西村眞悟 (original) (raw)
日本の政治家西村 眞悟にしむら しんご | |
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生年月日 | (1948-07-07) 1948年7月7日(76歳) |
出生地 | 日本 大阪府堺市 |
出身校 | 京都大学法学部 |
前職 | 神戸市職員弁護士衆議院議員 |
所属政党 | (連合の会→)(民社党→)(新進党→)(自由党→)(民主党→)(無所属→)(改革クラブ→)(無所属→)(たちあがれ日本→)(太陽の党→)(日本維新の会→)(無所属→)(太陽の党→)(次世代の党→)(日本のこころを大切にする党→)(日本のこころ→)祖国再生同盟 |
称号 | 法学士旭日重光章 |
親族 | 実父・西村栄一(元衆議院議員)義父・岡澤完治(元衆議院議員)従兄弟・西村章三(元衆議院議員)次男・西村日加留(元大阪府議会議員) |
衆議院議員 | |
選挙区 | (旧大阪5区→)(大阪17区→)(比例近畿ブロック→)(大阪17区→)比例近畿ブロック |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1993年7月19日 - 2009年7月21日2012年12月21日 - 2014年11月21日 |
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西村 眞悟(にしむら しんご、1948年(昭和23年)7月7日 ‐ )は、日本の政治家、元弁護士。政治団体「祖国再生同盟」特別顧問。
衆議院議員(6期)、防衛政務次官(小渕第2次改造内閣)、衆議院懲罰委員長、衆議院災害対策特別委員長、衆議院海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長、民社党中央執行委員・国際局長、自由党組織委員長・内閣部会長・代議士会会長・大阪府連会長、太陽の党代表などを歴任した。氏名表記は一般に新字体の「真悟」が用いられている。
実父は元衆議院議員西村栄一(民社党第二代委員長)。従兄弟は元衆議院議員西村章三。岳父は元衆議院議員岡澤完治。実子に元大阪府議会議員の西村日加留。
来歴・人物
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生い立ち
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1948年(昭和23年)7月7日、西村栄一の四男として大阪府堺市に生まれた。母・秀子は音楽家・東儀哲三郎の二女。一家は、堺市上野芝向ヶ丘町という丘の上の田舎の住宅街に住んでいた[1]。西村が生まれたときには、家に長兄夫婦、姉、章三(のち衆議院議員)、勇三がいた[2]。章三は、戦前戦後の混乱期に母子家庭となっていた生家から栄一のもとに来た[1]。
学生時代
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大阪学芸大学付属天王寺中学校(現:大阪教育大学附属天王寺中学校)、大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎を経て一浪後京都大学法学部に入学[注 1]。
大学には8年在学した。22歳の時、父・栄一が死去[3]。西村によると「なにしろ、父親が亡くなったうえは、奮起して生活路線を築くというのが大学卒業を控えた息子の通常の姿ではないか。しかし、僕はその反対をころがりはじめた。大学は卒業するどころか、八年も在学してしまった。裏表といえば聞こえはいいが、僕の場合は裏裏だった。八年で大学を放り出されるのが判っていても、将来の進路が定まらない。それでおふくろは、あるとき、突然僕にこう言った“明日、職安へいけ”と…」[4]。
1976年(昭和51年)京都大学法学部卒業。
神戸市役所時代
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国と地方の公務員試験を数個受け合格したが、日本から独立してもやっていけそうな神戸市に就職した[5]。神戸市には3年勤めて退職した[5]。神戸市を退職したときの夕食後の家での会話は「ご飯を食べている最中に言えば食い物が喉に通らないので、食べ終わったから言うが、俺は今日神戸を退職してきた。明日からは給料はない」だった[5]。
弁護士として
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1982年(昭和57年)34歳で司法試験に合格した[5]。一年前に結婚して既に子もあった[5]。37期司法修習生となる(同期に稲田朋美がいる)。1985年(昭和60年)、弁護士登録。
弁護士になって四年後、数か月イギリスで暮らしたくなり、その間の生活費を稼いで家にいれ、1987年(昭和62年)12月に日本をあとにした[5]。ロンドンとケンブリッジの中間のサフロン・ウオルデン(英語版)という小さな田舎町に下宿して勉強をしている時、母に「俺は、政治家になり、偉大になる。」と手紙を書いた[5]。母からの手紙には「私は、幸せだ。」と書いてあった[5]。
この後政界入りするまでに連合大阪顧問弁護士を経験する。「西村眞悟弁護士法違反事件」も参照。
政治家として
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1992年(平成4年)7月、第16回参議院議員通常選挙の大阪府選挙区に連合の会公認、社会党・民社党・社民連推薦で出馬し、落選。
1993年(平成5年)7月、第40回衆議院議員総選挙の旧大阪5区に民社党公認・新生党推薦で出馬し初当選。
1994年(平成6年)12月、民社党解党。新進党結成に参加。同党初代党首選では民社党委員長・米沢隆の推薦人となるも、米沢は落選。
1996年(平成8年)10月、第41回衆議院議員総選挙の大阪17区に新進党公認で出馬し当選(2期目)。
1997年(平成9年)12月、新進党解党。翌1998年(平成10年)1月、小沢一郎を党首とする自由党結成に参加。
1999年(平成11年)10月5日、小渕内閣第2次改造内閣の防衛政務次官に就任(同月20日辞任)。
2000年(平成12年)6月、第42回衆議院議員総選挙の大阪17区に自由党公認で出馬し小選挙区では敗れるも比例近畿ブロックで復活当選(3期目)。
2003年(平成15年)9月、自由党解党。民由合併で民主党に合流。同年11月、第43回衆議院議員総選挙の大阪17区に民主党公認で出馬し当選(4期目)。
2005年(平成17年)9月、第44回衆議院議員総選挙の大阪17区に民主党公認で出馬し小選挙区では敗れるも比例復活で当選(5期目)。11月28日、弁護士法違反で逮捕される。
→「西村眞悟弁護士法違反事件」も参照
民主党に離党届を提出したが、党の臨時役員会は受理せずに除籍処分とした上で、西村への議員辞職勧告を決定した[6]。11月29日、民主党が除籍処分を常任幹事会で決定。
西村は「(北朝鮮による)拉致被害者救出のために議席を維持しなければならない」として、議員辞職を拒否した[7]が、翌2006年(平成18年)3月18日、衆議院本会議で辞職勧告決議を受ける。
2007年(平成19年)9月25日、大阪地裁に於いて、弁護士法違反(弁護士の名義貸し)として懲役2年・執行猶予5年の判決。組織的犯罪処罰法(犯罪収益収受)に関しては無罪。検察側、弁護側ともに控訴しなかったため確定し、同法第7条(欠格事項)に基づき資格剥奪。
2008年(平成20年)9月24日、改革クラブへ参加し、同クラブの衆議院代表に就任。西村の参加により改革クラブは所属議員が衆参合わせて5名となり、政党助成法に基づく政党要件を満たした。内閣総理大臣指名選挙では他の改革クラブ国会議員と同じ麻生太郎ではなく平沼赳夫を支持した(前年は民主党代表の小沢一郎を支持、前々年は自由民主党総裁の安倍晋三を支持)。
2009年(平成21年)8月、第45回衆議院議員総選挙の大阪17区に改革クラブ公認で出馬するが、小選挙区・比例区ともに落選。
2010年(平成22年)7月9日、HPにて「たちあがれ日本の運動員」という言葉を使い、たちあがれ日本に参加したことを明かした。後にたちあがれ日本に入党、同党の大阪17区支部長となる。
2012年(平成24年)たちばな出版の「伝統と革新」に3月発売の第7号から毎号、論評を寄せる。9月、弁護士法違反事件の執行猶予が満了。12月17日、第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会公認で比例近畿ブロック単独候補として出馬し、当選。衆議院議員として政界に返り咲く[8]。
2013年(平成25年)5月17日、維新の会の会合において「日本には韓国人の売春婦がうようよいる。反撃に転じた方がよい。」、「大阪の繁華街で『おまえ、韓国人慰安婦やろ』と言ってやったらいい。」[9]などと発言したことに関して、その場にいた党員から問題視されて撤回を要求されたため、その場で発言を撤回した上、同日中に維新の会へ離党届を提出した。なお、維新の会の幹事長である松井一郎(大阪府知事)は除籍する方針を示し、議員辞職も求めると述べた[10]。同年5月18日、党から除名された[11]。
2014年(平成26年)11月26日、次世代の党は、太陽の党代表の西村を第47回衆議院議員総選挙大阪16区の公認候補として擁立すると発表し、西村は太陽の党を離党した[12]。12月14日に実施された総選挙において、小選挙区で公明党の北側一雄に敗れ、比例復活もならず落選[13]。
2016年(平成28年)3月12日、日本のこころを大切にする党(次世代の党から改称)は、西村を第24回参議院議員通常選挙全国比例区の公認候補として擁立した[14]が、落選[15]。
2017年9月20日、翌月投開票が行われる第48回衆議院議員総選挙に対し、安倍政権への支持を表明した上で、与党候補との競合を避けるためとして出馬しない意向を表明した[16]。
活動・主張
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消費税
拉致問題
- 「国民が拉致されるまま放置している国家が日本であるとするならば、それは、もはや日本ではないわけです。」「核の問題と拉致被害者救出と、どちらが優先するかと彼(アメリカ政府の高官)は私に聞いてきた。私は、決まっているじゃないか、拉致被害者救出だ、これに命をかける国家でなくしてどうして存続が確保できるのか、こう答えたときに、彼はそのとおりだと言った。」と答弁した[20]。
- 1997年(平成9年)2月3日 - 衆議院予算委員会において、初めて横田めぐみ拉致事案を取り上げ、また田口八重子・地村保志・濱本富貴惠・蓮池薫・奥土祐木子・市川修一・増元るみ子などの実名も挙げ、彼らが北朝鮮に拉致されていると明確に指摘した質疑を行い、内閣総理大臣の橋本龍太郎や外務大臣の池田行彦に政府の見解を質した。同月、中山正暉が会長となり設立された「北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟(旧拉致議連、解散済)」の事務局長代理に就任。2002年(平成14年)4月 - 旧拉致議連の解散に伴って改めて立ち上げられた「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(新拉致議連)」の幹事長に就任[21]。
2010年2月2日、頑張れ日本!全国行動委員会結成大会における西村。登壇者(田母神俊雄「頑張れ日本!全国行動委員会」代表)の右隣[22]。
尖閣諸島
- 1997年(平成9年)5月6日 - 尖閣諸島の魚釣島に石垣市議会議員の仲間均、フリーカメラマンの宮嶋茂樹、映像教育研究会の稲川和男の三人と視察を行った。国会議員の上陸はこれが初めてのことであった[23]。
その他
- 1999年(平成11年)防衛政務次官在任中に週刊プレイボーイ誌上での大川豊との対談で「強姦してもなんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるやん。けど、罰の抑止力があるからそうならない。」「日本も核武装したらええ。」「集団的自衛権は強姦される女を守るようなもん。」「反対派の女性議員(記事では実名)にお前が強姦されても助けてやらんぞと言った。」等と発言したことで政務次官辞任に追い込まれた。同発言に対しては野党だけでなく自民党内からも批判があった。(詳細は大川豊も参照。)なお辞任記者会見では核武装の部分に関しては撤回せず「問題提起すら許されないのか。」等と発言し物議をかもした。なお西村はその後も「日本も先軍政治で行くべき。」等国防問題に関してタカ派的な発言を繰り返した。
- 2004年(平成16年)2月25日 - 議員連盟「教育基本法改正促進委員会」設立総会のあいさつで「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子ども達に教える。これに尽きる」と発言した[24]。
- 2007年(平成19年)6月 - アメリカ合衆国下院121号決議に対する抗議広告「THE FACTS」賛同者に国会議員として名を連ねる。
- 2008年(平成20年)11月1日 - 自身のブログで田母神俊雄の主張に対し「当たり前のことを述べておられる。同感である」と賛同した[25]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に反対しており[26]、「日本という国民国家を解体する左翼の運動」であると主張している[27]。
- 軍隊や天皇大権の保持を主張している[28]。
- 婚外子の相続における差別の撤廃に反対[29]。なお、最高裁判所は、2013年(平成25年)9月4日に相続において婚外子を差別する民法の規定が違憲であるとの判断を下している[30]。
- 相続税を「国民が一生かけて残した財産を、「お上」がどういう理由か取り上げることを前提にした極めて不合理なもの」「税金は生きている時に働いて払っている」「子供達が親の財産をもらってはならないという思想が根拠ならば、これは既に私有財産を否定した共産主義国家」と批判し廃止すべきだと主張している[31]。
エピソード
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北朝鮮による日本人拉致問題への取り組みとして、「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」の幹事長を務めた。
第170回国会で提出された「パチンコ店における出玉の換金行為を取り締まり、完全に違法化することに関する請願」の紹介議員である[32]。
2014年(平成26年)の第186回国会において、大臣、副大臣、政務官、補佐官、議長、副議長、委員長のいずれの要職にもついていなかったのみならず、質問、議員立法、質問主意書提出のいずれもなかったことが指摘された[34]。
いわゆる保守政治家であるが、自由民主党に所属したことが一度もない。なお、次男の西村日加留(元大阪府議会議員)は自民党所属である[35]。
発言
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2013年2月、竹島関連の集会に出席し、たとえ「戦争をしてでも」島の主権を奪還すべきだと演説したことがある。
2013年(平成25年)5月17日の党代議士会で、「日本には韓国人の売春婦がうようよいる。大阪の繁華街で韓国人に『おまえ、慰安婦やろ』と言ってやったらいい」「外電では橋下氏の報道が捏造され始めている。慰安婦がセックススレイブと転換されている。これが広がれば反日暴動、謀略が成功しかねない。反撃に転じた方が良い」と発言[36]、直後に取り消し謝罪した[37]。ただし、維新の会の幹事長である松井一郎が議員辞職を求めたことに関しては、「私は、断じて議員を辞職しない。いや、辞職してはならないのだ」、「私は、祖国日本に対する愛と忠誠の故に、断じて議員辞職できない。千万人が来ても、辞職しない。」と述べている[38]。
所属団体・議員連盟
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- 日本会議国会議員懇談会
- 人権擁護法案から人権を守る会
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
- 日本の領土を守るため行動する議員連盟
- 朝日新聞を糺す国会議員の会
- 公益財団法人日本国際フォーラム(政策委員[39])
家族・親族
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西村家
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- 1909年(明治42年)1月生 - 2002年(平成14年)12月没。洗礼名マリア。
- 東儀家は、宮中の雅楽を伝える家であった[40]。大陸からの渡来人・秦氏の末裔という。秀子は東京神田三崎町に生まれた。秀子の父哲三郎は洋楽のヴァイオリンを専攻し東京音楽学校でヴァイオリンを教えていた[40]。秀子もピアニストを目指した[40]。父親の哲三郎のヴァイオリンと二女秀子のピアノでベートーヴェンのクロイツェルソナタを演奏できた[40]。秀子は評論家の俵孝太郎の妹のピアノの家庭教師をしたことがあったが、俵はその著書で「東儀秀子さんは、その当時和服やモンペだけの時代に洋服姿で颯爽と現れた」と書いている[41]
兄・勇三(画家)
妻(弁護士、税理士、政治家岡沢完治の娘)
2男1女
- 長男の林太郎は2008年(平成20年)1月9日、衆議院新赤坂宿舎20階の西村の部屋から転落死。この件に関して、西村は旧知の記者を通じて「強いうつ病の症状があり、前日に慶應義塾大学病院の医師の診察を受けており、当日も同病院まで連れて行く予定があった」との手記を発表した[44]。学習院大学法学部を卒業し、大阪府堺市内の自宅で弁護士を目指して司法試験の勉強をしていたが、2度失敗。司法浪人生活をやめ、都内の出版社で働き始め、上京したばかりだった[45]。
- 次男の日加留(ひかる)は自衛官を経て2017年9月の大阪府議補選(堺市堺区選挙区)に自民党公認・日本のこころ推薦で出馬したが落選。2019年4月の大阪府議会議員選挙(堺市堺区選挙区)に自民党公認で出馬し初当選[46][47]。2023年4月の大阪府議会議員選挙で落選。
従兄・西村章三(政治家)
→「西村章三」を参照
略系図
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西村久太郎 | |||
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西村栄太郎 | 東儀哲三郎 | ||
〇 | 西村栄一 | 秀子 | 岡澤完治 |
西村章三 | 西村眞悟 | 妻 |
選挙歴
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当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位/候補者数 | 政党内比例順位/政党当選者数 |
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落 | 第16回参議院議員通常選挙 | 1992年07月26日 | 44 | 大阪府選挙区 | 連合の会 | 36万4430票 | 11.45% | 3 | 5/30 | / |
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年07月18日 | 45 | 旧大阪5区 | 民社党 | 10万6203票 | 14.26% | 5 | 4/7 | / |
当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 48 | 大阪17区 | 新進党 | 7万2359票 | 42.69% | 1 | 1/4 | / |
比当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年06月25日 | 51 | 比例近畿(大阪17区) | 自由党 | 2万8345票 | 15.95% | 30 | 4/6 | 1/3 |
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月09日 | 55 | 大阪17区 | 民主党 | 6万9861票 | 40.31% | 1 | 1/4 | / |
比当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年09月11日 | 57 | 比例近畿(大阪17区) | 民主党 | 8万9279票 | 42.56% | 29 | 2/3 | 1/9 |
落 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年08月30日 | 61 | 大阪17区 | 改革クラブ | 3万6650票 | 17.05% | 1 | 3/4 | / |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 64 | 比例近畿 | 日本維新の会 | 29 | / | 2/10 | ||
落 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 66 | 大阪16区 | 次世代の党 | 2万6567票 | 17.21% | 1 | 3/4 | / |
落 | 第24回参議院議員通常選挙 | 2016年07月10日 | 68 | 比例区 | 日本のこころを大切にする党 | 4万2296票 | 48 | / | / |
文献
[編集]
著書
[編集]
- 『亡国か再生か―自虐50年の戦後日本から脱却する』展転社、1995年12月。ISBN 978-4886561176。
- 『誰か祖国を思わざる―政治家の使命とは何か』展転社、1995年12月。ISBN 978-4877120559。
- 『海洋アジアの日出づる国』展転社、2000年1月。ISBN 978-4886561756。
- 『誰が国を滅ぼすのか―靖国、憲法、謝罪外交』徳間書店、2001年9月。ISBN 978-4198614171。
- 『闘いはまだ続いている』展転社、2003年6月。ISBN 978-4886562302。
- 『眞吾の憂国』高木書房、2005年4月。ISBN 978-4884710682。
- 『中国の恫喝に屈しない国』WAC、2010年12月23日。ISBN 978-4898316368。
- 『支那討つべし 西村眞悟が「歴史に学ぶ」』K&Kプレス、2014年1月24日。ISBN 978-4906674558。
共著
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- 『この日本をどうする : 再生のための10の対話』著、西村眞悟他述、文藝春秋、2001年3月、ISBN 978-4163572406
- 『国益会議 : 「アメリカ一極支配時代」を日本はいかに生き抜くか』日下公人他著、PHP研究所、2003年7月、ISBN 978-4569629230
脚注
[編集]
[脚注の使い方]
注釈
[編集]
出典
[編集]
- ^ a b 西村眞悟ホームページ─《僕の生い立ち 〜 生まれたとき 〜》
- ^ 西村眞悟著『眞悟の憂国』229頁
- ^ 西村眞悟著『眞悟の憂国』240頁
- ^ 西村眞悟著『眞悟の憂国』241頁
- ^ a b c d e f g h 西村眞悟ホームページ─《僕の生い立ち 〜 疾風怒濤前夜 6 〜》
- ^ “西村議員に辞職勧告 民主、除籍処分を決定”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年11月28日). https://web.archive.org/web/20130429145634/http://www.47news.jp/CN/200511/CN2005112801001972.html 2012年11月21日閲覧。
- ^ “拉致解決のため辞職せず 弁護士法違反の西村議員”. 共同通信社. 47NEWS. (2006年1月17日). https://web.archive.org/web/20130429130620/http://www.47news.jp/CN/200601/CN2006011701004825.html 2012年11月21日閲覧。
- ^ 西村眞悟氏あいさつ「これから日本のために」 維新で返り咲き(産経新聞2012年12月17日11:42配信(配信日に閲覧))[_リンク切れ_]
- ^ TBS(2013年5月17日)「「韓国人売春婦ウヨウヨいる」、維新・西村議員が離党届提出」[_リンク切れ_]
- ^ 維新、西村衆院議員を除名へ 「売春婦」発言、辞職要求 共同通信2013年5月17日
- ^ “売春婦発言の西村氏を除名 日本維新、議員辞職促す”. 共同通信社. 47NEWS. (2013年5月20日). https://web.archive.org/web/20130607202506/http://www.47news.jp/CN/201305/CN2013052001001754.html 2013年12月16日閲覧。
- ^ 太陽の党の西村代表、次世代の党公認で出馬 産経ニュース 2014年11月26日
- ^ 大阪 - 開票速報 - 2014衆院選:朝日新聞デジタル
- ^ 戦いの場は、参議院全国比例区! 西村眞悟の時事通信 2016年3月15日
- ^ 日本放送協会. “比例代表 日本のこころを大切にする党 -参院選- NHK”. www.nhk.or.jp. 2023年5月5日閲覧。
- ^ 【衆院解散】西村真悟氏不出馬表明「悪夢のような民主党政権を繰り返させてはならない」 産経新聞2017年09月21日
- ^ “秋の叙勲:受章者(その1)”. 毎日新聞. (2018年11月3日). https://mainichi.jp/articles/20181103/ddm/010/040/023000c 2018年11月5日閲覧。
- ^ 平成22年6月21日 「前提なき消費税上げは、本質隠し」
- ^ 『WiLL』 2013年4月号「アルジェリア事件、殺された企業戦士10人への鎮魂歌」
- ^ 「第183回国会 予算委員会 第23号」 平成25年4月16日(火曜日)
- ^ 救う会 全国協議会HP 第4部 拉致問題の解決策 4-8
- ^ 日本文化チャンネル桜 2.2 「頑張れ日本!全国行動委員会」結成大会& 日本解体阻止!外国人地方参政権阻止!全国総決起集会
- ^ “民主・自民の衆院議員、尖閣諸島海域を視察”. 読売新聞. (2012年1月21日). http://www.asahi.com/special/senkaku/TKY201201210369.html 2012年1月21日閲覧。
- ^ 「お国のために命投げ出す人を」民主・西村議員 軍国主義教育を美化 しんぶん赤旗2004年2月27日
- ^ 「強い国」とは歴史の真実を堂々と明言できる国・さらば村山富市 眞悟の時事通信
- ^ 選択夫婦別姓アンケート、mネット、2014年
- ^ 自身のブログ
- ^ 「主権の回復」とは何か 眞悟の時事通信
- ^ 衆議院法務委員会2013年11月20日
- ^ 「婚外子相続差別は違憲 最高裁大法廷」日本経済新聞 2013年9月4日
- ^ 政策―税制と社会のあり方 西村公式サイト
- ^ 第170回国会 15 パチンコ店における出玉の換金行為を取り締まり、完全に違法化することに関する請願
- ^ 九月を終えて、情に目覚める秋
- ^ 「国会議員三ツ星データブック」、186国会版 国会議員三ツ星データブック、特定非営利法人「万年野党」著。ISBN 978-4905239239
- ^ 西村 日加留 | 自民党 大阪府支部連合会 2020年6月1日閲覧。
- ^ 眞悟の時事通信平成25年5月17日
- ^ 「大阪の韓国人に慰安婦と言え」=維新・西村氏が発言、直後に撤回 時事通信2013年5月17日
- ^ 眞悟の時事通信平成25年5月20日
- 士は己を知る者の為に死す(ブログ)
- 士は己を知る者の為に死す(メールマガジン)
- ^ “委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
- ^ a b c d e 西村眞悟著『眞悟の憂国』244頁
- ^ 母のこと 眞悟の時事通信
- ^ 西村勇三 口と足で描く芸術家協会
- ^ 西村勇三の帰天・・・果たし尽くした生涯 眞悟の時事通信
- ^ オフイス・マツナガによる手記公開
- ^ 西村議員の長男 議員宿舎から転落死 スポーツニッポン2008年1月10日
- ^ “西村眞悟元衆院議員の次男の公認決定 大阪府議補選で自民府連”. 産経新聞. (2017年8月27日). https://www.sankei.com/article/20170827-3K5EBJTUSJNIFCCYD67RIYUPT4/ 2018年11月5日閲覧。
- ^ “大阪府議補選は維新・中川氏が当選”. 産経新聞. (2017年9月25日). https://www.sankei.com/article/20170925-5PDPTKU5PZLCJKX56YLYMTZY2Y/ 2018年11月5日閲覧。
関連項目
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- 西村眞悟弁護士法違反事件
- 東儀家 - 母方の家系である。
- 極右
- タカ派
外部リンク
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* 日本のこころを大切にする党 西村眞悟 | 西村眞悟事務所(放置されスパムサイト化)
- 西村真悟 (@tokyooffice3) - X(旧Twitter)
- 西村真悟 (shingo.nishimura.94) - Facebook
- 西村眞悟 - Ameba Blog(2013年1月 - 2014年12月)
- 東京西村塾BLOG(東京西村塾の公式ブログ 更新終了)
真悟の会・堺
議会 | ||
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先代山田宏 | **衆議院海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長**2012年 - 2013年 | 次代赤松広隆 |
先代堀込征雄 | **衆議院災害対策特別委員長**2004年 - 2005年 | 次代大野松茂 |
先代池端清一 | **衆議院懲罰委員長**2000年 | 次代菅原喜重郎 |
表話編歴 衆議院海賊対処・テロ防止特別委員長 (2012年-2013年) |
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新設 深谷隆司 石田勝之 松原仁 首藤信彦 赤松広隆 西村眞悟 山田宏 谷畑孝 |
表話編歴 衆議院懲罰委員長 (2000年) | |
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帝国議会 | 創設 小林雄七郎 山田泰造 立川雲平 西川義延 高梨哲四郎 山田泰造 西田忠之 小松三省 高橋安爾 鈴木充美 菊池九郎 稲垣示 多田作兵衛 磯田和蔵 西原清東 海野謙次郎 奥繁三郎 村松愛蔵 磯部四郎 鹿島秀麿 花井卓蔵 江間俊一 戸水寛人 岡田泰蔵 板倉中 阿部徳三郎 岩崎総十郎 横田千之助 清水市太郎 森田茂 安東敏之 森田茂 小山温 戸水寛人 中西六三郎 則元由庸 鳩山一郎 島田俊雄 加藤重三郎 岩崎幸治郎 北井波治目 野副重一 横山金太郎 斎藤隆夫 武藤嘉門 岩崎幸治郎 武富済 横山勝太郎 宮古啓三郎 岡田忠彦 川口義久 土屋清三郎 戸沢民十郎 藤田若水 津崎尚武 板野友造 浜田国松 岩崎幸治郎 熊谷直太 磯部尚 牧野賤男 岩崎幸治郎 浜野徹太郎 戸沢民十郎 山本芳治 岡本実太郎 高見之通 一松定吉 松木弘 中井一夫 岡本実太郎 猪野毛利栄 山崎達之輔 清瀬一郎 津崎尚武 松永東 田子一民 牛塚虎太郎 一宮房治郎 寺田市正 西方利馬 一松定吉 谷原公 山崎猛 本田英作 高橋泰雄 |
国会 | 創設 大原博夫 森三樹二 明禮輝三郎 松木弘 山本猛夫 森幸太郎 土倉宗明 眞鍋勝 南條徳男 森幸太郎 赤城宗徳 北昤吉 長井源 大森玉木 宇都宮徳馬 山口好一 高瀬傳 武知勇記 中村寅太 大村清一 大森玉木 濱地文平 内海安吉 山本勝市 鍛冶良作 綱島正興 堀川恭平 岡本茂 篠田弘作 菊池義郎 篠田弘作 早稲田柳右衛門 村上勇 島村一郎 宇田国栄 小平忠 中村正雄 曽祢益 林百郎 赤城宗徳 中野四郎 天野光晴 春日一幸 稲富稜人 佐々木良作 天野公義 渡辺栄一 林大幹 松野幸泰 小宮山重四郎 大出俊 原田憲 奥田敬和 左藤恵 小沢辰男 神田厚 山花貞夫 池端清一 西村眞悟 菅原喜重郎 塩田晋 鈴木淑夫 米沢隆 佐藤謙一郎 伊藤忠治 岩國哲人 横光克彦 池田元久 野田佳彦 河村建夫 山本有二 山本拓 近藤昭一 高木義明 大畠章宏 中川正春 大島敦 中山成彬 篠原孝 平野博文 福田昭夫 山井和則 安住淳 大串博志 中川正春 菊田真紀子 |
表話編歴 衆議院災害対策特別委員長 |
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新設 浜地文平 稲葉修 薩摩雄次 中山栄一 楯兼次郎 日野吉夫 廃止 新設 田原春次 芳賀貢 川村継義 辻原弘市 中井徳次郎 高田富之 大原亨 阪上安太郎 金丸徳重 兒玉末男 湯山勇 川崎寛治 米田東吾 藤田高敏 木島喜兵衛 川俣健二郎 上原康助 佐藤観樹 中村茂 馬場昇 伊藤宗一郎 森下元晴 唐沢俊二郎 大石千八 稲垣実男 三ッ林弥太郎 高村正彦 清水勇 森井忠良 池端清一 日野市朗 左近正男 川端達夫 塩田晋 西村章三 中村鋭一 中山成彬 赤羽一嘉 田並胤明 米沢隆 堀込征雄 西村真悟 大野松茂 木村義雄 鈴木恒夫 林田彪 五十嵐文彦 吉田治 村井宗明 馬淵澄夫 荒井聰 坂本剛二 梶山弘志 野田聖子 秋葉賢也 望月義夫 山本幸三 金子恭之 小里泰弘 江藤拓 御法川信英 後藤茂之 |
表話編歴 旧大阪5区選出衆議院議員(1947年 - 1993年) | |
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定数3 | 第23回 小西寅松 西村栄一 平島良一 第24回 小西寅松 平島良一 西村栄一 第25回 小西寅松 西村栄一 松田竹千代 第26回 西村栄一 小西寅松 松田竹千代 第27回 松田竹千代 小西寅松 西村栄一 第28回 小西寅松 西村栄一 松田竹千代 第29回 肥田次郎 西村栄一 岸本義広 第30回 松田竹千代 西村栄一 肥田次郎 |
定数4 | 第31回 木野晴夫 西村栄一 正木良明 松田竹千代 第32回 西村栄一 正木良明 松田竹千代 木野晴夫 第33回 荒木宏 和田貞夫 正木良明 木野晴夫 第34回 木野晴夫 西村章三 正木良明 荒木宏 第35回 正木良明 藤田スミ 木野晴夫 西村章三 第36回 木野晴夫 西村章三 藤田スミ 正木良明 第37回 正木良明 藤田スミ 西村章三 和田貞夫 第38回 中山太郎 正木良明 藤田スミ 西村章三 第39回 中山太郎 和田貞夫 北側一雄 藤田スミ |
定数5 | 第40回 中山太郎 北側一雄 藤田スミ 西村眞悟 和田貞夫 |
表話編歴 大阪府の小選挙区選出衆議院議員(1996年 - ) | |
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第1区 | 中馬弘毅 熊田篤嗣 井上英孝 大西宏幸 井上英孝 |
第2区 | 左藤恵 左藤章 川条志嘉 萩原仁 左藤章 守島正 |
第3区 | 田端正広 中島正純 佐藤茂樹 東徹 |
第4区 | 前田正 中山正暉 吉田治 中山泰秀 吉田治 村上政俊 中山泰秀 美延映夫 |
第5区 | 谷口隆義 稲見哲男 國重徹 梅村聡 |
第6区 | 福島豊 村上史好 伊佐進一 西田薫 |
第7区 | 藤村修 渡嘉敷奈緒美 藤村修 渡嘉敷奈緒美 奥下剛光 |
第8区 | 中野寛成 大塚高司 中野寛成 木下智彦 大塚高司 漆間譲司 |
第9区 | 西田猛 大谷信盛 西田猛 原田憲治 大谷信盛 足立康史 原田憲治 足立康史 萩原佳 |
第10区 | 石垣一夫 辻元清美 松浪健太 肥田美代子 松浪健太 辻元清美 松浪健太 辻元清美 池下卓 |
第11区 | 平野博文 伊東信久 佐藤ゆかり 平野博文 中司宏 |
第12区 | 樽床伸二 北川知克 樽床伸二 北川知克 藤田文武 |
第13区 | 西野陽 塩川正十郎 西野陽 西野弘一 宗清皇一 岩谷良平 |
第14区 | 中村鋭一 谷畑孝 長尾敬 谷畑孝 長尾敬 青柳仁士 |
第15区 | 竹本直一 大谷啓 竹本直一 浦野靖人 |
第16区 | 北側一雄 森山浩行 北側一雄 黒田征樹 |
第17区 | 西村眞悟 岡下信子 西村眞悟 岡下信子 辻恵 馬場伸幸 |
第18区 | 中山太郎 中川治 遠藤敬 |
第19区 | 松浪健四郎 長安豊 丸山穂高 伊東信久 |
表話編歴太陽の党 | |
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執行部・党の人物 | 歴代の党首 石原慎太郎・平沼赳夫(初代、共同代表) 島武志(2代目) 濱﨑博(3代目) 西村眞悟(4代目) 園田博之(5代目) 党の人物 田母神俊雄 藤井孝男 片山虎之助 中山恭子 Category:たちあがれ日本の人物 Category:たちあがれ日本の国会議員 |
前身政党 | (自由民主党)→たちあがれ日本→太陽の党→日本維新の会→次世代の党→太陽の党 |
後継政党 | 次世代の党→日本のこころを大切にする党→日本のこころ→×(2018年11月解党) |
重点政策・関連項目 | 自主憲法 日本人拉致問題 経済連携協定 経済成長 新党改革 維新の党 日本創新党 |
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