萩尾望都 (original) (raw)

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はぎお もと萩尾 望都
萩尾望都(2008年)萩尾望都(2008年
生誕 (1949-05-12) 1949年5月12日(75歳)[1]日本福岡県大牟田市
職業 漫画家
称号 紫綬褒章文化功労者漫画家の殿堂旭日中綬章日本芸術院会員
活動期間 1969年 -
ジャンル 少女漫画
代表作 ポーの一族』『トーマの心臓』『11人いる!』『半神』『残酷な神が支配する[2]
受賞 第21回小学館漫画賞(『ポーの一族』,『11人いる!』)第11回星雲賞コミック部門(『スター・レッド』)第14回星雲賞コミック部門(『銀の三角』)第16回星雲賞コミック部門(「X+Y」)第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞(『残酷な神が支配する』)第27回日本SF大賞(『バルバラ異界』)第40回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞第12回センス・オブ・ジェンダー賞生涯功労賞(『なのはな』および全ての作品)2017年朝日賞2024年アングレーム国際漫画祭特別栄誉賞「<#受賞歴>」も参照
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萩尾 望都(はぎお もと、本名同じ[1][3]1949年5月12日[1][3] - )は、日本漫画家[1][3]。女性[3]女子美術大学客員教授日本SF作家クラブ名誉会員、日本漫画家協会理事、日本芸術院会員。

福岡県大牟田市生まれ。1969年に「ルルとミミ」でデビューする[4]。1972年から『ポーの一族』を連載、1976年に同作および『11人いる!』により第21回小学館漫画賞を受賞した[5]。同時期に連載された『トーマの心臓』も人気となり[4]、少女漫画に革新をもたらし黄金時代を築いたとして、竹宮惠子大島弓子山岸凉子らと共にその生年から「花の24年組」と呼ばれた[6]

作品のジャンルはSFファンタジーミステリーラブコメディーバレエもの、サスペンスものなど幅広い分野にわたる。1997年には『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞、2006年には『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞を受賞した[4]。2011年には第40回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞[4]2012年春に少女漫画家では初となる紫綬褒章を受章した[7]2019年秋に女性漫画家では初となる文化功労者に選出された[8][9]2022年に日本人で7人目となるアイズナー賞「コミックの殿堂」を受賞[10]旭日中綬章を受章[11][12][13]

1949年福岡県大牟田市白川町に生まれる[14]。4人兄弟の次女(姉・妹・弟)[15]。父は三井鉱山の関連会社の社員[16]。「望都」は本名で、両親がそれぞれの思いを持って名付けられた。名前の由来には諸説ある[17][注 2]。4歳の頃に熊本県荒尾市の父親の会社の社宅に引っ越して、小学校2年生の5月まではそちらで暮らしたのち、また大牟田市の社宅に戻る[21]

2歳頃から絵を描き、4歳で漫画や本を読み始めるが[22]、教育熱心な両親により、漫画を読むことを禁止されていた[20]。幼稚園では時間の許す限り絵を描き、小学校では3年生のころ、彼女の絵の才能を伸ばそうとした両親の勧めで絵の塾に通い油絵を学ぶ[23]。小学校2年のときに学級文庫ができ、『ヘレンケラー物語』や『アルセーヌ・ルパン』、『青い鳥』、『不思議の国のアリス』などを夢中になって何度も読み[24][注 3]、また図書館に入り浸りギリシャ神話や世界名作全集、児童向けのSFシリーズなどを読んでいた[20]。さらに、親戚の本屋に遊びに行っては漫画を読み、模写していた[20]

1962年大牟田市立船津中学校に入学する[注 4]。中学入学後、漫画を描く友人、原田千代子(後の漫画家・はらだ蘭)と知り合い[23]、漫画を描くための知識や漫画家になるためには作品を投稿する必要があることを知り、2人で貸本雑誌などに投稿した[22]。中学2年生[注 5]のときに大阪府吹田市に引っ越すが、その後も原田との文通は続く[23]

高校は大阪府立吹田高等学校に入学する[25]。高校2年生の終わり頃に手塚治虫の『新選組』に強く感銘を受け、本気で漫画家を志し[17][20][26][24][注 6][注 7][注 8]漫画雑誌[注 9]への投稿を始める[30]

高校3年生のときに福岡県大牟田市小浜の社宅に引っ越す[25]。校区があり福岡県立大牟田北高等学校に転校するが、競争が激しくなじめなかったと言う[31]。原田千代子の紹介で漫画同人誌「キーロックス」に同人漫画家として参加する[32][33]。「キーロックス」は福岡県立大牟田南高等学校の生徒3、4人および卒業生を合わせた8人くらいからなるグループで、肉筆回覧誌を作っていた[34]

高校卒業後、福岡市内の日本デザイナー学院ファッションデザイン科に入学し、服飾デザインを学ぶ[35]。漫画の投稿は全部で10作ほど行い、そのうちの1作『ミニレディが恋をしたら』(ペンネームは「萩尾望東」)で『別冊マーガレット』(集英社1968年5月号の「少女まんがスクール」にて金賞を受賞するが、入賞作は掲載されなかった[36]。続く『青空と王子さま』は7月号で銀賞に落ちてしまい、『マーガレット』では採用してもらえないらしいと思った[注 10]萩尾は学校の冬休みに上京して出版社を訪問する計画をたてる[38]

休暇で上京した際に手塚プロのアシスタントをしていた原田千代子を訪問し、そこで初めて手塚治虫と出会う[23]。また原田と岡田史子を訪ねた。同郷の漫画家、平田真貴子のつてで講談社の『なかよし』編集部に持ち込みをした[39]。そこで「何か短い作品を」と言われ、忘れられないうちにと2週間で20数枚の作品を仕上げ提出[20]。その作品『ルルとミミ』が『なかよし』夏休み増刊号に掲載されてデビューした[20][23][27][注 11]

専門学校の卒業を控えた頃、講談社の編集者に頼まれ、東京にいた竹宮惠子のアシスタントに一晩だけ赴き、上京して一緒に住まないかと誘われる[41]。その後『なかよし』編集部からの『ビアンカ』(掲載は別誌)以外のボツが続くが、次の『ケーキ ケーキ ケーキ』で自分のスタンスの描きたいものを描く方針を決める。竹宮惠子より小学館の編集者を紹介すると言われ、ボツになった5、6作の原稿を竹宮に送る[42]。1970年10月頃上京し、練馬区大泉で2年間の共同生活に入る(大泉サロン)。竹宮惠子と共同アパートで生活し、後に24年組と呼ばれることとなる漫画家たちと切磋琢磨(せっさたくま)の日々を送るが、このときに増山法恵から様々な文化的な知識を吸収する[43]。その後、描きたいSFをテーマにした作品が採用されない時期が2年ほど続くが、竹宮に伴われ小学館へネームを持ち込んだ際に『少女コミック』編集者の山本順也に可能性を認められ、「自由にわがままに思い切り描かせたい」という方針のもと、本領を発揮するようになる[32][17]

ポーの一族・トーマの心臓・SF作品

1972年2月、『ポーの一族』シリーズ第1作「すきとおった銀の髪」が『別冊少女コミック』3月号に掲載され、以後5年間断続的に連載される。代表作『ポーの一族』は、「永遠にこどもであるこどもをかきたい」との発想から[44][注 12]石ノ森章太郎の『きりとばらとほしと』の吸血鬼の設定の一部をヒントに構想を思いついた[45][46][注 13]ものだが、長編連載をやるには早すぎると編集から「待った」がかかったため、1972年、「すきとおった銀の髪」などの短編を小出しに描き、そんなにやりたいのならとようやく編集から了解が出て、同年8月から翌1973年6月にかけて当初の構想であった3部作(「ポーの一族」、「メリーベルと銀のばら」、「小鳥の巣」)を連載した[46]

この時期のもうひとつの代表作『トーマの心臓』は、『悲しみの天使』というフランス映画を見に行ったところ、それがバッドエンドであったために萩尾は主人公に同情し、「救いのある話を」と着手したもので[20][44][注 14]1974年4月から連載を開始したが、初回の読者アンケートが最下位だったため、当時の編集長である飯田から打ち切りを宣告された。しかし、直後に単行本化された『ポーの一族』[注 15]の初版3万部が3日で完売、『トーマの心臓』の評判も徐々に上がり、「もう少しで終わりになるから」と萩尾がかわしているうちに連載は33回まで続くこととなった[注 16]

その後、単行本の人気により編集部の強い要請を受けて1974年12月『ポーの一族』を「エヴァンズの遺書」で再開、1976年5月に「エディス」で完結したが、その間に『トーマの心臓』の暗いイメージを一掃するため長編ラブコメディー『この娘うります!』を連載する[注 17]とともに、念願であったSF作品『11人いる!』を連載し、その後はレイ・ブラッドベリ原作シリーズ(後に作品集『ウは宇宙船のウ』として単行本化)、『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍原作)、『スター・レッド』と矢継ぎばやにSF作品を連載する。

1976年、『ポーの一族』、『11人いる!』で第21回小学館漫画賞を受賞、人気漫画家としての地位を確立する[注 18][5]

一方、1977年に定年になった父親を代表として会社「望都プロダクション」を設立した[注 19]。しかし後に両親との不和が高じて大げんかとなり、2年後に会社をつぶす[52]

メッシュ・銀の三角・半神・バレエ作品

親との関係を見つめるため心理学を勉強し始め、内なる親から解き放たれるために、1980年に親殺しをテーマにした『メッシュ』の連載を開始[52][注 20]。この時期のSF作品に『銀の三角』、『モザイク・ラセン』、『マージナル』などの長編作品のほか、「A-A'」、「X+Y」などの短編作品がある。

1982年の年末に、モスクワ郊外で乗っていた観光バスとトラックが正面衝突した事故で重傷を負う[注 21]

1985年ごろから舞台演劇やバレエへの関心が強まり、『半神』を野田秀樹と共作で脚本を手がけ舞台化した[24]。一方、『フラワー・フェスティバル』、『青い鳥』、『海賊と姫君』などのバレエものを描き発表した。

1986年公開のアニメ映画『時空の旅人』(原作:眉村卓)でキャラクターデザインを担当した[54]

『スター・レッド』(1980年)、『銀の三角』(1983年)、「X+Y」(1985年)で、それぞれ星雲賞コミック部門を受賞する。

イグアナの娘・残酷な神が支配する・あぶない丘の家

80年代から引き続き『ローマへの道』や『感謝知らずの男』などのバレエものを描くとともに、1992年には厳格だった母親との対立を基にした『イグアナの娘』を発表し[55][注 22]、さらに同年、サイコ・サスペンス長編作品『残酷な神が支配する』の連載を開始する。この時期のSF作品には『海のアリア』、『あぶない丘の家』がある。

1997年、『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞を受賞する。

バルバラ異界・ここではない★どこか シリーズ

『残酷な神が支配する』終了後、1年間の休載後、2002年、SF作品『バルバラ異界』の連載を開始する。『バルバラ異界』終了後、『ここではない★どこか』シリーズや『あぶな坂HOTEL』、『レオくん』、田中アコ原作による『菱川さんと猫』(ゲバラシリーズ)などを連載する。

2006年、『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞を受賞する。

なのはな・王妃マルゴ・ポーの一族(再開)

2011年、引退を考え短編数編でフェイドアウトする予定だったが[56]東日本大震災で終末を表すものは止められ描けなくなり、原発事故から『なのはな[注 23]放射性物質を擬人化した原発3部作[注 24]、『福島ドライヴ』[注 25]を発表するとともに、現代社会を厭い歴史漫画『王妃マルゴ』を開始、引退を延期する[56]。また、小松左京の『お召し』を原案とする『AWAY-アウェイ』[注 26]を連載する。2016年には「ハギオ モト」名義による『天使かもしれない』で漫画原作を初めて担当する(作画は波多野裕が担当)[58]。また、連載終了から40年ぶりに『ポーの一族』の新作「春の夢」を発表する[59]

2011年から女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科メディア表現領域客員教授に就任[60]

2012年春、少女漫画家としては初の紫綬褒章を受章する[7]

2013年、単行本『なのはな』および作者の全作品で第12回センス・オブ・ジェンダー賞生涯功労賞を受賞する[61]

2017年、漫画家としては、手塚治虫水木しげるに続いて3人目、女性漫画家としては初の朝日賞を受賞する[62]

2018年、『なのはな』と『なのはな -幻想『銀河鉄道の夜』』により、震災からの復興と岩手県の文化振興に貢献したことが評価され、第3回マンガ郷いわて特別賞を受賞する[63]

2019年、デビュー50周年を記念して「萩尾望都 ポーの一族展」が松屋銀座[64]、名古屋パルコ[65]阪急うめだ本店[66]で開催される(2020年には長島美術館[67]、2021年には久留米市美術館でも開催[68])。

2019年秋、漫画家としては、横山隆一、水木しげる、ちばてつやに続いて4人目、女性漫画家では初となる文化功労者に選出される[8][9]

2021年、12万字書き下ろしの出会いと別れの“大泉時代”を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録『一度きりの大泉の話』(<#エッセイ集>を参照)を出版[注 27]2019年から断続的に連載されてきた『ポーの一族』シリーズ最長作品「秘密の花園」が完結。

2022年アイズナー賞で優れた功績を残している漫画家を選出する「コミックの殿堂」に、日本の漫画家では2018年の高橋留美子以来の殿堂入りを果たす[71]。同年秋に旭日中綬章を受章[11][12][13]

2023年4月、筋力がいるペンの使用を止め、デジタル作業でiPadCLIP STUDIO PAINT(クリップスタジオペイント)で人物などを描き、原稿用紙に印刷してアナログ作業でサインペン、修正液、スクリーントーンで仕上げて漫画原稿にしている[72][注 28]

2024年1月、フランスのアングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞を受賞する[74]。同年2月、日本芸術院会員に選出される[75]。マンガ分野では3人目の選出となる[76]

埼玉県在住。血液型はO型[77]

映画監督押井守のファンで、1番好きな作品に『天使のたまご』を挙げている[78]

一度見た絵を1か月間は細部まで暗記する能力がある[79]

「漫画の神様」と呼ばれた手塚治虫にあやかり、「少女漫画の神様」とも称えられる。

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萩尾から影響を受けたと語る人物を記す。

  1. ^ 家族インタビュー「両親・姉妹が語る 萩尾望都の素顔」より[19]

  2. ^ インタビューで萩尾の父親は、『浜辺の歌』の2番の歌詞「ゆうべ浜辺を、もとおれば」という部分から「もと」を気に入っており、また福岡出身の女流歌人・野村望東尼の名前から「もと」と考えたと語っている[18]。母親は、「おもとさん」「もとおばさん」と呼ばれる自分の叔母の名にあやかったのだと、またフランス映画『望郷』の「望」と、活発な性格になって欲しいと考えて「都を望む」と大きな意味を持つように「都」を選んだと語っている[注 1]。萩尾自身は姉・妹・弟が音楽にちなんだ名前であることから、モーツァルトの「モ」と「ト」を合わせたという説が本当かもしれないとの推測を述べている[20]

  3. ^ 萩尾望都作品集〔第1期〕第16巻『とってもしあわせモトちゃん』の巻末エッセイ「娘のこと」(赤いカバーの旧版にのみ収載)の中で、作者の父親・萩尾浩は「なかでも『青い鳥』や『不思議の国のアリス』などのような、空想と夢の物語が好きなようであった」と記している。

  4. ^ a b 『銀の船と青い海』(河出書房新社 2010年)所収の「中学生」に、「私は九州福岡県の大牟田市は船津中学に通ってました」と記されている。

  5. ^ 吹田市立第一中学校に転入した[25]

  6. ^ 1976年時点では、「読後、感動のあまり、1週間ほど呆けていました。そこで、おのればっか呆けさせられていては、割にあわないと思い、それまで、お遊びで描いていましたが、そのときから、プロになる決意をしました。」と記している[27]

  7. ^ユリイカ』1981年7月臨時増刊号での吉本隆明との対談では、1ページ半にわたって『新選組』について語られている[28]

  8. ^ 月刊『imago』1995年4月号での巖谷國士との対談では、冒頭から6ページにわたって『新選組』を中心に(途中で話がいろいろな方向にそれながらも)語られている[29]

  9. ^ 1作目は『週刊マーガレット』、2作目は『週刊少女フレンド』とある。

  10. ^ 白泉社小長井信昌(当時『別冊マーガレット』編集長であった)によると、不採用ということではなく「もっと仕上げてくるのかと思った」とのこと[37]

  11. ^ 当初のタイトルは『すてきなケーキ』であったが、インパクトが弱いという理由で編集部に『ルルとミミ』という主人公名のタイトルに替えられた[40]

  12. ^ 『萩尾望都の世界 テレビランド増刊 イラストアルバム(6)』(徳間書店 1978年)のインタビューでは、「子どもっていうのはすぐおとなになっちゃうでしょう。つまらないなあ、と思って。年をとらないこと、つまりおばけとか吸血鬼とか、死んでしまった人の怨念とかいろいろ考えているうちに吸血鬼がでてきたのね。」と語っている。

  13. ^ 『毎日グラフ』1986年10月26日号「COMIC界の“超少女”たち〔女性マンガ家インタビュー〕」では、『きりとばらとほしと』は小学校のときに読んだと語られている。「石ノ森章太郎 萬画大全集 動画インタビュー 萩尾望都」では、『きりとばらとほしと』を読んだのは中学生ぐらいと語られている。『ユリイカ』1981年7月臨時増刊号での吉本隆明との対談では、『きりとばらとほしと』を読んだのは小学校6年か中学校1年と語られている[28]

  14. ^ 『トーマの心臓1』(小学館文庫・旧版 1980年)の作者あとがきに「いつだったか、ディディエ・オードパンフランス語版)主演の『悲しみの天使』という、男子寮を舞台にした友愛(?)映画を見たのですが(中略)、見ていた私は自殺した少年に同情するあまり立腹し、“恋愛の結果一方が自殺し、一方が「悪かった」と後悔して、そしておしまい、なんて、どうもその後が気になってしまう”といらだち、“じゃあ、誰かが自殺したその時点から始まる話をつくってみよう”というのでつくった話が実は『トーマの心臓』です。」と記載されている。

  15. ^ 『少女コミック』掲載作品の単行本「フラワーコミックス」で、最初に発刊されたのが『ポーの一族』第1巻である。

  16. ^grape fruit(グレープフルーツ)』(新書館)に1981年7月に掲載されたエッセイ「しなやかに、したたかに」より。エッセイ集『思い出を切りぬくとき』[47][48]に収載されている。

  17. ^この娘うります!』について、『週刊少女コミック』1976年3月28日号では「『トーマ……』の暗いイメージからぬけ出たい……そんなつもりで挑んだ連載でした」と記されている[49]

  18. ^ 「萩尾望都2万字ロングインタビュー 私のマンガ人生」より[50]

  19. ^ 家族インタビュー「両親・姉妹が語る 萩尾望都の素顔」より[51]

  20. ^ 月刊『imago』1995年4月号の巖谷國士との対談では、「まあとにかく親と決裂したので変な親子の話を描いてやろうと。『メッシュ』ですね。ここでやっと私は親と対決する話を描くハメになるんですね。なぜ対決するかというと、理解したいから。」と語られている[29]

  21. ^ 帰国後、医者からは「ふつう頭蓋骨のここを骨折すると脳みそが豆腐みたいにぐちゃぐちゃになる」と説明を受け、母親からは、同日同時刻に自転車から落ちて頭を打った話を告白され「あなたは、お母さんが頭を打ったおかげで助かったのよ」と言われる。萩尾は「不思議なことがあった。シンクロニシティかもしれない。」と回想している[53]

  22. ^ 『イグアナの娘』を読んだ母親が「ははぁ、やったなぁ。描かれちょるな。」と思ったと述べている[52]

  23. ^ 『なのはな』と『プルート夫人』について、2011年11月1日付『毎日新聞(夕刊)』に「萩尾望都さんが描く原発」の見出しで、東日本大震災福島原発事故に触発された作品を相次いで発表したという記事が掲載されている。

  24. ^ 『なのはな』と、『プルート夫人』『雨の夜 -ウラノス伯爵-』『サロメ20XX』の原発3部作について、2012年1月31日付『東京新聞』に「漫画家・萩尾望都さんの思い 原発に向き合う 手探り進むしかない」の見出しの記事が掲載されている。

  25. ^ 甲斐バンドの楽曲「立川ドライヴ」をモチーフに、震災に翻弄される3人の男女の運命を曲の歌詞とともに描いた作品。

  26. ^ 作者は『小松左京マガジン』第50巻(最終号)の座談会の中で、かなり以前に小松左京から「ぼくの作品で描いてみたいものある?」と聞かれたときに「『お召し』を描いてみたい」と言ったことがあり、東日本大震災が起こってから実際に世界が変わってしまうことがあるものだと、『お召し』がたびたび思い出された旨を語っている[57]

  27. ^ この本は、竹宮惠子が2016年に自伝『少年の名はジルベール』(小学館)を上梓して萩尾を含めた大泉時代の内容を記して以来、萩尾の元に大泉時代に関する複数の企画や問い合わせが持ち込まれたことから、自分の立場での事情を説明したいという理由で刊行された[69][70]。同書の末尾で、大泉時代に関する企画については自分はかかわる意思がないことを明言した[70]

  28. ^ デジタルで極細線は作業室の印刷では消えるので模索中。スクリーントーンは大量の在庫と、萩尾、アシスタントも技術が追い付かず、アナログである[72]。デジタルは、老眼のため豆粒大の顔のとき拡大して描くのにも使用する[73]

  29. ^ 『萩尾望都 作画のひみつ』の年譜には、1967年に「高校卒業後、福岡市の日本デザイナー学院ファッションデザイン科に入学」と記載されている[85]

  30. ^ 『萩尾望都 作画のひみつ』の年譜には、1969年に「デザイナー学院卒業から半年後、東京へ引越す」と記載されている[85]

  31. ^ 北米最大のコミックコンベンション「コミコン・インターナショナル(Comic-Con International)」が1974年に設立した、マンガ・アニメ・SFなどのポップカルチャー領域において多大な貢献をした作家に与えられる賞で、コミコンゲストの中で特に際立った業績を残した人物に贈られる。第1回受賞者はレイ・ブラッドベリ(1974年)。これまでの日本人受賞者は、手塚治虫(1980年)、高橋留美子(1994年)、池上遼一(1995年)、武内直子(1998年)、小池一夫(2006年)、宮崎駿(2009年)。

  32. ^ 受賞理由として「少女まんがの域を超えた質の高い作品群。萩尾望都さんは少女まんがの革命児です。」との選考委員会のコメントがある[90]

  33. ^ 「イケダ イクミ イン・ホッカイドー」は漫画家志望で萩尾のアシスタントをしていた池田いくみのことで、病気で地元の北海道の病院で入院していた池田を北海道旅行の折に萩尾が見舞いに訪れた際に、以前池田が何かの漫画賞に投稿して落選になった『ハワードさんの新聞広告』を萩尾が面白いと言っていたことから、池田が萩尾に「私、病気でもう漫画家を目指すのは無理だから、モーサマ描いて」と依頼し、元は20ページぐらいのところ、萩尾が絵を大きくし、シーンを増やして31ページに描き直した作品である[102]

  34. ^ 「イケダイクミ」も池田いくみのことである[103]

  35. ^ 「原発」をテーマにした作品集で、「なのはな -幻想『銀河鉄道の夜』」は「なのはな」の続編。

  36. ^ 同号のコラム「屋根の上のマンガ読み」で甲斐よしひろが、萩尾作品など影響を受けたマンガについてインタビューに答えている。

  37. ^ 「由良の門(と)」は、新古今和歌集に詠まれる曽禰好忠和歌「由良の門(と)を 渡る舟人(ふなびと) かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋(こひ)の道かな」(巻第十一 恋歌 一 01071小倉百人一首 歌番号 四十六)の歌枕で「ゆらのと」と読み、紀淡海峡の、兵庫県洲本市由良の付近のこと。

  38. ^ さまざまな作家が『寄生獣』を描くシリーズ『ネオ寄生獣』の第12弾で、田宮良子の娘・由良の成長を描く物語。

  39. ^ a b c d 『読売年鑑2005年版 別冊 分野別人名録』読売新聞東京本社,2005年3月13日発行p.389より

  40. ^萩尾望都 作品一覧”. 月刊flowers 公式サイト. 小学館. 2021年4月27日閲覧。

  41. ^ a b c d萩尾 望都(漫画家)”. マンガペディア. 2022年1月3日閲覧。

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  43. ^ a b c 文藝別冊 2010, p. 204.

  44. ^「少女漫画の神様」萩尾望都 異端者寄り添った50年”. NIKKEI STYLE. 日本経済新聞社 / 日経BP (2019年10月1日). 2022年10月11日閲覧。

  45. ^ a b c萩尾望都が紫綬褒章を受章、少女マンガ家では初”. コミックナタリー. ナターシャ (2012年4月28日). 2021年4月27日閲覧。

  46. ^ a b ゆうき(Yuuki Honda) (2019年10月29日). “文化功労者に『ポーの一族』萩尾望都、『ゼルダ』『マリオ』生んだ宮本茂ら”. KAI-YOU net. 2022年10月11日閲覧。

  47. ^ a b令和元年度 文化功労者”. 文部科学省 (2019年11月3日). 2021年4月27日閲覧。

  48. ^ “萩尾望都さん、米コミック殿堂入り 「素晴らしい贈り物」”. 時事通信. (2022年7月23日). オリジナルの2022年7月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220723131956/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022072300502&g=soc 2022年7月23日閲覧。

  49. ^ a b c “秋の叙勲 4118人が受章 コシノジュンコさん、萩尾望都さんら”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2022年11月3日). https://www.asahi.com/articles/ASQC265S9QBWUTFK01B.html 2022年11月3日閲覧。

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第27回日本SF大賞
1980年代 第1回 「太陽風交点」(堀晃) 第2回 「吉里吉里人」(井上ひさし) 第3回 最後の敵山田正紀) 第4回 「童夢」(大友克洋) 第5回 「幻詩狩り」(川又千秋) 第6回 「首都消失」(小松左京) 第7回 「笑い宇宙の旅芸人」(かんべむさし) 第8回 「帝都物語」(荒俣宏) 第9回 「快男児・押川春浪」(横田順彌會津信吾)/「岬一郎の抵抗」(半村良) 第10回 「上弦の月を喰べる獅子」(夢枕獏
1990年代 第11回 「アド・バード」(椎名誠) 第12回 「サラマンダー殲滅」(梶尾真治) 第13回 「朝のガスパール」(筒井康隆) 第14回 「ヴィーナス・シティ」(柾悟郎) 第15回 「女性状無意識」(小谷真理)/「戦争を演じた神々たち」(大原まり子) 第16回 「言壷」(神林長平) 第17回 「ガメラ2」(金子修介) 第18回 「蒲生邸事件」(宮部みゆき)/「新世紀エヴァンゲリオン」(庵野秀明) 第19回 「BRAIN VALLEY」(瀬名秀明) 第20回 「チグリスとユーフラテス」(新井素子
2000年代 第21回 「日本SF論争史」(巽孝之編) 第22回 「かめくん」(北野勇作) 第23回 「アラビアの夜の種族」(古川日出男)/「傀儡后」(牧野修) 第24回 「マルドゥック・スクランブル」(冲方丁) 第25回 「イノセンス」(押井守) 第26回 「象られた力」(飛浩隆) 第27回 「バルバラ異界」(萩尾望都) 第28回 「星新一 一〇〇一話をつくった人」(最相葉月) 第29回 「新世界より」(貴志祐介)/「電脳コイル」(磯光雄) 第30回 「ハーモニー」(伊藤計劃
2010年代 第31回 「日本SF精神史」(長山靖生)/「ペンギン・ハイウェイ」(森見登美彦) 第32回 「華竜の宮」(上田早夕里) 第33回 「機龍警察 自爆条項」(月村了衛)/「盤上の夜」(宮内悠介) 第34回 「皆勤の徒」(酉島伝法) 第35回 「オービタル・クラウド」(藤井太洋)/「My Humanity」(長谷敏司) 第36回 「コロンビア・ゼロ 新・航空宇宙軍史」(谷甲州)/「突変」(森岡浩之) 第37回 「WOMBS(ウームズ)」(白井弓子) 第38回 「ゲームの王国」(小川哲)/「自生の夢」(飛浩隆) 第39回 「飛ぶ孔雀」(山尾悠子)/「文字渦」(円城塔) 第40回 「天冥の標」(小川一水)/「宿借りの星」(酉島伝法
2020年代 第41回 「歓喜の歌 博物館惑星III」(菅浩江)/「星系出雲の兵站」(林譲治) 第42回 「大奥」(よしながふみ) 第43回 「SFする思考 荒巻義雄評論集成」(荒巻義雄)/「残月記」(小田雅久仁) 第44回 「プロトコル・オブ・ヒューマニティ」(長谷敏司