菜根譚125、見ることと見出すこと(曹仁の話) (original) (raw)

「心にそんな(邪な、よこしまな)心がないというのであれば、どうして心を観る必要などあるだろうか。

釈迦が言うところの心で観るというものは障害を増すだけの話だ。

万物はもともと一つであって、それをどうして等しくする必要があるだろうか。

荘子の説くところの『万物を等しくする』ということは、かえってその同一性を割くだけの話だ」

・見るということはよこしまなものを見出すことであり、発見することであると。見さえしなければ、それをそうと分けなければそもそも悪いものは発見されない。まあ理屈ではそうかもしれませんが、実際にじゃあ見るのをやめようなんてした日にはろくなことにならないなと思いますね。こういう見えるものを見られるんだけどやめよう、予算が足りないし余計な手間を抑えられる、なんてことをして良くない結果をたくさんもたらしてしまっているのが現代の特徴だと思いますから。

・曹氏といえば曹仁ですね。この人は史実では始終大活躍していますが、演技ではへっぽこ扱いされています。曹操によってダメだけど見込みとやる気だけはあるから溜息をつかれつつも見放されない。そんな立ち位置がこの曹仁の立ち位置ですが、史実は違うようです。どこへ行っても大戦果であり、ほぼ負けなし。武勇も統率能力も優れており、曹仁に任せておけば間違いはないと。それが曹仁だったようです。

・樊城の戦いというのがありました。荊州は激戦区だったわけですが、劉備はここに関羽をおきますし、孫権は周瑜・魯粛・呂蒙と重要どころを常に配置していました。曹操は誰を配置したかといえば曹仁だったわけです。三国が戦い合う場所だったわけですが、関羽を配置した劉備だけは少し分が悪かったように思います。なぜなら、このバランスが非常に難しく、また共闘ということが非常に大切である場所ですが、関羽はあまりにもプライドが高く、そして共闘することの重要性をわかっていなかったかあるいは少し下に見ていた節があります。

呉は劉備の同盟国でした。これだけでも劉備陣営は有利ですが、孫権は関羽の娘に孫権の息子を嫁がせようとします。ここで「呉のいぬっころに大切な娘をやれん」といい、孫権の激怒を買ってしまいます。わざわざ買わなくていい怒りを買っていますし、これが呉による荊州奪還戦の始まりだといっていいでしょう。結婚させろ、というわけではなく、わざわざこんな言い方をしなくてもいいだろうところでこんな失言をし、同盟国である呉を敵側に回した。こういう配慮のなさであり、関係を考慮しない姿勢が、関羽がこの重要どころに不向きであると考えられる所以でしょう。いくら人不足とはいえ、こういう短慮の関羽を荊州に配置したということが劉備陣営のアキレス腱だといっていいでしょう。これによって関羽は呉に打ち取られ、荊州は呉のものになるわけですから。

・それを思えば曹仁は善戦したといっていいでしょう。強敵である関羽と、そして呉の魯粛や呂蒙を相手に一歩も退かない戦いをしてみせた。敵は共闘してくるというのに魏では孤軍奮闘です。劉備と孫権が仲たがいしてくれたために呉と魏とが手を組むこととなったわけですが、ここまでがんばって不利な状況を踏ん張り続けたのは曹仁によるところが大だと言えるでしょう。少なくとも、失言によって呉を敵に回し自滅することになった関羽よりも統治能力は一枚上手だということができるのではないでしょうか。まあ、輝かしい点ではなくそこを比較するのはどうかとも思いますが……

事実曹仁は悪天候が続き、食料が乏しく武具も少ないような環境で、援軍もなく最前線でがんばりぬいたわけです。まあこういう曹仁のような名将にそこまでがんばらせるのも決して最善ではないとは思いますが、そういう環境で耐え抜いた曹仁はさすがだといわざるを得ないでしょう。

名将にがんばらせるもんじゃないとも、頑張りとおせるからこそ名将だともいえるわけで非常に難しい問題ですが。任せるからこそ名将はより名将となっていくし、磨き抜かれていく。それに耐えることができないのであれば死んで表舞台から姿を消すだけのことです。最終的に並みいる将軍をさしおいて曹仁が大将軍となるのは、単に魏が曹氏によって成立していたものためだと一概にいえないものがあります。それだけの戦果があってのことであって。

いろいろな見方はできるものだとは思いますが、名将である曹仁が大将軍となったということの意味というのはきちんと評価された例として考えられていいものではないかと思います。