Tonan前橋 (original) (raw)

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tonan前橋
原語表記 tonan前橋
呼称 tonan前橋
クラブカラー 黒 白
創設年 1982年
所属リーグ 関東サッカーリーグ
所属ディビジョン 2部
ホームタウン 群馬県前橋市
ホームスタジアム 前橋総合運動公園群馬電工陸上競技・サッカー場NTT図南スーパーグラウンド
収容人数 1,100(群馬電工)
運営法人 株式会社図南クラブ
代表者 菅原宏
監督 日本の旗 菅原宏
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

株式会社図南クラブ

種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本379-2166群馬県前橋市野中町447-1
設立 2007年12月
業種 サービス業
法人番号 1070001005511 ウィキデータを編集
事業内容 サッカーを通じた地域社会へのスポーツ振興
代表者 菅原宏
特記事項:https://tonan-sc.jp/
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tonan前橋(トナンまえばし)は、日本の群馬県前橋市をホームタウンとする社会人サッカークラブ。

1982年、高校サッカー界で強豪である群馬県立前橋商業高等学校サッカー部監督の奈良知彦が中心になって前橋商業高校サッカー部OBたちが集まり「図南サッカークラブ」を結成した。クラブ名は諺の「図南の翼」に由来する。当初はOBが卒業して社会人になってからも体を動かしサッカーを楽しめるように作られたサッカー倶楽部という趣もあった。

しかし、群馬県リーグ3部に参戦すると初年度からチームワークを発揮し、そのシーズンは県選手権ベスト4という成績を残す。

1985年2部昇格、翌年1986年には群馬県リーグ1部に昇格。社会人企業チームと互角に競り合い、この年の天皇杯県予選トーナメントでは3位になる。

1988年シーズン、試合中に興奮し審判に対しての暴力行為に発展。群馬県サッカー協会は事態を重くみて、監督は1年間の出場停止、チームは半年間の公式試合への出場停止、更には2部へ降格という処分が下された。

翌年2部を制し、1990年には1部に返り咲く、県総合選手権初優勝、天皇杯県予選準優勝を飾る。1991年県リーグ1部で初優勝、1992年には天皇杯県予選優勝、関東社会人サッカー大会優勝。1993年晴れて関東リーグに昇格した。1990年代後半からは元Jリーガーが所属するようにもなる。

1994年2000年までは県リーグに所属。2001年から関東リーグに復帰する。

そして2年間関東リーグに所属した後、2003年1月13日のザスパ草津との関東リーグ入替戦でPK戦までもつれた死闘に敗れ、再び県リーグに降格する事となる(この1ヶ月後にキャプテン鳥居塚伸人の草津への移籍が発表された)。

2003年図南SCから図南SC群馬に名称変更。

2006年は草津より氏家英行小久保純樹森大介の3選手、アルテ高崎から鏑木豪が加入。群馬県リーグ1部を9勝3分、平均得点5点で制し、第40回関東社会人サッカー大会に出場したが、準々決勝で敗退した。

2007年も圧倒的な強さで群馬県リーグ1部を制覇し、第41回関東社会人サッカー大会に臨んだが、準々決勝で敗退し、またしても関東リーグ2部昇格を逃した。一方、群馬県サッカー協会長杯では決勝戦でJFLアルテ高崎を破り優勝し天皇杯全日本サッカー選手権大会への初出場を果たした。そして前年に続き出場を決めた全国社会人サッカー選手権大会には大会初勝利と関東リーグを飛び越えてのJFL昇格のチャンスを掴むべく大会に臨んだが、東北リーグ1部2位ですでに全国地域リーグ決勝大会への出場権を獲得していたNECトーキンと1回戦で対戦するも惨敗。

2008年に図南SC群馬からtonan前橋へ改称。群馬県リーグ1部(全14試合)で114得点を挙げ、6年連続14度目の優勝を飾り、第42回関東社会人サッカー大会への出場を決めた。そして、各都県リーグの代表チームを破り16年ぶり2度目の優勝を果たし、7年ぶりとなる悲願の関東リーグ2部復帰を決めた。また、10月に行われた第44回全国社会人サッカー選手権大会では初戦で九州リーグ王者の沖縄かりゆしFCを撃破し、6度目の出場にして同大会での初勝利を挙げた。

2009年は久しぶりに関東リーグ2部で迎えたが、開幕2連敗を喫しスタートダッシュに失敗、しかしその後の10試合を8勝2敗でカバーし3位まで浮上。そしてS.A.I市原SCとの2位の座をかけた直接対決に勝利し、最終的には10勝4敗の成績で1部昇格を決めた。そして、4年連続の出場となった第45回全国社会人サッカー選手権大会では各地域リーグの強豪チームを相手に健闘し、3位入賞を果たした。

2010年4月に公式サイト上でヤマダ電機とのオフィシャルパートナー契約の締結が発表。また7月にトップチームとtonan前橋サテライトの2チームが同時に全国社会人サッカー選手権大会の出場権を獲得するという快挙を達成した。リーグ戦は関東リーグ1部5位という過去最高の成績を収めた。

2011年は全国社会人関東予選で6年ぶりに敗退し、群馬県サッカー協会長杯でも4年ぶりに決勝進出を逃すなど、カップ戦では結果が出ないシーズンとなったが、リーグ戦では2年連続5位と健闘した。

2012年は群馬県サッカー協会長杯で優勝し、5年ぶり2回目となる天皇杯全日本サッカー選手権大会に出場。1回戦で大会初勝利を挙げ、2回戦ではチーム史上初のJリーグ所属チーム(モンテディオ山形)との対戦を果たしたが敗退した。さらに、リーグ戦では過去最高の4位の成績を残した。

2013年9月17日、Jリーグ準加盟クラブとして承認された[1]。10月15日に、J3加盟審査において、ステップ2のJ3スタジアム審査が「要件未充足との結論」になったとして、2014年度のライセンス交付見送りが決定[2]。その後日本フットボールリーグに公募推薦枠での昇格を目指したが、こちらも昇格が認められず、JFL・J3昇格は持ち越された。[3]

2014年、群馬県サッカー協会長杯では、トップチームとtonan前橋サテライトがともに決勝に進出し直接対決した結果、3-2でサテライトが勝利し天皇杯に群馬県代表として出場した[4]。KSL市原カップでは初のベスト4進出を果たした。

リーグ戦では2014年は7位、2015年は8位と順位が低迷し、2016年は9位となり、長年守ってきた関東リーグ1部から降格した。

2017年、8年ぶりに関東リーグ2部で戦うこととなり、監督兼代表だった菅原が代表に専念し、新監督としてアルテ高崎FC刈谷東京23FCで監督経験のあるアマラオが就任した。

関東リーグ2部では一時首位に立ったものの、最終的に9勝4分5敗の勝点31、優勝した東京国際大学FCに勝点差7をつけられ2位に終わった。本来ならば自動昇格で1年での1部復帰となるが、2018年シーズンはJFLから2チーム関東1部へ降格してくるのに伴い、2部2位の扱いが自動昇格から1部7位との入替戦に変更、その入れ替え戦で横浜猛蹴と戦い0-1で敗れ、1年での1部復帰を逃した。

全国社会人サッカー選手権大会関東予選では、1回戦で同じく関東2部の日本工学院F・マリノスと対戦、1-1の同点からPK戦の末6-7で敗れ本大会出場を逃した。

第97回天皇杯では群馬県予選で優勝し本大会に出場、1回戦では東京国際大学FCに勝利したものの、2回戦で大宮アルディージャに敗れた。

2019年、「プロのクラブを目指すのではなく、アマチュアクラブとして地域貢献・地域密着を目指し、子供たちから大人までに愛されるスポーツクラブを目指す」として、公益財団法人日本プロサッカーリーグJリーグ百年構想クラブからの脱退を申請。2019年7月30日のJリーグ理事会でこれが承認された[5]

2020年の関東サッカーリーグでは、**前橋総合運動公園群馬電工陸上競技・サッカー場NTT図南スーパーグラウンド**でホームゲームを開催する。

2013年にJリーグ準加盟申請を行った際は、前橋総合運動公園陸上競技・サッカー場をホームグラウンドとした(2013年は最終節のみ当地で開催)。

前橋総合運動公園を本拠地としてこだわる理由として、ウェブマガジンTHE PAGE[6] で、菅原宏は「敷島(サッカー場、陸上競技場(正田醤油スタジアム群馬)とも)は、群馬県の持ち物ですから、僕はあくまでも、前橋市(総合運動公園)からJ3に行きたい」とコメントしている。ただ、Jリーグライセンス・J3基準では、収容人員を原則座席で5000人以上であることや、選手・審判団のロッカー室・控え室、会見場などの施設充足が求められているが、前橋陸ではそれらが現在充足されていないため、このままではJ3昇格ができない状態にあった。

年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点 得失差 天皇杯
1989 群馬県2部 優勝
1990 群馬県1部 2位
1991 優勝
1992 優勝
1993 関東 9位 9 18 3 3 12 16 53 -37
1994 群馬県1部 優勝
1995 優勝 県予選準決勝
1996 優勝
1997 2位 県予選準優勝
1998 優勝 県予選3位
1999 優勝 県予選3回戦
2000 優勝 27 10 9 0 1 40 12 +28 県予選1回戦
2001 関東 7位 22 18 6 4 8 27 30 -3 県予選準優勝
2002 9位 11 9 2 - 7(3) 13 19 -6 県予選3位
2003 群馬県1部 優勝 34 14 11 1 2 50 15 +35 県予選3位
2004 優勝 23 10 7 2 1 33 11 +22 県予選準々決勝
2005 優勝 35 14 11 2 1 52 16 +36 県予選準々決勝
2006 優勝 30 12 9 3 0 62 18 +44 県予選準々決勝
2007 優勝 42 14 14 0 0 87 10 +77 1回戦敗退
2008 優勝 39 14 13 0 1 114 9 +105 県予選準優勝
2009 関東2部 2位 30 14 10 0 4 38 14 +24 県予選準優勝
2010 関東1部 5位 20 14 6 2 6 22 23 -1 県予選準優勝
2011 5位 17 14 5 2 7 20 26 -6 県予選3位
2012 4位 28 18 8 4 6 34 29 +5 2回戦敗退
2013 3位 31 18 9 4 5 32 21 +11 県予選準優勝
2014 7位 22 18 6 4 8 26 33 -7 県予選準優勝
2015 8位 16 18 4 4 10 14 22 -8 1回戦敗退
2016 9位 14 18 3 5 10 20 32 -12 県予選準優勝
2017 関東2部 2位 31 18 9 4 5 26 21 +5 2回戦敗退
2018 3位 31 18 8 7 3 27 13 +14 県予選準優勝
2019 4位 28 18 8 4 6 39 30 +9 県予選準優勝
2020 4位 14 9[※ 1] 4 2 3 21 14 +7 1回戦敗退
2021 3位 31 18 9 4 5 31 23 +8 1回戦敗退
2022 3位 34 18 9 7 2 25 13 +12 県予選準優勝
2023 7位 20 18 5 5 8 26 27 -1 1回戦敗退

注釈

  1. ^ 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、前期1節~前期9節の全試合を中止し、後期日程のみでの開催となった。
年度 成績 1回戦 2回戦 準々決勝 準決勝 3位決定戦
1999 1回戦 3-4水戸ホーリーホック(JFL)
2000 1回戦 3(6PK7)3かりゆしホテルズFC(九州)
2001 1回戦 1-2佐川印刷SC(関西)
2006 1回戦 0-3静岡FC(東海)
2007 1回戦 1-4NECトーキン(東北)
2008 2回戦 2(3PK2)2沖縄かりゆしFC(九州) 1-2松本山雅FC(北信越)
2009 3位 3-1BIWAKO S.C.HIRA(関西) 1 (7PK6) 1新日鐵大分(九州) 1-0Y.S.C.C.横浜(関東) 1-4ツエーゲン金沢(北信越) 2 (延長) 1AC長野パルセイロ(北信越)
2010 ベスト8 2(延長)1FC KAGOSHIMA(九州) 2 (5PK4) 2ヴォラドール松江(中国) 0-2カマタマーレ讃岐(四国)
2013 1回戦 2-3レノファ山口FC(中国)
年度 成績 1回戦 準々決勝 準決勝 決勝
1996 ベスト4 5-1武南FC(埼玉県3位) 1(4PK2)1矢板SC(栃木県2位) 0-1動燃東海(茨城県2位)
1998 ベスト8 4-0与野蹴魂会(埼玉県2位) 0-1栃木SC(栃木県1位)
1999 ベスト8 4-0越谷FC(埼玉県2位) 3-4東邦チタニウム(神奈川県1位)
2000 準優勝 3-0日立水戸(茨城県2位) 2-0藤沢市役所(開催地) 4-1矢板SC(栃木県1位) 1(3PK5)1海自厚木マーカス(神奈川県1位)
2003 ベスト8 4-1六浦FC(神奈川県2位) 0-1(Vゴール)神奈川県教員SC(神奈川県1位)
2004 ベスト4 2-1日立ビルシステム(東京都2位) 1-0柏FC(千葉県1位) 1(2PK4)1飯能ブルーダー(埼玉県1位)
2005 1回戦 0-1トステムFC(茨城県1位)
2006 ベスト8 8-1宇都宮FC(栃木県1位) 2-3クラブ・ドラゴンズ(茨城県1位)
2007 ベスト8 2(3PK1)2横浜猛蹴(神奈川県2位) 0-1FC KOREA(東京都1位)
2008 優勝 2-1六浦FC(神奈川県2位) 2-1坂戸シティFC(埼玉県3位) 1(5PK4)1東京海上日動火災保険(東京都3位) 2-0日立ビルシステム(東京都1位)
ユニフォームの色 カラー シャツ パンツ ストッキング FP(1st) 白×黒 黒 白 FP(2nd) 青 青 青 GK(1st) ピンク ピンク ピンク GK(2nd) 緑 緑 緑
FP 1st FP 2nd
GK 1st GK 2nd
掲出箇所 スポンサー名 表記 提出年 備考
セキチュー HOME CENTERSEKICHU 2014年 -
鎖骨 なし - -
背中上部 富士スバル 富士スバル 2014年 -
背中下部 フロラティン・ジャパン TAHOMA 31BARMUDAGRASS 2021年 -
なし - -
パンツ パーソナル・トレーニング・ジム レガロス Regalos 2024年 -
年度 鎖骨左 鎖骨右 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
2008 Cinetechcinema meets digital 解禁前 FANEX 解禁前 OMG PARTNERS げんき堂 ENZA DINING Mizuno
2009 予防医学 総合研究所 豊泉歯科医院 ENZA DINING -
2010 - FANEX YΛMΛDΛ Forala
2011 Meet THE MEAT 群馬ミート かつ久無庵 Mizuno
2012 - - -
2013 - adidas
2014 HOME CENTER SEKICHU 富士スバル
2015
2016 - GUNMASOCCER PROJECTVALIENTEFC2014
2017 - PERS JAPAN CO,LTD. sfida
2018 - PERS JAPAN CO,LTD. - / TSUBATA TIPOAL Super Bolla
2019 TSUBATA
2020 XF
2021 TAHOMA 31 BARMUDAGRASS PERS JAPAN CO,LTD.
2022
2023
2024 - Regalos
  1. ^Jリーグ準加盟審査結果について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2013年9月17日。http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00161854&team=1002。2017年9月18日閲覧。
  2. ^申請クラブ審査状況に更新がありました”. J3準備室 特設サイト (2013年10月15日). 2013年10月16日閲覧。
  3. ^ tonan前橋 JFL入会承認されず(2013年12月4日 上毛新聞 同12月6日閲覧)
  4. ^ tonan前橋サテライトがジャイキリ!!トップチームを破り、天皇杯出場へ(14/7/7 18:39)(ゲキサカ)
  5. ^tonan前橋のJリーグ百年構想クラブからの脱退について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2019年7月30日。https://www.jleague.jp/release/post-59650/。2019年7月30日閲覧。
  6. ^ <tonan前橋>J3落選のチーム あきらめぬ夢(P4 2013年10月18日 2015年5月15日閲覧)