 5 19 琴乃富士 1 2 金剛 6 11 白田山 6 1
大旺 4 0 大峩 6 4 大麒麟 7 18 大豪 1 0
大豪 0 2 大受 4 11 大心 3 1 大雪 4 1
大鵬 1(1) 10 大文字 4 1 大雄 8 9 大竜川 8 6
貴ノ花 3 13 高見山 4 12 玉嵐 1 0 玉輝山 1 2
玉の海 4 14 玉ノ富士 0 5 千代の富士 1 0 鶴ヶ嶺 2 2
天水山 1 0 天龍 9 2 時葉山 11 3 栃東 5 13(2)
栃勇 2 0 栃王山 13(1) 1 金城 0 4 栃富士 7 1
豊國 4 2 羽黒岩 10 8 長谷川 7 22 花光 8 4
播竜山 4 0 廣川 5 2 富士櫻 3 7 富士錦 4 6
藤ノ川 7 3 二子岳 14 10 双津竜 2 2 前の山 8(1) 13
牧本 1 0 増位山 5 7 禊鳳 2 0 明武谷 2 9
豊山 2 4 豊山 2 6 吉王山 4 4 琉王 10 4
龍虎 12 13 若獅子 4 2 若秩父 4 1 若天龍 3 2
若浪 15 7 若鳴門 1 4 若ノ海 1 6 若ノ國 2 0
若乃洲 3 1 若三杉 4 3 若二瀬 6 7 若見山 5 1
輪島 5 6

※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

  1. ^ この時綱取り場所であった北の富士は、この敗戦によるダメージが響くのではないかと言われていたが、優勝に終わって場所後無事に横綱昇進を果たした。

  2. ^ 通算対戦成績は福の花の4勝11敗。

  3. ^ 『大相撲ジャーナル』2015年6月号30頁によると新関脇の白星なしは15日制下において福の花が初である。

  4. ^ 前相撲2場所を除く。

  5. ^ 右股関節挫傷・右大腿筋挫傷により12日目から途中休場

  6. ^ 右網膜硝子体出血により9日目から途中休場

  7. ^ 右足甲関節捻挫により11日目から途中休場

  8. ^ 番付上、行司の誤記による。

  9. ^ 1972年11月場所、番付に行司の誤記により「福ノ花」と記載される。

  10. ^ ベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』25ページ。

  11. ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p27

  12. ^ 雑誌『相撲』別冊菊花号 創業70周年特別企画シリーズ(3)柏鵬時代 柔の大鵬 剛の柏戸――大型横綱たちの君臨(ベースボールマガジン社、2016年) p93

  13. ^ 天龍源一郎が語る“怖い人・苦手な人” みんなが怖れるカブキさん「野次る客はつまみ出せ!」(3/4ページ) AERAdot. 2021.6.13 07:00 (文・天龍源一郎、2021年6月13日閲覧)

  14. ^ 新潟日報/昭和45年7月6日(月)10面=スポーツ面から

  15. ^ 『大相撲力士名鑑』令和5年度版168頁。

最年長力士
源武山源右エ門1927年1月-1932年3月 能代潟錦作1932年5月-1936年5月 綾川五郎次1937年1月-1937年5月 海光山大五郎1938年1月-1939年1月 大潮清治郎1939年5月-1941年5月 藤ノ里栄藏1942年1月-1943年1月 大和錦幸男1943年5月 肥州山栄1944年1月-1945年6月 若港三郎1945年11月 大平山圭四郎1946年11月-1947年11月 九ヶ錦坦平1948年5月-1949年1月 若潮芳雄1949年5月-1949年10月 名寄岩静男1950年1月-1954年9月 廣瀬川惣吉1955年1月-1959年5月 三根山隆司1959年7月-1960年1月 小野錦喜三郎1960年3月 若葉山貞雄1960年5月-1961年1月 北の洋昇1961年3月-1962年3月 出羽錦忠雄1962年5月-1964年9月 鶴ヶ嶺昭男1964年11月-1967年7月 青ノ里盛1967年9月-1969年3月 若ノ國豪夫1969年5月-1969年9月 相内範雄1969年11月-1973年7月 福の花孝一1973年9月-1975年11月 牧本英輔1976年1月-1982年11月 高見山大五郎1983年1月-1984年5月 大潮憲司1984年7月-1988年1月 舛田山靖仁1988年3月-1989年7月 蔵間竜也1989年9月 玉龍大蔵1989年11月-1992年1月 亀山弘章1992年3月-1993年7月 大乃浦哲也1993年9月-1995年1月 霧島一博1995年3月-1996年3月 大竜忠博1996年5月-1997年7月 一ノ矢充1997年9月-2007年11月 栃天晃正嵩2008年1月-2011年5月 華吹大作2011年7月-2022年1月 翔傑喜昭2022年3月-