西淀川区 (original) (raw)

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にしよどがわく ウィキデータを編集西淀川区
野里住吉神社野里住吉神社
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
市町村コード 27113-6
面積 14.21km2
総人口 96,533[編集]推計人口、2024年12月1日)
人口密度 6,793人/km2
隣接自治体隣接行政区 _大阪市_(福島区此花区淀川区兵庫県尼崎市
区の花 サザンカ
西淀川区役所
所在地 555-8501大阪府大阪市西淀川区御幣島一丁目2番10号北緯34度42分41秒 東経135度27分21.9秒 / 北緯34.71139度 東経135.456083度 / 34.71139; 135.456083座標: 北緯34度42分41秒 東経135度27分21.9秒 / 北緯34.71139度 東経135.456083度 / 34.71139; 135.456083地図
外部リンク 大阪市西淀川区
西淀川区位置図
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西淀川区(にしよどがわく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つ。

市内有数の工業地区として発展してきたが、近年は不況により撤退・廃業した工場の広大な跡地が増えたため梅田へのアクセスの良さからマンション建設が進み、住宅地としての整備も進んでいる。人口はここ数年緩やかな増加傾向。西側の中島には中島工業団地がある。

隣接している自治体・行政区

大阪市の行政区

自治体

歴史

淀川が運ぶ土砂が堆積して土地が形成された。古代は難波八十島とも呼ばれ、多くの島に分かれていた。御幣島・姫島などの地名は、この地が島だったことの名残だとされる。古代には現区域付近一帯は住吉大社の領地だったといわれる。

中世までは漁業を主としていたが、江戸時代以降は新田開発が行われ、漁業とともに農業が行われるようになった。明治時代後期以降地域に工場が進出した。昭和初期(1930年代ごろ)から重工業地帯となった。一方で1950年代以降は公害が深刻な社会問題となっている。その後1970年代以降は大工場の撤退が相次ぎ、跡地に住宅開発が行われている。

明治時代の町村制実施により、現:西淀川区の区域には西成郡千船村・稗島村・歌島村・鷺洲村・福村・川北村が発足した。千船村・稗島村・鷺洲村はのちに町制を施行している。

1925年4月1日の大阪市第二次市域拡張により、西成郡鷺洲町・千船町・稗島町・伝法町・歌島村・福村・川北村が大阪市に編入され、西淀川区が新設発足した。区名については、当初の案では「下淀区」、次いで「姫島区」が答申されたが、最終的には西淀川区に決定した。

区役所は旧鷺洲町役場(西淀川区浦江町、現在の福島区海老江6丁目1番付近)に置かれた。また旧千船町役場(西淀川区大和田町、現:大和田5丁目)を転用して区役所出張所とし、おおむね淀川北岸一帯の地域に関する業務を担った。

1941年4月21日に当時の東淀川区三津屋町・十三南之町三丁目の一部を西淀川区へ編入し、当時の西淀川区塚本町の一部を東淀川区とする区域変更を実施した。

1943年4月1日には大阪市の22区への分増区および行政区境界見直しが全市的に実施された。これに伴い、淀川以南の区域、および淀川以北の東海道本線以東の区域を他区に分離することになり、現行の区域となった。他の行政区に移管された地域は以下の通り。

1943年の区の境界変更により、従来の区役所出張所が区役所本庁舎となった。

太平洋戦争の戦局悪化のため、1945年6月12日には区役所を大和田東国民学校(現:大和田小学校)に仮移転・疎開させ、重要書類などを大和田東校の鉄筋コンクリート校舎に移した。その3日後の大阪大空襲により、従来の区役所庁舎は全焼した。

1947年3月に現在地に区役所庁舎(初代)が竣工した。初代庁舎は西成区今宮国民学校・大正区中泉尾国民学校の元校舎などを転用して建設されている。1957年3月には2代目庁舎が完成し、さらに2005年5月には3代目庁舎(現庁舎)が完成している。

1970年代までは大気汚染により、住民は慢性気管支炎や喘息などの公害病に悩まされた。1970年11月までに公害被害者に認定された患者は1055人に達し、西淀川区(当時の人口約11万人)のうち100人に1人は公害病に認定されたことを意味した。この比率は、当時、同じく公害に悩まされていた三重県四日市市神奈川県川崎市を大きく上回る値であった[1]

年表

人口

西淀川区の人口推移

世帯数 人口 人口増減率(前回比)
1955年(昭和30年) 21,702 93,953
1960年(昭和35年) 28,627 116,728 +24.24%
1965年(昭和40年) 32,119 121,246 +3.87%
1970年(昭和45年) 32,332 110,052 -9.23%
1975年(昭和50年) 30,718 96,586 -12.24%
1980年(昭和55年) 31,214 90,691 -6.10%
1985年(昭和60年) 32,454 92,411 +1.90%
1990年(平成2年) 35,745 95,047 +2.85%
1995年(平成7年) 36,097 91,134 -4.12%
2000年(平成12年) 38,609 92,465 +1.46%
2005年(平成17年) 40,825 95,662 +3.46%
2010年(平成22年) 43,642 97,537 +1.96%

※1995年の国勢調査では、同年1月の阪神・淡路大震災の影響で人口が大幅に減少した。

区内に本社を置く企業

東証プライム上場

その他の企業

支社・営業所・工場を設置している企業

区内が発祥・発展の地の企業

交通

鉄道

区役所の最寄駅:御幣島駅

2025年1月19日に中央線夢洲駅此花区)が開業した後は、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の路線が通らない唯一の行政区となる。

バス

道路

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教育

高等学校

中学校

小学校

特別支援学校

医療

病院

施設

地名

新旧の町名対応

現在の町名1972年〜(野里・花川・柏里は1973年〜) 旧町名
竹島 竹島町(古くは竹島(竹ノ町)と呼ばれていた)・御幣島東・御幣島中・御幣島西
御幣島 御幣島東・御幣島中・御幣島西・千船東
歌島 御幣島東・野里町・柏里町・野里東・野里西
野里 花川北之町・野里町・野里東・野里西・塚本町
姫島 姫島町(戦前には姫島町内に様々な地名があった。本通北・本通南・中通・辻南通・小開通・大開通など)・姫島浜通・東福町
姫里 姫里町・野里町・姫島町
花川 花川南之町・花川町・野里町
柏里 柏里町・花川北之町・花川南之町
中島 中島町(中島町内に城島という地名があった)・外島町・布屋町
福町 東福町・西福町・姫島町・北西島町・南島町
千舟 千舟東・姫島町
大和田 大和田中・大和田西・大和田東
大野 大和田西・大和田東・大野町・百島町
百島 大野町・百島町・北西島町
佃町(戦前の千船駅周辺が佃とは川で離れている時代は蒲島町と呼ばれていた。昭和15年3月29日、佃町に名称変更)
出来島 出来島町・大和田西・大和田町
西島 西島町・矢倉町・北西島町(古くは酉洲町という地名もあった、一部が出来島町になった時期もあったがその後西島町に吸収され地名消滅)

1943年3月31日までは、現在の此花区高見・伝法地区の全域、現在の福島区海老江・鷺洲地区の全域と大開地区の一部、現在の淀川区加島・塚本地区の全域も西淀川区であった。 西淀川区塚本町は現在の野里1丁目21番地・22番地・28番地・29番地の一部に1973年まで存在した。

住宅

大規模マンション

住宅団地

かつて存在した住宅団地

出身者

政治

文化・芸術・芸能

スポーツ

西淀川区ゆかりの有名人

脚注

  1. ^ 百人に一人が公害病 新たに七十五人が認定『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月10日朝刊 12版 23面

参考文献

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、**西淀川区**に関連するメディアがあります。

外部リンク