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トルーマン時代 by ジェームス・パーロフ 2 中国の瓦解

中国の瓦解

スターリンの密約

一九四九年、共産主義たちは地球上で最も人口の多い国を占拠した。これについてわが合衆国で激しい論争がわき起こった。

今ではほとんど顧みられないけれども、厖大な証拠がアメリカ外交が崩壊状態にあったことを示していた。

話はロシア軍がおそらく日本軍と戦うため、中国に進軍することが取り決められたヤルタ会談に始まる。第二次世界大戦中スターリンは日本政府と不可侵条約を結んでいたが、上述の役目を果たすためにアメリカが彼の軍隊を装備してくれるなら不可侵条約を破ろうと言った。

ルーズベルトは同意した。そしてソヴィエトが満州の鉄道を中国と共同運営するほか、大連と旅順の満州の港市の支配権を握ることも中国に諮ることなく約束された。

少なくとも二つの理由からこの協定は恥辱的なものであった。第一には日本の敗北はすでに時間の問題で、いまさらスターリン--周知の侵略者--を太平洋戦域に招じ入れる必要はいささかもなかったこと。第二には、ルーズベルトは独立主権国の領土を第三国に割譲する権利は全くなかったことである。

ロシア軍は太平洋戦にうまく--終戦となる正に数日前に--参入した。原子爆弾がすでに広島を粉砕していた。ソヴィエト軍は満州で引き渡された軍需品を押収し、労せずして戦利品を徴収した。そして彼らはアメリカの武器貸与供給品のほかにこれらの品をも毛沢東の率いる中国共産党反乱軍に引き渡した。

マーシャルの強要と宣伝

それからの四年間、蒋介石の国民党政権を打倒すべく毛沢東が戦ったので同国は戦乱に激しく燃えた

。合衆国の忠実な同盟者である蒋は立憲共和制を樹立しようとしていた。 彼は共産主義者との闘争が始まったすぐ後の一九二八年には、すでに『フォーリン・アフェアーズ』のなかで批判されている。一九四五年暮トルーマン大統領は、闘争調停のための特派大使としてマーシャル将軍を中国に派遣した。マーシャルはFDR政権発足まではぱっとしない大佐であったが、FDRが彼を引き上げ多数の上位将校を飛び越して陸軍参謀総長に任命した。マーシャルはCFRの名簿には一度も載せられなかったが、いつもきまってCFRのメンバーたちと一緒で、一度だけCFRの年刊書"The United States in World Affairs"に序文を書いている。中国においてマーシャルは、蒋がその政府に共産主義者を受け入れるか、さもなければ合衆国の支持を喪うか、いずれかだと強要した。彼はまた休戦を取り決め、共産軍を目前の敗北から救った。共産軍はそれを利して再編成を行い統治領域をさらに拡大した。最後には共産軍が彼に実行を迫りつづけてきたのを受けて国民党政府への武器禁輸を断行する。

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マーシャルが見守るなか周恩来が遵守する気のない休戦協定に署名する。

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マーシャル使節団は中国における共産主義の勝利を助けた。左から右へ周恩来、マーシャル、朱徳、張治中、毛沢東。彼は帰国すると国務長官に任命された。蒋介石は腐敗反動主義者で毛沢東は共産主義者ではなく「農地改革者」であるという説がCFRの支配する国務省の公式路線となり、この宣伝は今は存在しない太平洋問題調査会(IPR: The Institute of Pacific Relations)によって世間に大々的に行われた。CFRはIPRの親組織で、IPR集団には四十人を下らないCFRメンバーがいた。IPRもCFRと同様、支配階級組織の諸財団より手厚く資金の供給を受けていたのである。

IPR指導者の発行していた雑誌『アメラシア』の事務所がFBI(連邦捜査局)の手入れを受け、千八百通に及ぶ盗まれた政府文書が発見された。後に上院司法委員会がIPRを調査し、一九五二年に次のように公表した。

「太平洋問題調査会はアメリカの極東政策を共産主義者の目標へと向けるため彼らに利用された媒介物であった。IPRを牛耳った一握りの中核体官吏、幹部職員たちは共産主義者か親共産主義者であった・・・」 (14)

IPR神話の崩壊

中国情勢は絶望的となった。合衆国による禁輸によって国府軍は弾薬を使い果たそうとしており、他方共産軍はソヴィエトからの供給が持続されていた。

一九四八年に議会が蒋介石への一億二千五百万ドルの軍事援助を可決した。しかしトルーマン政権は繁雑な官僚的手続きでその実施を九カ月間も引き延ばし、その間に中国は瓦解した。

それとは対照的にマーシャル・プランのほうは成立後数日を経ずして第一船がヨーロッパに向けて出航した。

蒋と国民党は台湾に逃げた。彼が敵役で毛沢東がヒーローだというIPR神話は微塵に崩れた。台湾が自由の砦として登場し世界貿易額は全中国本土を凌駕した(引用注:台湾もいい迷惑でしたが)。 一方毛沢東は全体主義的共産主義を創始し、二十年以上続く粛清において数千万の中国人を殺戮した。

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一九四九年一月二十五日一人の若い下院議員が下院で言明した。 「議長、この週末のあいだにわれわれは中国と合衆国に降りかかった不幸の大きさを知った。極東におけるわが外交政策の失敗の責任は明らかにホワイトハウスおよび国務省にある。共産党との連立政府が結成されないかぎり援助は望めないという主張をいつまでも固執することは、国民党政府に対する大打撃であった」 と。

彼は、これを五日後の演説でも再説し次のように結んだ。 「これはかつてはその自由を守るためわれわれが戦った中国の悲劇物語である。わが国の若者が守ってきたものを外交官と大統領が砕いてしまったのである」 (16)

この若い下院議員は、ジョン・F・ケネディ[John Fitzgerald Kennedy, 1917-63] であった。

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●フォレスタル事件
トルーマンは元CFRメンバーのジェームズ・フォレスタル[James Vincent Forrestal, 1892-1949]を国防長官に指名した。しかしフォレスタルは公然と反共産主義的活動を行って支配階級組織の肝をつぶした。主として彼の首唱によって1948年のイタリアにおける共産主義者の政権奪取を阻止した。支配階級の外交政策の真意を見抜いて、嫌悪の情を持って彼は述べた、「言行一致が愚かさの証拠であったことはない。ロシアとわれわれの関係の処理を誤った外交官が単なる愚か者であったなら、彼らは時にはわれわれに有利な誤りをしてくれるであろう」と。

彼は政府内の裏切りに対抗しようと決心した。トルーマンは1949年3月に彼を解任した。そのころフォレスタルは「ニューヨーク・サン」紙を買収し、それを反共産主義の砦にしようと計画した--間違いなくアメリカ政府についての湯気の立つような素っ破抜きを狙う事業であった。しかし彼には全くそのチャンスがなかった。退任の5日後ベセズダ海軍病院に連れ込まれ(疲労のため)、そこでひどく薬を飲まされ(引用注:インシュリン注射だったとか)、7週間個室に入れられて他との連絡を断たれた。値接の家族以外の訪問者はすべて面会を拒絶された。その間にフォレスタルの日記--明らかに激情的なものであったろう--は、ホワイトハウスによって押収された。彼の牧師モーリス・シーイ師が最後にジョン・サリヴァン海軍長官を説いてフォレスタルの解放を認めさせた。

フォレスタルは1949年5月22日に退院する予定であった。しかしその朝の2時に、彼は16階の自分の部屋の近くの窓から転落した。首の周りに彼の化粧着の紐が巻かれていた。死は自殺だと公表された。しかしフォレスタルの弟ヘンリーは殺人だと主張した。死の悲劇、続いてその秘匿、そして「自殺」判定に含まれる矛盾などが、1966年に出たコーネル・シンプソンの著"The Death of James Forrestal"のなかで慎重に検討されている。

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ダグラス・マッカーサー[Douglas MacArthur, 1880-1964]と蒋介石[Chiang Kai-shek,1887-1975]の両人は、その断固たる反共産主義のためアメリカ支配階級組織の復讐を受けた。

ジェームス・パーロフ 権力の影(1988、 馬野周二訳:1992.8) 第6章 トルーマン時代 p158-162 より

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by oninomae | 2009-04-02 21:21 | イルミナティ

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