石森章太郎と読者世代 - 漫棚通信ブログ版 (original) (raw)

石森章太郎(本稿では石ノ森じゃなくて石森で書かせていただきます。でないと気分が出ないので)に対する印象は、読者の世代によってずいぶん違うのじゃないかというお話。

1966年から1968年、各社から新書判コミックス創刊があいついだころ、石森章太郎こそ、マンガのスターでした。

秋田書店サンデーコミックスの第一号は石森章太郎『サイボーグ009』、朝日ソノラマサンコミックス第一号も石森章太郎『黒い風』、虫プロ虫コミックスの一号も石森章太郎『気ンなるやつら』でした。

十代から活躍した早熟のひとなので、『マンガ家入門』を描いたのが1965年で27歳、石森章太郎選集という函入りハードカバーのシリーズが出版されたのが1969年、31歳のときです。わたしも喜んで買ってました。

最初の転機は1967年、「漫画アクション」創刊号から描かれた『009ノ1』じゃないでしょうか。青年マンガというそれまでに存在しなかったジャンルへの挑戦にあたり、彼も絵柄をおとなっぽいタッチに変更しました。

多くの子どもマンガ家が、この時点で脱落したことを考えると、石森はかるがると(でもないのでしょうが)変身してみせました。

このころはまだ、少年マンガではまるっこい絵で描いていましたが、1968年『佐武と市捕物控』が少年誌から「ビッグコミック」に引っ越したとき、同じキャラなのに絵をがらりと青年誌向けに変えちゃったのには驚いた。1969年「少年マガジン」の『リュウの道』以降は、少年誌でも青年向けタッチで描くようになり、絵柄がほぼ完成されます。

『リュウの道』の終了が1970年、『佐武と市』の終了が1972年。実はわたしはこのあたりで、石森章太郎から離れてしまいました。全盛期と思われる時期から、まだたった数年しかたっていませんが、読者は気まぐれですね。

その大きな理由は、変身ヒーローものが大量に生産され始めたから。1971年『仮面ライダー』、1972年『変身忍者嵐』『人造人間キカイダー』、1973年『ロボット刑事』『イナズマン』と続きます。

このあたりで読者が交代しました。それまでの読者より年少の、変身ヒーローが大好きな視聴者や読者の人気は得ましたが、ちょっととんがったマンガマニアは石森から離れていったのじゃないかしら。わたしには、このころの石森作品はかつての作品群の縮小再生産にしか思えませんでしたが、この時代の作品を絶賛してるひともいるんですよね。

いっぽうで石森は、青年誌(というよりすでにオヤジ向け雑誌)ではもっと落ち着いたおとな向けの、ウェルメイドな作品を描き続けていたわけです。こちらはこちらで人気がありました。『HOTEL 』とかね。これを支持してるのは団塊の世代あたりかな。

というわけで、石森作品てのは、初期の才走った作品群、変身ヒーローもの、おとな向けウェルメイド作品群、の三つに分けることができます。そしてそれぞれに別のファンがついていたのじゃないでしょうか。

しかしこれら三種の作品群が、009も、仮面ライダーも、HOTEL も、現在すべて生き残っているのですから、これはすごいことであります。