荒木田久老 (original) (raw)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒木田 久老
人物情報 | |
---|---|
別名 | 通称:弥三郎、主税(ちから)、斎(いつき)など。号:五十槻 |
生誕 | 延享3年11月21日( (1747-01-01) 1747年1月1日) 日本・伊勢国度会郡 |
死没 | 文化元年8月14日( (1804-09-17) 1804年9月17日(57歳没)) 日本・伊勢国度会郡 |
国籍 | 日本 |
両親 | 父:橋村正身 |
学問 | |
時代 | 江戸時代中期から後期 |
活動地域 | 伊勢国 |
学派 | 県居派 |
研究分野 | 国学 |
主要な作品 | 『万葉考槻之落葉』『祝詞考追考』『日本紀歌之解』『続日本紀歌之解』『竹取翁歌解』など |
影響を受けた人物 | 賀茂真淵 |
テンプレートを表示 |
荒木田 久老(あらきだ ひさおゆ、延享3年11月21日(1747年1月1日)[1] - 文化元年8月14日(1804年9月17日)[1])は、江戸時代中期から後期にかけての伊勢神宮祠官、国学者[2]。初名は正恭[1]、後に正董[1]と名乗った。通称は弥三郎、主税(ちから)、斎(いつき)など[1]。号を五十槻と称し[1]、家号を五十槻園(いつきのその)と称した。
伊勢国度会郡に生まれる[1]。実父は外宮権禰宜橋村正身(はしむらまさのぶ)で[1]、自身は二男にあたる[1]。明和2年(1765年)江戸で賀茂真淵に師事し[1]、国学や和歌などを学び、特に『万葉集』を研究した。『万葉考槻之落葉』『祝詞考追考』『日本紀歌之解』『続日本紀歌之解』『竹取翁歌解』などの研究書を著している。1775年(安永4年)内宮権禰宜の荒木田(宇治)久世の養子となり[1]、荒木田久老と名乗る[1]。なお、晩年は伊勢国の県門として本居宣長の学派と対立した。
- ^ a b c d e f g h i j k l 岡本勝, 雲英末雄編『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、233頁。
- ^ 『江戸時代人物控1000』山本博文監修、小学館、2007年、18-19頁。ISBN 978-4-09-626607-6。
- 岡本勝、雲英末雄編『新版 近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、233ページ
- 高津春繁、手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典 1 文学』(初版)小学館〈日本大百科全書〉(原著1973-8-10)。
- 中根粛治編『慶長以来諸家著述目録 和学家之部』(1893年、青山堂支店)[1]
- 荒木田氏
- ^ 関隆治・編『國学者著述綜覧』森北書店、1943年、8頁。