香川県庁 (original) (raw)
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この項目では、行政官庁について説明しています。その庁舎については「香川県庁舎」をご覧ください。 |
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香川県庁 | |
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香川県庁舎本館 | |
役職 | |
知事 | 池田豊人 |
副知事 | 西原義一 |
組織 | |
知事部局 | 政策部、総務部、環境森林部、健康福祉部、商工労働部、農政水産部、土木部、出納局、防災局、観光交流局 |
公営企業 | 水道局、病院局 |
行政委員会 | 教育委員会、公安委員会、選挙管理委員会、監査委員、人事委員会、労働委員会、収用委員会、海区漁業調整委員会、内水面漁場管理委員会 |
概要 | |
所在地 | 香川県高松市番町四丁目1番10号北緯34度20分24.54秒 東経134度2分36.4秒 / 北緯34.3401500度 東経134.043444度 / 34.3401500; 134.043444座標: 北緯34度20分24.54秒 東経134度2分36.4秒 / 北緯34.3401500度 東経134.043444度 / 34.3401500; 134.043444 |
定員 | 知事部局 2,790人行政委員会 262人公営企業 1,225人学校職員 8,545人県警 2,135人総計 14,957人 |
年間予算 | 4338億2900万円(平成20年度) |
設置 | 1888年12月3日 |
前身 | 愛媛県庁高松支庁 |
ウェブサイト | |
https://www.pref.kagawa.lg.jp/ | |
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香川県庁(かがわけんちょう)は、地方公共団体である香川県の行政機関(役所)である。
- 1888年(明治21年)12月3日 - 第三次香川県設置。
- 1888年(明治21年)12月27日 - 香川県庁開庁。第1部(議事・文書・農商・庶務の各課)、第2部(土木・兵事・学務・監獄・衛生・会計の各課)、収税部(賦税・徴収・検税・徴税費の各課)、警察本部(庶務・保安・監査の各課)を置く[1]。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 執務時間変更。午前8時~午後2時[2]。
- 1889年(明治22年)10月16日 - 執務時間変更。午前9時~午後3時[2]。
- 1890年(明治23年)10月15日 - 県庁機構改定。知事官房、内務部、第1課(庶務)第2課(農商・土木)第3課(学務・衛生・兵事)第4課(会計)警察部、直税署、間税署、監獄署[1]。
- 1893年(明治26年)10月31日 - 県庁機構改組。知事官房、内務部第1課(議事・庶務)第2課(土木・地理)第3課(学務・農商務・兵事・戸籍)第4課(県費・県税・用度)警察部警務課、保安課、衛生課、収税部、監獄署[1]。
- 1895年(明治28年)7月3日 - 内務部に第5課(農商工)を置く[1]。
- 1896年(明治29年)11月1日 - 収税部を廃止。高松税務署を設置[3]。
- 1903年(明治36年)3月20日 - 監獄署廃止[1]。
- 1905年(明治38年)4月18日 - 県庁機構改組。知事官房秘書係・文書係、第1部庶務課・土木課・会計課、第2部学務課・社寺課・兵事課、第3部農務課・商工課・林務課・水産課、第4部警務課・保安課・衛生課・高等警察主任[1]。
- 1907年(明治40年)7月13日 - 県庁機構改組。知事官房、内務部庶務課・土木課・会計課・学務課・勧業課・兵事課・警察部警保課・衛生課・高等警察主任[1]。
- 1911年(明治44年)4月1日 - 県庁機構改組。知事官房・内務部地方課・土木課・会計課・学務課・農商課・水産課・社寺兵事課・警察部警務課・保安課・衛生課[1]。
- 1913年(大正2年)7月29日 - 警察部に刑事課を置く[1]。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 県庁機構を改編。知事官房(秘書係・文書係・統計係)内務部(地方課・土木課・会計課・農林課・商工水産課)学務部(学務課・社会課・社寺兵事課)警察部(警務課・高等警察課・保安課・衛生課・巡査教習所)[1]。
- 1935年(昭和10年)1月19日 - 県庁機構を改正。知事官房に秘書係・文書係・統計係を、総務部に人事課・庶務課・地方課・会計課・統計課を、経済部に農務課・商工水産課・耕地山林課・土木課を、学務部に学務課・社会課・社寺兵事課・公園課を、警察部に警務課・高等警察課・特別高等警察課・保安課・刑事課・衛生課・巡査教習所を置く[1]。
- 1940年(昭和15年)10月1日 - 知事官房を文書課及び秘書課とし、地方課の次に総動員課を置く。経済部を農政課・農水産課・林務課・商工課・耕地課・土木課に分割[4]
- 1941年(昭和16年)2月1日 - 県庁機構の総務部に振興課・税務課を、学務課に職業課を置く[1]。
- 1942年(昭和17年)11月1日 - 行政簡素化に伴い県庁・市役所・町村役場の執務時間を1時間延長[4]。
- 1944年(昭和19年)12月6日 - 警察部書記室を情報課と改称[1]。
- 1945年(昭和20年)6月10日 - 四国地方総監府を県庁内に置く。総監に香川県知事木村正義が就任(同年11月6日廃庁)[5]。
- 1945年(昭和20年)7月4日 - 高松空襲による戦災で庁舎が全焼し、県立高松女学校を仮庁舎とする[5]。
- 1945年(昭和20年)7月30日 - 県庁仮事務所を県商工奨励館に、知事官房及び内政部を岡田国民学校に、経済第1部を栗熊国民学校に、経済第2部を陶国民学校に、警察部を琴平派出所、金刀比羅宮図書館、琴平町立幼稚園、県立香川農業学校にそれぞれ移転[6]
- 1945年(昭和20年)12月24日 - 県庁機構を改正。警察部労政課・勤労課・保健課を内政部に移管し、警備課を置く[1]。
- 1946年(昭和21年)3月2日 - 県庁機構を改正。知事官房に官房主事・秘書係・文書係を、内務部に庶務課・人事課・調査課・会計課・地方課・教育課・厚生課・衛生課・勤労課・保険課・土木課・復興課・渉外課を、経済部に農務課・開拓課・水産課・食糧課・耕地課・商工課・臨時管理課・林務課を、警察部に部長書記室・監察官・警務課・公安課・保安課・経済防犯課・刑事課・警察練習所を置く[1]。
- 1946年(昭和21年)11月18日 - 県庁機構を改正。知事官房に官房主事・秘書係・文書係、内務部に庶務課・人事課・調査課・会計課・地方課・渉外課を、教育民生部に学務課・社会教育課・厚生課・勤労課・衛生課・保険課を、経済部に農務課・水産課・食糧課・商工課・臨時管理課・林務課を、土木部に監理課・道路課・河港課・砂防課・都市計画課・復興建築課を、農地部に農務課・耕地課・開拓課を、警察部に部長書記室・警務課・公安課・保安課・経済防犯課・刑事課・警察練習所を置く[1]。
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組織図
知事
- 副知事
* 政策部
* 政策課(予算調整室) - 東京事務所
* 自治振興課 - 小豆総合事務所
* 地域活力推進課
* 男女共同参画・県民活動課
* 水資源対策課
* デジタル戦略課
* 情報システム課
* 統計調査課
* 文化振興課 - 県立ミュージアム(瀬戸内海歴史民俗資料館)(文化会館)、東山魁夷せとうち美術館、漆芸研究所
* 総務部
* 総務学事課
* 財産経営課
* 総務事務集中課 - 文書館
* 税務課 - 県税事務所
* 人事・行革課
* 職員課(健康管理室)
* 人権・同和政策課
* 知事公室国際課
* 知事公室広聴広報課
* 知事公室秘書課
* 危機管理総局
* 危機管理課 - 消防学校
* くらし安全安心課
* 環境森林部
* 環境政策課
* 環境管理課 - 環境保護研究センター
* みどり整備課 - 森林センター、東部林業事務所、西部林業事務所
* みどり保全課
* 廃棄物対策課(資源化・処理事業推進室) - 直島環境センター
* 健康福祉部
* 健康福祉総務課 - 東讃保健福祉事務所、中讃保健福祉事務所、西讃保健福祉事務所
* 長寿社会対策課
* 子育て支援課 - 子ども女性相談センター、保育専門学院、斯道学園
* 障害福祉課 - 障害福祉相談所、精神保健福祉センター、川部みどり園
* 医務国保課 - 保健医療大学
* 薬務感染症対策課
* 生活衛生課 - 食肉衛生検査所
* 商工労働部
* 産業政策課(産業集積推進室) - 大阪事務所、産業技術センター
* 企業立地推進課
* 経営支援課 - 計量検定所
* 労働政策課 - 高松高等技術学校、丸亀高等技術学校
* 交流推進部
* 交流推進課 (栗林公園管理事務所)
* 観光振興課
* 交通政策課
* 県産品振興課
* 農政水産部
* 農政課
* 農業経営課 - 農業試験場、東讃農業改良普及センター、中讃農業改良普及センター、小豆農業改良普及センター、農業大学校
* 農業生産流通課
* 畜産課 - 畜産試験場、東部家畜保健衛生所、西部家畜保健衛生所
* 土地改良課 - 東讃土地改良事務所、中讃土地改良事務所、西讃土地改良事務所
* 農村整備課
* 水産課 - 水産試験場、赤潮研究所
* 土木部
* 土木監理課(用地対策室) - 長尾土木事務所、高松土木事務所、中讃土木事務所、西讃土木事務所
* 技術企画課(工事検査室)
* 道路課
* 河川砂防課
* 港湾課 - 高松港管理事務所
* 都市計画課
* 下水道課
* 建築課(建築指導室)
* 住宅課 - 会計管理者
* 出納局
* 会計課
* 審査課
- 副知事