都島区 (original) (raw)

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みやこじまく ウィキデータを編集都島区
毛馬桜之宮公園毛馬桜之宮公園
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
市町村コード 27102-1
面積 6.08km2
総人口 109,386[編集]推計人口、2024年11月1日)
人口密度 17,991人/km2
隣接自治体隣接行政区 _大阪市_(東淀川区旭区城東区北区中央区
区の花 サクラコスモス
都島区役所
所在地 534-8501大阪府大阪市都島区中野町二丁目16番20号北緯34度42分4.7秒 東経135度31分41.1秒 / 北緯34.701306度 東経135.528083度 / 34.701306; 135.528083座標: 北緯34度42分4.7秒 東経135度31分41.1秒 / 北緯34.701306度 東経135.528083度 / 34.701306; 135.528083 地図
外部リンク 大阪市都島区
都島区位置図
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京橋駅付近。左側の半分ぐらいは都島区(2014年)

都島区(みやこじまく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つ。南部は京橋を中心とした繁華街、北中部は住宅地である。特に北部は1980年代のベルパークシティに端を発した、工場の跡地を利用した超高層マンションの建設ラッシュとなっている。

歴史

1943年北区旭区から分離・再編して発足した。区名の由来は長柄豊崎宮の東岸(向かい側)に位置していたことから付いた『宮向島(みやこうじま)』という名が転訛したという説と、単純に都があったことから付いたという説の2つが今のところ有力。豊臣秀吉の時代には南部の京橋周辺が京街道(現:国道1号)の宿場町として栄え始め、江戸時代に入ると大坂三郷の備前島町、網島町、相生西町、相生東町、野田町を形成した。また、現在の都島通以北の地域が都市近郊の農村地帯として開墾され始めた。

明治時代以降は大阪の急速な発展によって次第に農村地域から住宅地・工業地・商業地の混在化した市街地に変貌を遂げ、大阪市北部有数の産業地区となった。戦後も人口増加が続き、繊維業や軽工業を中心に大いに発展したが、1970年代以降は地価の高騰やドーナツ化現象などに伴って工場は郊外に移転、昔ながらの市街地では労働力層の人口流出が起こった。 これにより都島区には長く停滞感が漂っていたが、リバーサイドともぶちや1982年カネボウの工場跡地に大型高層住宅群ベルパークの建設が始まったことを契機に、都心に近接した交通の便の良い理想的な住宅地としての価値が見直され、マンション建設・市街地再開発が加速。区の人口は2004年に10万人の大台を回復し、現在も都島区は着実に発展を続けている。

区域の変遷

市制施行前 1889年4月市制施行 1897年4月 1925年4月 1932年10月 1943年4月
野田村 東成郡 野田村 大阪市 北区へ編入 大阪市 (北区) 都島区へ分区
澤上江村[注釈 1] 善源寺村 中野村 都島村
毛馬村 友渕村 東成郡 城北村へ編入 (市域を拡張) 東成区を設置 旭区へ分区
内代村 榎並村 (榎並村)
※現在の行政区域と一致しない地域もある。

地理

地形

区内全域が大阪平野に存在し平地である。上町台地の東外れにあり、弥生時代まで存在していた河内湖にあたる大阪市北東部は、海抜が2メートル以下である。南部は寝屋川、西部は大川、北西部は淀川が区境界になっている。以前は都島通以南の城東区との境界から北西方向に、寝屋川と大川を繋ぐ榎並川が流れていたが、昭和30年代に埋め立てられて道路や公園になった。現在は「桜小橋」の地名が残っている。

区内の地域

2013年に設立した都島区の地域活動協議会より[1]

区内の町名

網島町 内代町1丁目〜4丁目 片町1丁目〜2丁目 毛馬町1丁目〜5丁目 善源寺町1丁目〜2丁目 大東町1丁目〜3丁目 高倉町1丁目〜3丁目 友渕町1丁目〜3丁目 中野町1丁目〜5丁目 東野田町1丁目〜5丁目 都島北通1丁目〜2丁目 都島中通1丁目〜3丁目 都島本通1丁目〜5丁目 都島南通1丁目〜2丁目 御幸町1丁目〜2丁目

※大阪市内の丁目は、概ね大坂城を中心に1丁目から割り振られている。当区は大阪城より北東にあるので、南西が1丁目で北東へ行くほど2丁目・3丁目となっていく。

消滅した町名

「町」の読み方はすべて「ちょう」である。

人口

都島区(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 97,118人 1975年(昭和50年) 86,608人 1980年(昭和55年) 83,584人 1985年(昭和60年) 91,925人 1990年(平成2年) 96,208人 1995年(平成7年) 98,045人 2000年(平成12年) 97,253人 2005年(平成17年) 99,831人 2010年(平成22年) 102,632人 2015年(平成27年) 104,727人 2020年(令和2年) 107,904人
総務省統計局 国勢調査より

商業

本社を置く企業

主な商業施設

京橋グランシャトービル

ベルファ都島ショッピングセンター

過去に置かれていた企業

過去に置かれていた工場

交通

鉄道

西日本旅客鉄道(JR西日本)

O 大阪環状線

H JR東西線・JR片町線(学研都市線)

F おおさか東線

駅所在地は旭区であるが駅の西側が都島区に面している。

大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)

T 谷町線

N 長堀鶴見緑地線

京阪電気鉄道

京阪本線

廃止された鉄道

国鉄

大阪市電

現在の大阪シティバス守口車庫前(守口市)を起点とし、国道1号を進み今市交差点を経由し、城北公園通を西に進み、赤川三丁目交差点を経由、南に進み都島本通交差点を経由、都島通を西に進み、都島車庫前・天神橋筋六丁目・阪急東口・大阪駅前を経由、さらに四つ橋筋を南下して、肥後橋に至る路線。このうち、守口〜阪急東口は昭和44年3月31日の大阪市電全廃まで残った路線である。(もう一つ、千日前通を走る5系統もこの日まで残っていた。)

道路

都市高速道路

一般国道、主要地方道

バス

北部は鉄道駅から離れた地域であるため、バス交通が発達している。

北部を東西に横切る城北公園通には、1つの系統のバスが大阪駅-大東町間では平日は昼間でも1時間に9-10本運行している。また、区の中央部を南北に縦貫する赤川天王寺線の地下鉄都島(都島駅)-高倉町三丁目間で3つの系統のバスを合わせて平日は昼間でも1時間に9-10本運行している。南部を東西に横切る国道1号には、大阪駅と鶴見区方面を結ぶバスが1時間に7-8本運行している(以上すべて大阪シティバス)。

廃止路線

教育

専修学校

高等学校

中学校

小学校

大阪市立桜宮小学校 大阪市立中野小学校 大阪市立高倉小学校 大阪市立淀川小学校 大阪市立都島小学校 大阪市立内代小学校 大阪市立東都島小学校 大阪市立大東小学校 大阪市立友渕小学校

幼稚園

その他

集合住宅

前述のとおり近年は工場の跡地を利用した超高層マンションの建設ラッシュが進んでるため集合住宅が増加している。

大規模マンション

住宅団地

かつて存在した住宅団地

観光スポット・名所・施設

地価

国土交通省 公示地価[3]

基準値番号 用途 所在地番 2020年 2014年 2008年 1997年
都島-1 住宅地 都島中通2-11-17 288 269 294 405
都島-2 住宅地 御幸町2-2-13 258 257 288 394
都島-3 住宅地 都島中通3-3-10 275 304 410
都島-4 準工業地 高倉町3-7-15 236 268 395
都島5-1 商業地 東野田町5-9-12 306 291 319 559
都島5-2 商業地 都島北通1-1-4 440 378 418 605
都島5-3 商業地 片町2-2-40 486 415 458 614
単位は千円/m2

出身有名人

都島区ゆかりの有名人

脚注

注釈

  1. ^ 現在の都島北通、本通、中通、南通。
  2. ^ 高い方から、セントプレイスタワー (133.53m)、ローレルスクエア都島プライムタワー (101.5m)、100m以上の超高層マンションとしては日本第1号であるベルパークシティトライスタワーG棟・J棟(共に116m)。

出典

  1. ^ 地域活動協議会とは, 都島区, https://www.city.osaka.lg.jp/miyakojima/page/0000289789.html
  2. ^ 都島区バスは、平成26年3月31日をもって運行を終了いたしました。
  3. ^ 都道府県地価調査, 国土交通省公示地価, https://www.land.mlit.go.jp/landPrice/AriaServlet?MOD=1&TYP=0

関連項目

外部リンク

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