滋賀/米原 20年目の旅 - トラベルとかナントカ【日本全市訪問】 (original) (raw)
滋賀県米原市、JR米原駅からの歩き旅です。
(2012年6月当時)
米原駅の周辺地図ですが、駅を出て西へ直進していけば、琵琶湖の方へ出ます。
湖がそんなに近いというイメージがなかったし、これといった見どころを見つけられずにいたので、海へは絶対行こう!とこの地図見て思ったのでした。
米原って新幹線停まる割に穏やかな雰囲気で、ホテルがあるのもあまり聞いた事が無く(「じゃらん」などのサイトにもなかなか載ってこないし)、駅前に泊まる所なんてないのかと勝手に思ってましたが、行ってみたらありました。
ちなみにタイトルに「20年目の旅」とありますが、ここ米原を初めて訪ねたのが1993年の事で、以後何度もホームには寄り、たまに外へも出たりしてましたが、街を探訪する機会がなく、初訪問以来20年目を迎えた2012年にようやく「米原を歩いてみよう」と思い立ち、初めてこの記事の写真にあるような風景に出会う事となった訳です。
高い塔のような突出のあるパチンコ屋の建屋が。
「パチンコ」と表記されている部分に昭和を感じますが、その昭和のパチンコ屋ではかなり豪華な部類に入るのではないかなと。
の交差点です。
左に米原市役所が見えます。
ど真ん中に写りこんでいる建屋はJAのもので、これではなく、その左奥に隠れる形で写っている建屋がそれで、わずか2F建ての低さでした。
の米原支所、とありました。
米原は滋賀県で唯一新幹線の止まる駅でありますが、自治体としては数年前まで「町」、つまり郡部であり、市になった際に合併前の旧自治体にそれぞれ支所がある形になっています。
にしても結構コンパクトな建屋だなと改めて感じました。
米原で初めてといっていいほど、観光気分を味わえたものに出会えました。
それがこの「雪かき車」。静態保存されていました。
ラッセル車というやつですが、「キ555号」という名で、昭和18年から39年間、米原~大垣間を雪かきし、地域住民のみならず産業発展にも大きく貢献した、とされています。
西日本から東日本へと東海道本線を乗ると分かりますが、途中でこの豪雪地帯に出くわします。普通に晴れてた所から知らぬ間に豪雪になってたりして…、そのエリアを雪かきにて貢献していたのがこの車体だった訳ですね。
市役所近辺を外れて、西へ西へ、琵琶湖の方へ向かうこの道は田んぼや草むらが続くのどかな道路です。
米原駅前もちょっと離れると、こんなんなってしまうんだな、と。
駅から琵琶湖へ直進道をそれた所ですが、農免道路のようなものでしょうか。
旧「米原町」の表記が目を惹き、撮ったものです。こういうのに結構敏感なもので…
それにしてものどかすぎる光景です…
へやっと出てきた、という感じの場所でした。
琵琶湖干拓資料館というものが近くにあるようです。
ここで米原駅から約2km。この辺りの干拓は元々コメの増産のために行なわれたそうですが、現在では住宅地に変わっていってるそうです。
干拓資料館の間近く、上の写真の橋を渡った先のような所に差し掛かると、このようなものが現われました!
揚水機。昭和19年に入江内湖の干拓と共に設置されたそうで、昭和57年まで運転を続けたという、この機体が記念すべき第1号機なのだそうです。
先の雪かき機もそうですが、終戦前の時期頃に登場し、時同じく昭和57年に活動停止という事で、こういうもののひとつの寿命的なものかもしれません。「ゐのくち式渦巻きポンプ」というタイプで荏原製作所による製作だそうです。
資料館というよりも小さな事務所、という佇まいの建屋ですが…。中に入っておらず、様子もよく分からずでしたが、米原で見る所のひとつではあるのかな、というところでしょうか。
建屋前の広場には「干拓の郷」と刻まれた石碑が置かれています。当時の米原町長・村西俊雄氏の書によるものですが、米原が市制化しつつある頃の町長で、その後県内の愛荘町の町長を務めておられます。
といったところで、米原の探訪をひと区切りしたいと思います。