林点描、風葬に憧れる (original) (raw)

2020年07月22日

林点描、風葬に憧れる

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▽日本においては亡くなれば火葬場で焼かれ、骨は骨壷に入れられ墓の中に埋葬される。この埋葬という言葉は少し変だ。土に埋められるからこそ埋葬なのではなかろうか。きっと便宜的に使われているのだろう。何度か書いているけど、私が死んだ後は現在の葬送の仕方をできれば遠慮したい。ベストなのは誰にも知られず森の中で死に、そのまま消えてなくなることだ。葬儀なんていらないし、悲しむこともない。まあ、あまり悲しんでくれる人はいないと思うが。樹木葬というのが割と流行っているけど、さらに踏み込んだ森林葬というのはどうだろう。森林の中に野ざらしにされるだけで、墓的なものはその森林すべてということになる。できれば死ぬ間際にその森の中に入り、死が訪れるまで静かに過ごしたい。まあ、無理でしょうね。

コロナでも変わらない伝統 「頭蓋骨の村」の風葬 バリ島
https://www.afpbb.com/articles/-/3291500

考え方としては風葬と同じだと思うのだけど、インドネシアのバリ島では現在でも風葬が行われているそうだ。この風葬は10世紀から続いていて、何か地域の宗教に根ざした理由があるのだろうか。記事によると、

遺体のにおいがこの地の魅力を引き下げると信じ、遺体を安置することにしたという

付近の火山が火葬に怒って噴火するのを避けるため、風葬にしたという言い伝えもある

正直、もっと崇高な理由がほしいのだけど、これがチベット仏教の鳥葬になると、鳥に遺体を食べさせることで天に送るという意味があったり、人間以外の動物に捧げる、布施をするという意味もあるらしい。チベット仏教の考えのほうが私の理想に近い気がする。記事の中にはもう一つ、

亡くなった人とのつながりを保つ方法だと信じている

という言葉もある。確かに、腐って少しずつ骨にはなっていくけれど、もういなくなってしまったとはすぐには思わないかもしれない。姿形はしばらくそのままなのだから。結局は骨になって完全に消えるのだけど、それまでのお別れの時間はたっぷりある。それは悪く言えば執着なのかもしれないけど、人と人との関係はそう簡単に消し去ることができるものではない。私の場合は、生きている間に植物や動物にご迷惑をおかけしたので、せめて死んだ後は彼らの糧になりたいという気持ちだけなのですがね。