美内すずえ (original) (raw)

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美内 すずえ
本名 西尾 鈴恵[1](旧姓:美内[注 1]
生誕 (1951-02-20) 1951年2月20日(73歳)[1]日本の旗 日本大阪府大阪市西区
職業 漫画家
活動期間 1967年 -
ジャンル 少女漫画
代表作 ガラスの仮面
受賞 第6回講談社漫画賞少女部門第24回日本漫画家協会賞優秀賞
公式サイト 美内すずえ公式ホームページ「オリーブの葉っぱ」
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美内 すずえ(みうち すずえ、本名:西尾 鈴恵(にしお すずえ)[1]1951年〈昭和26年〉2月20日[1] - )は、日本漫画家大阪府生まれ[3]、大阪府大阪市出身[4]。血液型はO型[2]。最終学歴:大阪成蹊女子高[1]。既婚[5][6][7]。アカルプロジェクトのオーナー[8]

実家は理髪店で、幼少時代はよく映画を見に行ったという。中学時代に貸本屋で手塚治虫などの漫画に熱狂するも母親に漫画を読むことを禁じられ、それならばと自分自身で漫画を描き始めるようになる。

1967年(昭和42年)、高校時代に『別冊マーガレット』10月号に「山の月と子だぬきと」でデビューした[9]。さらに1976年(昭和51年)には『ガラスの仮面』が『花とゆめ』にて連載開始する。この作品は、1995年(平成7年)に第24回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞するなど[10][11]、作者の代表作となった。

それ以外にも1982年(昭和57年)に『妖鬼妃伝』(『なかよし』、講談社)で、第6回講談社漫画賞を受賞している [12][注 2]

1991年(平成3年)、山梨県甲府市にフレンチ料理とカフェの店Cafe du Crepuscule(カフェ・ド・クレプスキュール)を開店。2010年(平成22年)に吉祥寺に姉妹店開店。

2009年(平成21年)現在も「O-EN NETWORK」という精神世界を探求する団体を主宰しており、漫画家としての活動は10年近く停止状態だった時期があった。このことについて、作者側は漫画執筆意欲が失われたわけではなく、物語を構成するエピソードに非常に時間がかかり、単行本1冊のプロットだけでノート約10冊以上を必要とすること、さらに雑誌連載と単行本では描き下ろしがあることが理由であるとしている[注 3]。『ガラスの仮面』以外にも『アマテラス』『聖アリス帝国』も未完結の作品とされている。なお、書店に赴いた際、居合わせた女子学生の「ガラスの仮面」最新刊に関する否定的な会話にショックを受け、考えに考えた展開への自信が揺らいだこともある[14]

2004年(平成16年)12月16日、読者待望の『ガラスの仮面』コミックス42巻が発売されたが、白泉社『花とゆめ』誌上で連載されていた原稿を一切使わずに全編描き下ろしされており、作品内容は大幅に改変されている。そのため、1989年(平成元年)から1997年(平成9年)まで連載された版(全75回)における複数のエピソードが宙に浮いた形となっている。

精神世界研究団体O-ENを主宰している他、2006年(平成18年)以降、『ガラスの仮面』内に登場する劇中劇「紅天女」を元にした新作能の監修も手掛けている。全国に公演回数が増加していることから、漫画制作がさらに遅れている。

2009年(平成21年)1月26日、約4年ぶりの『ガラスの仮面』コミックス43巻が発売された。これはコミックス42巻の続きとして、2008年(平成20年)7月から4ヶ月連続『別冊花とゆめ』に集中掲載された原稿が元となっているが、基本ストーリーに変更はないものの、様々な加筆修正・削除等改変がなされている。

2017年8月12日に宝島社「このマンガがすごい! Comics 妖鬼妃伝 美内すずえセレクション 黒の書」(同時収録「黒百合の系図」「ひばり鳴く朝」)、2018年1月12日に宝島社「このマンガがすごい! Comics 13月の悲劇 美内すずえセレクション 白の書」(同時収録「白い影法師」「孔雀色のカナリア」)が刊行された。

  1. ^ p.852に本名・出身地・生年月日・血液型を記載[2]

  2. ^ 少女漫画部門は、山岸凉子の代表作の1つである『日出処の天子(当時連載中)』と最後まで競ったとの逸話が記述されている。美内本人は、怪奇なものやミステリーが好きなので、『ガラスの仮面』長期連載と並行して描けた事実に「欲求不満が解消出来た」とインタビューで喜びを露わにした[13]

  3. ^ ただし美内自身は子供の頃から不思議な体験を何度もしており、超自然的な現象に関心があったのは事実である。女性週刊誌『女性自身』1996年7月30日号では「霊が大事故から救ってくれた」と語ったこともあった。しかし、このことと執筆停止との関係は不明である。ノリアキラ、Peko、ヤマダトモコ 「美内すずえを読み解く45のキーワード」 『マンガ夜話』vol.9、キネマ旬報社<キネ旬ムック>、2000年、pp.204下段-205上段。

  4. ^ a b c d e読売年鑑2005年版 別冊 分野別人名録』p.393より,読売新聞東京本社,(平成17年)2005年3月13日発行。ISBN 4643050012

  5. ^ a b 「日本漫画家名鑑500」編集委員会 1992, p. 852-853.

  6. ^白泉社文庫セレクション 美内すずえ特集”. 白泉社. 2018年3月25日閲覧。

  7. ^現代に合う文化を生み出したい エンタメ施設を大阪にオープン 漫画家、美内すずえさん”. 産経WEST (2015年10月9日). 2018年3月25日閲覧。

  8. ^ 藤原章生 (2017年4月14日). “人生は夕方から楽しくなる:漫画家 美内すずえさん”. 毎日新聞 東京夕刊 (毎日新聞社). https://mainichi.jp/articles/20170414/dde/012/070/034000c 2018年5月28日閲覧。 "昨年1月からの看病について聞くと、「2月12日、夫が冠動脈をつまらせて倒れ、23分間心肺停止したんですが、運が良かったのは行きつけのお店で……」と説明を始めた。"

  9. ^ 上田恵子 (2019年1月8日). “「ガラスの仮面」創作の源はここにあった 美内すずえさん異業種対談集「見えない力」”. 好書好日. インタビュー. 朝日新聞社. 2023年7月20日閲覧。 "現在、主人は要介護5ですが、最近、半日も介護のお手伝いをしてくださる方が来てくれるようになって、ものすごく助かっています。(略)山梨県で経営していたレストランが火事になるなど、彼の人生は実にドラマチック。"

  10. ^ 吉田大助 (2022年3月24日). “(3ページ目)「お芝居について詳しい知識や関心があったわけでもなく、見切り発車でしたね(笑)」美内すずえが語る『ガラスの仮面』意外な“誕生秘話””. 文春オンライン. 少女漫画家「家」の履歴書より. 文藝春秋. 2023年7月20日閲覧。 "31歳の時に結婚"

  11. ^会社概要|アカルプロジェクト”. 2020年1月13日閲覧。

  12. ^ キネマ旬報社編 『マンガ夜話』vol.9、キネマ旬報社<キネ旬ムック>、2000年、p.186.

  13. ^ まんがseek・日外アソシエーツ編集部共編 『漫画家人名事典』 日外アソシエーツ、2003年、p.353.

  14. ^ 「大澤一雄さんに大賞」 朝日新聞1995年4月27日付朝刊、14版、34面、第9段.

  15. ^ キネマ旬報社編 『マンガ夜話』vol.9、キネマ旬報社<キネ旬ムック>、2000年、p.180上段.

  16. ^ 村石憲一(編)「第六回講談社漫画賞」『まんが専門誌月刊ぱふ 7月号(通巻67号)』第8巻第7号、雑草社、1982年7月1日、146-154頁、全国書誌番号:00042666

  17. ^ 『THE・少女マンガ 作者が語る名作の秘密』NHK-BS,2005年1月24回放送