長崎/南島原 口之津港へようこそ! - トラベルとかナントカ【日本全市訪問】 (original) (raw)
長崎県南島原市、長崎県の南東部、島原半島に位置し人口は48,726人(2012.12.1現在)で、2006年に旧・南高来郡の8町もの合併によりできた新しい市です。1637年日本の一揆としでは最大級といわれる「島原の乱」の主戦場・原城のあった所で、キリシタン関連の旧跡の多数ある地です。
ここへは熊本県天草市からフェリーでやって来て、完全なる熊本/天草③ 鬼池港からの出航の続きものです。(2013年1月)
▼島原へ向かう
天草市鬼池港を出たばかりのところ。
フェリーの2F部分をフロントから眺めたものです。
このように鮮やかなブルーのベンチが並んでいますが、ここを訪ねたのは1月年初の連休中(1/4)ということもあり、殆どの方は室内の座席でくつろいでおられました。
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前方の眺め
出航後しばらくはこんな風景が広がっていました。
街が本格的に見えてくるまでは割に単調かもしれません。
▼街が見えたきた!
島原半島内の街の様子がはっきり見えてきました。
最初と到着付近のみ外に居たので、その間は外の様子を見てませんが…
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振り返って
口之津港付近はクワガタの上あごのようにΩ←のような形をしていて、その内側に入り込んだ後、左後ろを振り返った様子です。
間際に架かる赤い橋が印象的でした。こんな陸の間際でえらく大規模な橋が架かってるな、と。何かあるとも思えないんですが…
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接岸!
まもなく島原口之津港へ。
鬼池港から30分。割にあっという間です。
鬼池港同様に、赤いゲートがお出迎えです。
当初の行程では、天草→島原という選択肢はあったものの、あまり行く確率は高くない(現地入りするまで決めかねていました…)かなと考えてました。熊本へ戻って別の所でも行くか…、と思っていましたが、天草-島原の便数が意外に多く、所要時間が意外に短かったので決行しました。
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口之津港 到着
正式に南島原市、口之津港に上陸しました。
これはその入港後最初のカットです。
まだフェリーから続々と車が出ていってるところですね。
フェリーの名は「フェリーあまくさ」といい、1982年就航で定員は350名となっています。
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南蛮船来航の町
港に入って、ターミナル付近の道路周辺の様子です。
このような高い塔が立っていますが、これは旧・口之津町としてのもので、この下には「口之津町」の表記があります。
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口之津港 フェリーターミナル
南島原市口之津地区の交通の中心的な存在です。
南島原市には2008年まではこのフェリーと同じ島原鉄道の鉄道駅があったのですが、路線短縮による廃駅に追い込まれ、現在市内には鉄道駅はなくなってしまいました。それもあって、ここへは天草から航路で上陸してきました。
下の2枚中上の写真は港側、下の写真は反対に道路側のものです。
道路側は表にバス待合のベンチがありますが、向かいがバス車庫になっており、このターミナルはフェリー待合室であると共にバスの待合室も兼ねています。
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おみやげ
この旅から帰ってきて撮ったものですが、このターミナルには売店も入っていて、そこで買ってきたのがこの「半生うどん」です。
手延べでとってもコシが強く、また長いです。
そうめん作りの盛んな島原ですが、うどんもまた独特なものがあります。
薄くて長い巻き状であるため、何かのケーブルかなと思うような、そんな形をしています。
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ターミナルから
道挟んで向かいのバス車庫の様子です。
中に入ると、このようにズラリとバスが並んでいました。
ターミナルとバス車庫の間は普通に幹線道が通るのみです。
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南蛮人像
先ほどのバス車庫の入口にあたる部分に置かれている南蛮人像です。
右横にある自販機がこの高さなので、この像の高さが大体わかると思いますが、結構巨大です。
1567年にこの口之津の地に南蛮船が初来航し、これが当時の南蛮人のイメージなのだそうすが、随分と派手な格好ですね。
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マンホール
旧・口之津町のマンホールです。
そのものずばり、南蛮船が枠内いっぱいに描かれています。
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付近地図
右下の白い部分は、紙が破けたようになっていて白いのですが海です。
で、陸地は前述のようにクワガタの上あごのような形で、湾の中へ入り込んでいく形で入港してきました。現在地はその一番奥にあたる部分です。
こんな形なので、着岸前でも後ろを振り返ると、島原の町が見えるというわけです。
港付近だけでこれだけ書いてしまいましたが、港から少し離れた所も歩いてきました。ハイライトはだいたいここらへんに集約されるのですが、とにかく南蛮の町という事だけはすぐに分かるこの島原半島の南端・口之津地区です。