ラヴクラフト流怪奇小説史  H・P・ラヴクラフト『文学における超自然の恐怖』 (original) (raw)


このたび刊行された、H・P・ラヴクラフト『文学における超自然の恐怖』(大瀧啓裕訳 学習研究社)は、アメリカの怪奇小説の巨匠、H・P・ラヴクラフトによる評論を中心に、散文詩や掌編などを集めた本です。
表題作の『文学における超自然の恐怖』は、ラヴクラフトの評論としては、いちばん有名なものでしょう。邦訳はいくつかあり、1970年代の『ミステリマガジン』に載った抄訳のほか、完訳としては、国書刊行会の『ラヴクラフト全集7-01 評論編』に収録のものがあります。ただ、邦訳はあるものの、一般読者にとっては手に入りにくいものだったので、本書の刊行は慶賀すべきことだといえます。
さて、『文学における超自然の恐怖』は、ラヴクラフトが怪奇小説を自分なりに解釈し、まとめた怪奇小説史です。初期のゴシック・ロマンスから、ラヴクラフトの同時代の作家まで、基本的には歴史に沿った記述になっています。
今となっては、詳しい怪奇小説史の本が他にもありますので、その意味では、ラヴクラフトのこの評論は物足りない面が多々あります。とくに「情報」という点では、かなり不完全と言わざるを得ません。
ただ、違った意味での読みどころがあります。取り上げられた作家や作品たちに対する、ラヴクラフト自身の評価です。古典的な作品に対しても、盲目的に持ち上げるのではなく、褒めるところは褒め、批判すべきところは批判するなど、批評的な眼が感じられるところに、この評論の面白さがあります。
例えば、ウォルポールの『オトラントの城』に対する意見を見てみましょう。

物語はこのようなものであって、平版にして堅苦しく、怪異文学をつくりあげる宇宙的恐怖は皆無である。

また批判一方ではなく、褒めているところもあります。

この小説がなしとげたのは、新たなタイプの情景、操り人形めいた登場人物、さまざまな事件を創造したことであって、やがて生まれつき怪異の創造に適した作家たちによって効果的に扱われたことにより、模倣するゴティック派の成長を刺戟して、宇宙的恐怖の真の作り手たちを奮い立たせることになった。

やたらと「宇宙的恐怖」が連発されるのはご愛嬌として、言っていることはなかなか筋が通っています。ただ

『オトラントの城』という作品は、歴史的価値が第一で、作品としては、以前から欠点の多いものとされてきたので、少々割り引いて考えるべきかもしれません。それでは、誰もが「傑作」と認める作品についてはどうでしょうか。
次の文は、メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』に対するものです。

シェリイ夫人はかなり優れた『最後の男』も含め、ほかにも長編小説を執筆したが、最初の試みの成功を重ねることはなかった。どれほど話の運びがぐずぐずしていようと、『フランケンシュタイン』には宇宙的恐怖の真の特徴がある。

褒めるだけではなくて、ちゃんと欠点にも眼を配っています。なかなか公平な立ち位置だといえますね。
英米作家だけではなくて、フランスやドイツの作家、具体的にはホフマン、マインホルト、ゴーティエ、リラダンなど、少数とはいえ、ヨーロッパ方面にも眼を配っています。自分なりの怪奇小説史をまとめようという意気込みが感じられるところも、このジャンルの愛読者にとっては、好ましいところでしょう。
一方、併録の『ダンセイニ卿とその著作』は、アイルランドの作家、ダンセイニに対する絶賛文となっています。ダンセイニの経歴や文学的な歩み、人となりまで詳しく紹介されます。ラヴクラフト自身が実際に足を運んだ講演の場でのダンセイニと、その印象なども語られます。
その熱っぽさには当てられるものの、具体的な作品紹介には乏しいため、ダンセイニを知らない読者にダンセイニを紹介する、という点では、あまり役目を果たさないでしょう。『文学における超自然の恐怖』の落ち着いた語り口と比べて、この熱っぽい口調からラヴクラフトのダンセイニへの敬愛を読み取るのが、正しい読み方といえるのかもしれません。
さて、本書の見どころは他にもあります。全体に多数の書影が収められているのです。『文学における超自然の恐怖』では、多くの作家や作品が言及されるわけですが、その作家や作品の書影がところどころに挟まれるのです。しかも、その割合が半端ではありません。平均して、2~3ページに1ページの割合で、書影のページが挟まれています。巻末には資料として、ラヴクラフト作品の載った雑誌や単行本の書影も多く掲載されており、ヴィジュアル的にも楽しい本になっています。
併録されている散文詩や掌編に関しては、「落ち穂拾い」的なものが多いので、正直あまり楽しめなかったのですが、『インスマスを覆う影 未定稿』は、実際に完成された作品との違いを認識させてくれるという点では、興味深いものでした。
最後に気になった点をひとつ。訳者の大瀧啓裕氏は、翻訳の際に「原音」にこだわることで有名ですが、本書でもその方針が貫かれています。作家名の表記は、主義の問題ともいえるので(例えば「ホラス・ウォールポウル」「サッカリイ」など)、良しとしても、邦訳されている作品名を使わないというのは、ちょっとどうかと感じました。例えば、ホジスンの『ナイトランド』『夜の国』、メリメの『イールのヴィーナス』『イルのウェヌス』としています。
そのあたりの整合性の問題なのかわかりませんが、取り上げられている作品に翻訳があるかどうかを明記してくれなかったのは残念ですね。読者が実際に読みたくなっても、タイトル名が異なっているため、これでは翻訳があるかどうか調べることもできません。
「ブックガイド」として使用するには難がありますが、やはり膨大な書影の魅力は圧倒的。これのためだけでも、手に入れて損はありません。

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